第13話 活動資金がピンチだったりして (3)

 五月三日月曜日、午前九時、俺は浦和駅で阿賀野あかと落ち合った。

「ごめん待った?」

 あかが小走りで近づいてくる。

「待った」

 俺がぶっきらぼうに言い放つとあかは不機嫌そうにこちらを睨む。いや、お前が遅れたのが悪いんだろうが。

「そこは今来たとこって言いなさいよ。それにしてもまさか、あんたと出かける日が来るなんて思わなかった」

 あかはぜえぜえしながら悪態をついてくる。

「発表会のためだ。仕方ない」

 俺は腰に手を当て本当に仕方ないという態度をとる。

今日は東京にあるあかの事務所、つまり東京ワンダープロダクションに行く。目的は文化部発表会で使う衣装を借りること。どうやらあかが鮫元さんに相談していたらしい。レンタルなので汚したり破いたりしないよう気は使うが買うよりは安く済む。それに見栄えもお子様の劇にはならない

 ちなみに、今現在の俺の服装はお子様そのもの。対してあかはさすがJK、よくわからない構造の服を着ている。なんだ、あのひらひらはどこから出ているんだ。ファッションに関して言えば、不思議なことに俺がダサいと思う商品ほど高く転売できる。それを踏まえてあかの服装を見る。うん、過去最高値で転売できそう。もちろん、そのことは口に出さない。

「これ、切符」

「いいわよ、スイカあるし」

「だめだ、これは一応部活動のための移動だ。しっかり活動費で落とさないと」

 俺がそう言うとあかは面倒くさそうに切符を受け取る。

「あんた、知っているでしょ? ただでさえ演劇部の活動費は少ないのよ。交通費くらいはボランティア精神でなんとかならないの?」

「そういう甘えがな、この国の労働問題を引き起こしているんだ」

「わかったわ。何も言わない」

 そう言うとあかはふてくされた表情をする。だが俺が手元からあるものを取り出すとその態度が一変する。

「そのお金、どうしたの? まさか、たった二日間で活動費をそこまで増やしたの?」

 あかが前のめりで質問してくる。俺は一万円札十枚を封筒に入れ、大切にリュックの奥にしまう。ああ、いい気分。

「その通り、これの元は五月一日に支給された四千円だ。これがプロ転売ヤーの実力だ」

 あかは目を丸くしている。そう、俺は二日間で演劇部の活動費を四千円から十万円に押し上げることに成功したのだ。

 まずは一昨日、俺は天が前に出しておいてくれた自転車に乗り古本屋を巡った。目的は地獄郵便局を定価以下で手に入れることだ。そもそも、新品でも手に入らないのに中古で買えるのか? 答えはノーだ。ではなぜ古本屋なのか? 実は、古本屋にも新品を売るコーナーがある。しかし、古本売り場に比べて小さいし、そもそも大部分の客は新品を目当てに買い物に来ていない。つまり、穴場。超人気漫画が大きい本屋では品切れでも街の小さな古本屋の小さな新品コーナーでひょいっと見つかることがあるのだ。

 そして、見つかった。捜索開始から十二時間経っていたが。四千円で買える範囲の巻を全て買い帰宅。交通費を浮かすための自転車利用はさすがにきつかった。そして、その日のうちに出品、広告デザインと魅力的な商品説明で定価の四倍で転売に成功。

「こんな感じだ」

「フォロワーには買うのやめとけって言って、自分はそんな苦労をしてまで買うのね」

「え、お前俺のツイター知っているのか?」

「一応自分のマネージャーもどきが何をしているかは知っておきたいし」

 俺とあかは湘南新宿ラインのボックスシートで向かい合って座っている。

「まあ、一般論として今買わない方がいいということだ。ただし、四千円を早く、確実に増やすにはこの方法しかなかった」

「その結果、定価四倍で転売しているんだからさすがよ。でも、十万円には程遠いじゃない。そこからどうやって十万円まで到達したのよ?」

「あとはそんなに面白くないけどな。俺は昨日ミニカーを取り扱うリサイクルショップに行ったんだ。そこの店では二万とか三万の価値があるものが、二千円とか三千円で売っている。多分スタッフが詳しくないんだな。もちろん、その界隈じゃ有名な店だから掘り出し物はすぐに他のやつに持っていかれるんだけど昨日は運が良かった。結構いいのが買えてそれを転売した結果が十万円ちょっとってわけ」 

