第一章 魔法少女は落下する

失礼なやつらに魔法で挨拶

1、知らない場所、知らない奴ら

 確かに日向千華ひなたちかは、高校からの帰路についていたはずだった。


 いつものように紺のブレザーに袖を通し、校則ギリギリまで折りたたんだ膝上のスカートを揺らしながら夕焼けの住宅を飛ぶように歩いていた。幼いころを思い出しながら、家の影から影へと飛び移る遊びをしていた。


 そうしていた、はずだったのに。


「成功だ!」

「これで並行世界の技術が――」


 なんだここは。一体自分はどこに立っているんだ。


 あまりの眩しさにチカは一瞬、自分がどこに立っているかが分からなかった。地面の上にいるような気もするし、宙に浮いているような気さえする。あまりの周囲の白さに壁と床の見分けもつかなかった。


 ただ、そんな真っ白の中に声が聞こえてくる。


 そのどれもが聞き覚えのない声だった。近所でよく見るおせっかいなおばさんでも、酔って管を巻いている駄目親父のものでもない。


 不思議な声だった。抑揚がなく金属質で、男か女かもわからない。声というよりは楽器のようで、しかし不思議なことにその音には確かに歓喜の感情がある。


「……あのー、これって何ですか? ドッキリ?」

 

 真っ白な中で声を上げ、チカは返答を待つ。


 今は相手が誰なのかも分からない。敵なのか、味方なのかすら。


 だからチカはじっと待った。待つことも耐えることもけして得意ではないが、今この瞬間だけはそれしかすることがなかった。


「喋ったぞ! 知識は有しているようだな」


 返事は思ったより早かった。


「ふむ、多少の差異はあるものの大まかには我々と似た種族のようだ」

「興味深い。解剖してみるべきだろうか」

「いやいや、その前に実験を」


 想定したものよりも数倍、物騒な言葉を乗せて。


 ただの会話の中に解剖やら実験やらを聞く日が来るとは思わなかった、とチカは未だ眩む目を凝らす。返って来たおかしな返答が、チカの心をざわめかせていた。


 だってどう考えてもおかしい。


 普通の人間が「ドッキリ?」と聞いて、返答が「解剖してみるか」なわけがない。


 どうにも妙だった。会話が微妙に出来ていないような不気味さと、話している相手が人間かどうか疑いたくなるような奇妙な居心地の悪さ。


 チカはざわつく胸を落ち着かせるべく、ひとつ深く息を吸い込み、急いで瞼をこじ開けにかかる。


 白い視界に瞳が涙をこぼして開くことを拒むが、今はそんなことに構っている暇はなかった。目を開かなければ、見なければ、今自分に何が起きているのかわからない。


 どうにか無理やり目を開き、涙で滲む視界を何度も擦って視界を確保し――


「――へ?」


 そして開けた目の前の光景に、予想より数倍間抜けな声を上げた。


「おい、急ぎ拘束具を。妙な事でもされたらたまらんからな」

「しかし、どう見ても我々の文明よりも劣っている生命体のようですが……厳重すぎでは? 資源も無限ではないのですから」

「愚か者が。劣っているからと言って侮っていい理由がどこにある。多少なりとも知性のある生命体だ。慎重に慎重を重ねて何が悪い」


 白く、無機質な部屋の中でカチャカチャと器具を手に取る白衣。それを訝し気いぶかしげに見る白衣。巨大なモニターを見て何かを呟いている白衣。機械に何かを打ち込んでいる白衣。


 白衣、白衣、白衣、白衣。


 異様だった。それはもちろん部屋の全部が白はんぺんで出来ているのかと思うほどに真っ白なことでも、周りにいる全員がお揃いの白衣を着ていることでも、自分の周りに金属製の巨大メスが乗ったトレーが置かれていたことでもない。確かに異様ではあるが、一番の違和感に比べればどうってことなかったのだ。


 それは正真正銘の異常だった。それを目にした途端、質の悪いテレビ番組のドッキリか、それともクラスメイトのいたずらか、なんて可能性はたちまちのうちに消えてしまったのだから。


