5、拉致、再び

 日向千華、希望谷きぼうたに高校二年生。ごく一般的な魔法少女。


 部活は、魔法少女としての活動のために無断欠席を繰り返して退部。以後、運動部の助っ人は頼まれるものの、無所属のままだ。


 好きな物は可愛い服と小さくて色々なお菓子の詰め合わせ。


 そして何より、負けることが大嫌いな少女である。



 ※※※



 そして、冒頭に至る。


 高度数千メートルからの紐なしバンジージャンプの真っ最中、常人であれば死どころか意識を失いかねない状況の中、チカはまっすぐに上を見上げていた。


 彼女が自らジャンプした場所。つまりバンジージャンプの開始地点。憎き誘拐集団の親玉が鎮座する玉座。


 みるみる小さくなっていくその地点をまるで親の仇のように睨みつけながら、チカは慣れた手つきで両手を左目の前に持っていった。


 両の手でピースサインを作り、互いの人差し指と中指同士をくっつけ、左目の前に横倒しのひし形を作り出す。


「悪人、判定……」


 もしかしたら、まだこっちを狙っているのかもしれない。自分が落ちた場所にまた穴を開けて、今度こそあの忌々しい触手が本体を見せているかもしれない。


 今だったら、狙えるかもしれない。


 指で作った窓から天を覗き込み、チカはギリリと歯を食いしばる。頭の中では「もう限界だろう、そんなことしたって無駄だ、やめておけ」という紙屑のような理性が彼女を押しとどめんと踏ん張るが、それもすぐにマグマの如き怒りに流されて消え去った。


 左目の前に小さな円形グラフが映し出され、大がかりな魔法の準備が始まる。ビームは流石に届きそうにもないが、この魔法なら距離も関係ない。


 問題はこの魔法を放った後、魔法の使い過ぎによって変身がとける可能性だったが、怒りに燃える彼女の頭からは、そんなことはとっくに抜け落ちていた。


 日向千華は、負けることが何より嫌いである。


 今起きた出来事は決して負けではない。ないのだが、逃げることしか出来ないのも事実だった。


 それが許せない。気持ちがスッキリしない。もやもやする。

 

 だから、チカは少しでもぶん殴れる可能性に賭けた。自分を下に見ている連中に、思いっきり噛みついてやることを決めた。


「吠え面かかせ――っ⁈」

 

 そして、そう決意した後。一瞬で事は起きた。


 暗闇の中、真横からいきなり何かが飛び出し、チカを宙から攫うように捕まえのだ。


「確保、完了しました」

「え?」

「よし、さっさとずらかるぞ。……シャノン!」

 

 聞こえるのは高くガラスを打つような声と、紛れもない男の声。


 目に入るのは担いでいる誰かの背中のみで、あまりの驚きにチカは言葉も出なかった。


 ガラスのような声がやけにキンキンと近く、耳に響く。どうやら彼女を抱えているのは男の方ではないらしかった。

 

「はい、ダグ。逃走経路を確認。問題ありません」

「っこの、次から次へと!」


 テルタニスの仲間かと考えたチカは、自身を米俵のように担ぐ相手の背をバシバシと叩くが事態が好転することはない。むしろその尋常ではない硬さに手の平痛めただけだった。


 なんだこいつ、鉄板でも背中に仕込んでいるのか。


 赤くなった手を見ながらチカはびくともしない背中を睨みつける。しかし、それもすぐ見えなくなった。


「ちょっ、何⁈ 何すんのよ!」


 袋を被せられたのだ、とチカは気づく。首を振ればガサガサと耳障りな音が鳴った。


 「自分をどうする気だ」と必死に声を上げるチカに対し、袋をかぶせた張本人であろう男が面倒そうに言う。 


「万が一の時の保険だよ」

「ほ、保険って」

「もしもあんたが俺たちの不利益になっちゃたまんねぇからな」

「っは、見られちゃまずいことでもしてるわけ?」

「静かにしとけ。その方があんたのためだ」

「……静かにしなかったら?」

「そんときゃ汚ったねえ口枷のおまけがついてくる」


 突然そんなことを言われても、とチカは思う。正直男の言っている意味はちっともわからないし、目的も理解できない。


 この国には人さらいしかいないのか、と声の限りに叫びたくなった。だが、視界どころか声まで奪われてはたまったものではない。


 チカは心の中で相手を想いつく限りの語彙力で罵倒しながらも声をひそめる。


 腹についた、自分を担いでいる誰かの身体は、まるで体温がないように感じられるほど酷く冷く、やけに硬かった。


「テルタニスのところにでも連れ戻そうっての?」


 小声でそう言った瞬間だった。男の声色が低くなる。


「……俺らがあの野郎の仲間だって? 面白い冗談だ」

「違うっての?」

「ああ、違う。二度と言ってくれるなよ」


 不機嫌な様子に怯むことなくチカが尋ねれば、男はチカにぐっと顔を寄せ、囁く。


「俺は。あいつらのな」

「……敵?」


 しかし、それ以上を聞く前に、女の方が割り込んできた。


「ダグ。そろそろ」

「わかってる。っつーわけだ。大人しくしとくのが身のためだぜ?」


 逃げることは考えない方が良さそうだ、とチカは思う。拘束は思ったよりもきつく、腰に回された腕は細いのにびくともしない。


 それにここは知らない場所だ。逃げ出したところですぐに捕まるのがオチな気もする。


「利口だな。なら、どこに行くかくらいは教えてやる」


 ゆっくりと力を抜き、誘拐犯に身を任せたチカを見て男が声を震わせる。


「あの真っ白けなクソったれ空間よりずっと居心地のいい、俺らの巣穴だよ」


 どうやら機嫌よく、笑っているようだった。



―――――――――――――

あとがき


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