 一通り話終わるとあかは興味を失ったのか顔を外に向けた。

「おもしろくなかった?」

「いや、途中までおもしろかった」

「途中まで?」

 あかはゆっくり顔をこちらに向ける。ちょうどそのタイミングで電車が分岐器の上を通過し始め、車内に大きな音が響く。その音が過ぎ去ってからあかは静かに口を開く。

「……結局運なんだなと思って」

 一言だけぽつりと呟いた。それから自嘲するような薄笑いを浮かべる。

「たまたま運がよかったから掘り出し物を買えたんでしょ? プロ転売ヤーだって結局は運、私となにも変わらない」

「色々言いたいことはあるがとりあえず話を聞こう」

 俺がそう言うとあかは再び窓の外に目を向けた。

「私がアイドルになった理由を知りたい? 私の一番の秘密」

 それを言うとあかは十秒間ほど沈黙した。その後、自分で自分を馬鹿にしたように笑い出す。

「なんであんたみたいなやつにこんな話をしようとしているんだろ」

「俺だからだろ」

 俺は間髪入れずに答える。答えると、あかは鋭い視線を向けてきた。

電車は荒川にかかる鉄橋を渡り始める。それに伴いガタンゴトンと荒々しい音が車内を包む。俺はその音に負けないように少し大きめな声でしゃべる。

「俺はぼっちでお前の秘密をばらす心配がない。ばらす話し相手がいないからな。こんなに都合よく秘密を共有できる人はなかなかいないだろ」

 あかも負けじと大声でしゃべってくる。

「秘密をばらされる心配がないのはクラスメイトとしてよくわかっているわよ。私の疑問は、どうせぼっちに話したって理解されたりアドバイスをくれたりするわけないのになぜ話そうとしたのか。どうせコミュニケーション能力ゼロなんだから」

 電車が鉄橋を過ぎたので俺は元の声量に戻す。

「ぼっちのコミュ力なめんな。こっちはいつも外側からお前らのやりとりを冷静に観察しているんだ。むしろ、お前ら以上にコミュニケーションに関しては博識だぞ。ただ、知識はあっても実践経験がないからいざという時に役に立たんが」

 あかはこちらに憐れみの目を向ける。そして、全てをあきらめたように笑う。

「相変わらずの謎理論ね。でも乗ってあげる。あんただけに私の秘密を教えてあげるわ」

 あんただけに、この親密同士以外では使わない表現に俺は思わずどきっとしてしまう。それをあかに見抜かれた。

「あのね、なにも特別な意図はないから。そういう勘違いをさせちゃったなら申し訳ないわね」

 あかは短く息を吐き、語り始める。

「私のママは昔アイドルを目指していた。でも、当時事務所でデビューできるのはたった一人だったの。ママは最後の二人にまで残ったらしいけどそこで負けたんだって。それで事務所をやめて数年後には結婚、そして私が生まれた」

 いきなり母親の話をしだした。重くなりそうな予感。

「ママは自分が叶えられなかった夢を娘に託そうとしたの。小さいころから歌、ダンス、ピアノ、とにかくなんでもやらされた。友達と遊ぶ時間なんてなくて大変だったけどママのためだと思えば頑張れた」

「うんうん」

 俺は相槌を打ちながら話を聞く。

「でも、私が八歳の時にママは死んだわ。癌だったらしいの」

「え」

 ほら重い。だが、悲しい話なのにあかは笑っている。

「私その時全く悲しみを感じなかった。ひどい話だよね。自分でも不思議だった。でもすぐにその理由はわかったわ。ママは私を愛してくれなかった。ママが愛していたのは私ではなくアイドルという職業そのもの。私はそれに近づくための道具でしかなかった。ママの行動を振り返れば振り返るほど、そのことがハッキリとわかって辛かった」

あかは一度ペットボトルのお茶を飲む。そして、眉間にしわを寄せて話を続ける。

「それから私に残った感情はママに対する怒りだけだった。精神的な負担から人前が苦手になり、学校でもうまくいかないことが多くなった。そのたびにママへの恨みが増幅していき、また辛くなるという負の連鎖。それと同時に私からママの愛を奪ったアイドルという職業への興味も増えていった。私をこんなに苦労させておいて、半端なものだったら承知しないぞってね」

 あかは背筋を伸ばし真剣な顔になる。

「アイドルがもし素晴らしいものならなら、私もそれを経験したい。多分、それを経験することでしかママを許せないの。こんなに素晴らしい仕事なら娘に押し付けたくなるなって納得したいの。それを考えている時に運良く鮫元さんに声をかけてもらった。今年の三月よ。あとでスカウトしてもらった時の手紙を見せるわ。そこからはとんとん拍子。アルバム発売にライブ、普通の人なら一年以上かかるところを一ヶ月でかけぬけたわ。本当に鮫元さんのおかげ」