「おお、目を開けたぞ」

「見れば見るほど我々とよく似ている。いや、おかしなこともあるものだ」


 本当の異常は、白衣の中身にあった。


 チカはごくりと喉を鳴らしながら白衣たちをもう一度盗み見る。自分が勝手に作り出した幻ではないのかとすら思った。


 そしてチカは目をよく開き、自身を囲む白衣たちをじっと睨みつけ、己の頬をつねり、その痛みでようやく目の前の彼らが幻でも夢でないことを確信した。


 つるりとしたつなぎ目のない、銀のボールのような頭。そのど真ん中にカメラのレンズに似た、恐らく目の役割を果たしているものがあった。身体は銀の長方形の箱のようで、白衣以外の服は着ていない。


「いいかよく聞け下等生物。お前は運よくこのアルカ連邦国家のいしずえに――」


 もし彼らに申し訳程度の手足と白衣が見当たらなければ、チカはきっと彼らを「丸と四角の近未来的アートオブジェ」としか思わなかっただろう。


 それほどまでに目の前の白衣たちは無機質で、けれど動きは人間臭く、ロボットに人間を押し込んだかのようなちぐはぐさを感じさせた。


 その姿は奇妙で、少し気味が悪く、違和感がある。


「え、それどうやって喋ってるの⁈ 口は? 目って真ん中のであってる?」

「――」


 だがしかし、その「気味の悪さ」を好奇心が上回った。


 「こんな生き物見たことない」という純粋な興味と興奮に、チカは初めて動物園を訪れた子供のように鼻息荒く目の前の生き物に詰め寄る。


 それに対し白衣はといえば、あまりの勢いに言葉を無くしてしまったようだった。


 ついさっきまでの威圧的な態度は消え失せ、ただぽかんと目の前のチカを見つめている。


「ていうかそもそも生きてんの? 何食べて……って、あ、ひょっとしてガソリンとかで動くタイプ? ロボ? ロボット系?」

「おい、話を――!」

「はあー、というか見れば見るほどのっぺりしててちょっと気持ち悪……」

「――っ貴様ぁ! この姿を愚弄する気か⁈」

 

 矢継ぎ早に投げつけたあれやこれやの疑問と、少し余計な付け加え。その中でぽつりともれた感想が白衣の癇に障ったらしかった。


 白衣はレンズの拡大と縮小を繰り返し、肩と思わしき部分を震わせ、カチャカチャと人体にあるまじき音が鳴り響く。その姿はまるで怒っているようにも――というか、実際怒っていた。


 わなわなと震える白衣を前に、チカは「やべ」と小さく声を上げる。


「あ、えーと、ごめん。口が滑った」

「っ黙っていればつけあがりおって――――!」

「でも、そっちも私のこと下等生物とかディスったしさ、これでお相子ってことに―――」


 そう、チカが声をかけた瞬間だった。


 白衣は苛立ったように足をガンガンと床に打ちつけると、チカに向って何かを投げつけた。一瞬でよくわからなからなかったが、それはまたも銀色の、テニスボールほど大きさの球体だった。


 銀色のテニスボールは力がこもっておらず、まるで幼児が投げたかのような軌道でチカの元へ飛んできた。避けるのなんて造作もない、へなちょこボール。


 だが、それはチカの手元付近に近づいた途端、そのスピードと形を大きく変えた。いきなりボールがプロ顔負けの軌道で魔球のごとく手首に吸い付いてきたかと思えば、その姿をぐにゃりと変形させたのだ。


 まるでそれ自体に意志があるのかと考えてしまうほど早く、ボールはあっという間にチカの両手首を拘束する枷へと早変わりする。


「うわ気持ち悪っ⁉」

「っは、いい気味だ」


 小指すら通らない、ぴっちりと両手首をくっつける拘束具にチカは軽く悲鳴を上げる。それを見た白衣は満足そうにレンズを楕円形に歪めた。


 あっという間につけられた、これまた銀色の繋ぎ目のない拘束具。その得体の知れなさにチカは鳥肌を立て、腕をぶんぶんと振ったが隙間のない手枷は緩むどころかびくともしない。


 笑っているつもりらしい白衣は肩を震わせながら楽しげな声で言う。


「貴様のような下等生物にはお似合いだな。分かったら大人しくしておくことだ」


 たった一言。されど一言。その見下したような嫌味たっぷりの言葉がチカの頭を酷く揺さぶった。


 簡単に言うなら、その態度にムカついたのだ。

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