拉致されたの地下の中で
6、ここはどこ?
「質問、この世界は何」
「ノア大陸、アルカ連邦国家。都市ナウタルです。レディ」
「……レディはやめて。鳥肌が立つ」
「では何と」
その「何と」は「どう呼べばいいかわからない」の意なのだろう。そしてそれは嫌味でも何でもなく、目の前の女は本当に真面目に聞いてきているのだ。
チカは馬鹿みたいに整った女の顔を前にため息を吐いた。その息に吹かれて埃が粉雪の如く宙に舞う。薄暗がりの中、少ない明かりに照らされてキラキラと輝く姿はとんでいるものにさえ気づかなければ幻想的な光景だろう。
「いいよチカで。とにかくそのお芝居みたいな呼び方はやめて」
「では、レディ、チカ」
「だからレディはいらない! チカ! ただのチカでいいから!」
まったく、会話とはこうも面倒なものだったか。酔っ払いとの会話の方が幾ばくかスムーズな気さえしてくる。
そう思いながらチカは近所で有名な飲んだくれの村山のおじさんを思い出す。定年退職後はシラフの日の方が少ない彼ではあったが、不思議と意思疎通は出来る男だった。ぐでんぐでんで呂律は怪しいものだったが。
思い出に浸りながらチカは疲れ切った身体を背もたれに預ける。主にこの世界の住民のせいで、精神諸共に疲弊していた。
「……で、シャノン? だっけ?」
「はい、チカ」
「ここが日本、つまり私がいた場所じゃないのはよーくわかったんだけど」
気を取り直して、チカは疲れの元凶へと話しかける。彼女が話しかければ「チカ、チカ」と口の中で繰り返し転がしていた女はようやくこちらを向いた。
目の前に座る女、シャノンはずいぶんな美女だ。
艶やかなプラチナブロンドの長い髪に、サファイヤブルーの瞳。白のつぎはぎスカートからドレスにでも着替えて、場所を城にでも変えればどこかの国の姫君か令嬢と言われた方がしっくりくるような見た目をしている。
だが、そんな姿をしているからこそシャノンはこの空間で異常に浮いて見えた。
「ねえ、何で私はここに連れてこられたわけ?」
異様に薄暗い室内に、つり下がるぼんやりとした灯り。荒々しく鉄板がそこらに打ち付けられたこの空間は、ついさっきまでいた場所とは真逆だった。暗く、狭く、空気が悪く、埃っぽい。申し訳程度に置かれた椅子が、人の体重にギイギイと悲鳴を上げている。
自分が喘息持ちで閉鎖恐怖症だったらアウトだったな、とチカはどこか的外れな感想を抱いた。半ば疲れすぎて現実逃避気味なのかもしれない。
ノア大陸にあるアルカ連邦国家という国、その中の都市ナウタル。
シャノンの説明が本当だとすれば、ここはどうやら日本どころか地球に存在するかどうかさえ怪しかった。地理の成績はそこそこなチカだったが、そんな国も大陸も聞いたことがない。信じがたくはあるが、まったくの別世界に来てしまったと考えるのが自然であった。
しかしそれにしても、だ。
「私に用があるとしても拉致はないでしょ拉致は。倫理観どうなってるわけ?」
「おいおい、俺の相棒をあんまり責めてくれるなよ」
「ダグ、やめてください。彼女の反応はもっともです」
シャノンにそう言えば、壁を背にして黙り込んでいた男がするりと会話に入ってくる。
黒いぼさぼさの髪に、年季の入ったカーキ色でオーバーサイズのジャケット姿。シャノンとは対照的に、ダグと呼ばれた男はこの場所がよく似合う。
ダグは機嫌悪く椅子に座るチカに対し、人相の悪い顔をへらりと歪める。同時にシューっと息を吐く音が男から聞こえてきた。
「悪いと思ってるさ。ただ、こっちも見つかると面倒なもんでね」
「……その顔、少しも悪いと思ってないでしょ」
「お、流石に平和ボケしちゃなさそうだな」
チカの返答にダグがまたシューシューと音を立てる。どうやらこの男、笑うのが壊滅的に下手らしい。
チカとは反対に、ダグは実に楽し気だった。
「久々なんだぜ、上層階から生きて戻ってきた奴は。運がいいな、あんた」
「別に行きたくて行ったわけでもないし。大体何よ、上層階って」
「ナウタルの中心部、『楽園の塔』とも呼ばれる場所です」
「……何その怪しい新興宗教みたいな名前」
今度はキンと冷たい声が説明を入れる。声の質感まで、シャノンとダグはどこまでも対照的だった。シャノンは高く響くような透明な声だが、ダグの声は低く、音もどこか濁っている。
シャノンは背筋にものさしでも突っ込んでいるかのような、ぶれない姿勢で話を続けた。細くしなやかな髪が、肩からサラサラとこぼれ落ちる。
「国の最重要施設です。最上階ではこの国の最重要人物が集まり、生活しています」
「最重要人物? ロボットしかいなかったけど」
まあ、確かにずいぶんと人間臭くはあったが、とチカは楽園の塔での一件を思い返す。あの白衣たちを人間と呼ぶには少し抵抗があった。
それに対し、またダグがシューっと音を立てた。この男はどこか蛇に似ている。
「まあ、半分は当たりだ。あいつらは機械化手術を受けてる。ま、テルタニスの奴隷さ」
「テルタニスって、あの声の?」
チカは襲い掛かって来た声を思い浮かべる。そういえば、ついに本体を見ることは叶わなかった。
「まあね。あれも機械化? ってのをした人間?」
「いいや、あいつは違う。……AIなんだ。この国全体を支配する」
そこで一瞬、ダグの目に酷く真剣な光が宿った。今までのどこか人を食ったような態度の仮面がずれ、ダグと言う男の感情を覗かせる。
だが、すぐに仮面をかぶり直して、ダグは言った。
「で、もってここからが相談なんだが……。な、俺たちと一緒に楽園の塔に行ってくれないか?」
どうやらそれが、ずっと言いたかった本題のようだった。
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