 そこまで話し終わるとあかは立ち上がり背伸びをした。服が少し短いのかお腹のところに若干肌色が見える。ああ、これが素肌ってやつか。

「あんた、何見てんのよ!」

自分が原因で肌を露出したくせにあかは顔を名前の通り赤くしてこちらに逆ギレする。俺は淡々と説明する。

「これは不可抗力だ。というか腹回りくらい別にいいだろ。水着とかじゃ露出する部分だし」

 あかは少し落ち着きを取り戻し、しっかりと俺を見据える。

「今からあんたに感謝を伝えようと思っていたのに。どうしよっかな」

「すみませんごめんなさい僕が悪いです」

 俺の慌てた謝罪を見てあかは満足している。そして、優しい声で話の続きを述べる。

「あんたがライブに来た時、本当に混乱した。だから、その、ビンタについては申し訳ないと思っているわ」

「本当にな」

 あかは本当に申し訳なさそうに顔を下に向けた。しかし、次の瞬間には弾けるような笑顔を浮かべる。

「でも、その後、鮫元さんとの電話の時にあんたは私の努力を評価してくれた。当たり前だけど事務所の人は私のことをよく思っていなかったから褒めてくれたのはあんたが初めて。しかもその人が凄腕転売ヤー、本当に私は運がいいわ」

「え、それって、俺がマネージャーになったことがよかったってこと?」

「まあ、今日だってこうして私の役に立つんだから、いないよりはマシよ」

 そう言うとあかは照れて顔を手で隠す。それから、勢いよく立ち上がる。あ、また素肌が。

「あああああ、もう、なんで話したんだろう! これ今夜絶対後悔するやつだよ。本当に嫌だ。いい、秘密を話したし、恥ずかしいことも言ったんだからちゃんと責任を取りなさいよ!」

 そう言うとあかは両手をぎゅっと握りしめた。そしてドカンと椅子に座り直す。

「さあ、私は話したわ。あんたも洗いざらい話しなさいよ! 転売ヤーになった理由、私のマネージャーになった理由」

「なんでそうなる。それにお前のマネージャーになった理由は話しただろう」

「改めてよ」

 改めてってなんだよ。納得はできないがあかの恥に免じて俺は口を開く。

「お前のマネージャーになったのは以前話した通りプロ転売ヤーとして次のステップに進むためだ」

 俺は一度話を止めて外を眺める。幼稚園生くらいだろうか? 男の子が電車に向かって手を振っているのが見える。その眩しい笑顔を見て、俺は格好つけるのをやめることにした。

「まあ、それは本当だがそれが全てじゃない。正直言えば、鮫元さんの脅しが効いた。俺はこの地位を失うわけにいかない。だから、渋々引き受けたとも言える」

「察してはいたけど言葉にするとだいぶダサいね」

「それをわかっているから話したくなかったんだよ。それと、転売ヤーになった理由だが俺は覚えていない」

 あかは首を横に曲げ理解不能とでも言いたそうだ。俺は彼女に理解させるためにさらに話を進める。

「どうでもいい話だけどな、小四の四月に俺は交通事故にあった。その時に事故前半年間の記憶を失ったんだ。今もその期間のことは思い出せない」

あかは驚きのあまり体をのけぞらせる。

「ぜ、全然どうでもいいことじゃないじゃない」

「いや、どうでもいいことだ。勉強の遅れも一ヶ月くらいで取り戻したし、友達も普通に接してくれたから問題なかった。唯一困ったのは俺がその期間に転売ヤーになっていたこと。転売についてのノウハウがびっしり書かれた転売ノートを見つけた時は驚いたよ。でも、家族や友達を含め俺が転売ヤーだったことを知っている人はいなかったし転売ノートにもなぜ自分が転売ヤーになったかは書いていなかった。それでも転売ノートを元に転売を続けていたらなんだかんだ楽しくなって今に至る」

 あかは両手を口に当て驚いている。背中は椅子に力なくもたれかかり、足は左右バラバラに開いている。よっぽど衝撃だったのだろう。少し重い話だったかな。

「本当にびっくり。まさか、あんた……」

「ごめん、俺は大丈夫だから。お前がなにか気を使う必要はないぞ」

「本当にびっくり。まさか、あんたに友達がいたなんて」

「え、そこ?」

 彼女は俺を馬鹿にしてそう言っているわけではなさそうだ。どうやら本気で俺に友達がいたことを驚いている。いや、クラスではぼっちだけど友達くらいいるよ、と思ったが俺は中一から一人も友達が出来ていないことを思い出した。

 妖怪傷口を塩揉み女、ここにもいたか。

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