第10話 神流みくにはまさに神だったりして (3)
俺は困り果てていた。特別マネージャーとして何をすればいいか完全にわからなくなっていたからだ。そもそもマネージャーとは何か、プロデューサーとは何かすらわからない。一応、転売ヤーの知識を活かしアイドル界のデータ分析や広告作成はできる。
しかし、あかは新人アイドル。歌や踊りのレッスンはどうするか、アイドルとして日常生活で注意しなければいけないことはなにかなど、マネージャーが管理したり、教育したりすることが沢山ある、と思う。それすらもよくわからない。まさか俺が歌の指導? 阿賀ライ以外の曲は無理だ。
こんな状態で一ヶ月後結果を出す、無理だ。そこで首になればもう在庫は転売できない。大雨に打たれている気分だ。
「先輩、大丈夫ですか?」
「うん? ああ、ごめん」
天野くんが声をかけてくれた。演劇部でアイドル活動のヒントを得よう作戦が失敗した俺はすっかり落ち込んでいた。
「それにしても、神流先輩と阿賀野先輩、どこ行ったんでしょう。みんなで探しに行ったほうがいいですよね?」
二人がトイレに行ってから三十分は経っている。さすがに遅い。辺りもかなり暗くなってきた。俺、天野くん、秋乃さんが二人を探しに行こうと席を立ったところで二年S組のドアが開いた。
「ハロチャオーみんな、ごめんね、遅くなった」
元気よく神流、続いて元気なしあかが教室に入ってきた。
「あ、先輩。良かった、私たち二人を探しに行こうとしていたんです」
秋乃さんがほっとして声をかける。
それにしても、神流とあかの表情が違いすぎる。神流の嬉しそうな表情、あかの不安そうな表情、一体なにがあった?
「お前たち――」
「みんなー、聞いて!」
俺の声は神流に遮られた。
「そんなに大声出さなくても聞こえているよ。人数考えろ」
俺の注意は意味がなかった。彼女はそのままのテンションで演説を続ける。
「サンゴくん、黙って。では、切り替えて問題です。今日は四月二十六日ですが、一ヶ月後の五月二十六日には何があるでしょう?」
黙って、だと。黙って、の後にニコっとすればいいと思っているのか。まあ、かわいいから許す。
「お前の誕生日?」
「ぶぶーっ。サンゴくん、私の誕生日はオードリーヘップバーンと同じって教えたでしょ!」
「教えたでしょ、と言われてもオードリーの誕生日を知らんのよ」
「ええええ、もうすぐだよ。ちゃんと祝ってね。はい、じゃあ問題に戻ります。他に答えられる人?」
一瞬間が空いた後、手を挙げたのは天野くんだった。
「はい、天野くん」
「……文化部発表会、ですか?」
ただでさえ明るい神流の表情がますます明るくなっていく。
「正解正解大正解! さすが私の後輩! そう、文化部発表会があります。そこで、実は……」
彼女は少し身をかがめて周りを伺う。そして、その視線があかのところで止まる。
「実は、阿賀野あかさんと私、ダブル主演でミュージカルをやることにしました!」
「え」「え」「え」
どこかで見たことがある反応。俺、天野くん、秋乃さんは口を半開きにしたまま固まった。
「やるにあたってあかちゃんからみんなに伝えることがあります。じゃあ、あかちゃん、いいかな?」
「ちょ、ちょ、ちょっと待て。ミュージカルって――」
「黙れサンゴくん。あかちゃん、みんなにあのことを。大丈夫、みんな受け入れてくれるよ。思いのほか簡単に」
黙っての次は黙れ、言葉強くなっているよ。でも相変わらずニコッっとした顔が憎めない。かわいい、許す。
「えと、ミュージカルをやります。その前に一つ、みなさんにお伝えすることがあります」
あかは大きく息を吸った。一同があかに注目している。
「わ、わ、私、あ、アイドルなんです!」
「ああ、そうなんですか」
「紅(こう)先輩かわいいからお似合いですね」
あかの一世一代の告白は天野くん、秋乃さんには刺さらなかった。二人は全く動じることなくその告白を聞いた。あかは明らかに動揺している。
「え、みんな驚かないの?」
「うちの高校マンモス高ですからね、色々な人がいます。ハンドボール日本代表、ドラフト一位指名確定の野球部エース、人気雑誌のモデルにフォロワー百万人越えのTokTiker。これ以外にも有名人は多いですから特に驚くというのはないです」
天野くんはテキパキ答える。なんでハンドボール日本代表を最初に置いたのかはわからんが。
まあ、正直こんなものだろう。トップアイドルとまではいかないにしても、一応芸能活動していますという人は意外と多い。それがマンモス校ならなおさらだ。
「だから言ったじゃん、あかちゃん。みんな簡単に受け入れるって」
「もう少し驚いてほしかった」
あかは少しむすっとしている。
「まあまあ、文化部発表会でみんなを驚かそうよ。今は無名の新人アイドルだけど、発表会が終わる頃には二千五百人のファンを獲得できるよ!」
「そうか、そうか、そうか!」
俺はそれを聞いた瞬間思わず叫ぶ。周りの人は引いているが構わない。
まずは学校の生徒をファンにする、いい手だ。岩盤支持層の獲得、これは転売の世界でも重要だ。俺には、転売商品はレイドエイトからしか買わないと強力に支持してくれる人たちが一定数いる。他の転売ヤーに価格で負けていたり、多少商品の質が劣っていたりしても彼らは俺から商品を買ってくれる。そういう人たちのおかげで乱高下する転売の世界でも安定した収入が入り、安定した投資ができる。それが利益につながるのだ。
そうか、そうだよな。せっかくマンモス校なんだからそれを活かさなくちゃな。二千五百人中百人でも岩盤支持層として支持してくれる人ができれば相当強い。絶対的な支持は上辺だけの数より重要である。
特別マネージャーとして路頭に迷っていた俺にとって一筋の光がさした気分だ。とてつもなく大きくて、目に見えない社会を相手に戦わなければいけないと思っていた。もちろん、いずれはそうなるだろうが、今は身近な学校、そこで結果を出せばいい。それで十分なのだ。
「あか、文化部発表会が成功に終わったなら、それは目に見える成果と言えるよな?」
「ええ、まあ、そうね」
文化部発表会であかが活躍すれば部屋に積まれたCDも売れる。あ、その前にこれを聞かなければ。
「お前、全校生徒にアイドルやっているって明かすのか?」
「それはその時の気分次第よ」
うーん、これはよくない。あかが明かさないと当然CDを売ることはできない。まあ、その時の気分を信じるしかないか。
「とりあえず、俺も暫定マネージャーとしてできることは協力する」
そう言うと神流が嬉しそうに俺の手を掴んできた。うわ、かわいい、どうしよう。
「ありがとう、サンゴくん。とりあえず演技とか歌は私が指導するからサンゴくんは道具や衣装の準備をお願い」
「オッケーだ。でも、道具とか衣装はお金かかるよな? それらは部費でまかなえるのか?」
「最低限はね、でも、ワンランク上の舞台にしたいなら足りないかも。そこはレイドエイトの手腕でお金を集めてほしい」
「了解した。その場合、原資は部費からとなる。さすがに個人のお金は使いたくないから。それと――」
ってあれ?
「レイドエイト?」
「そう、サンゴくん、凄腕転売ヤーなんだって? かっこいい!」
「なんで知っているの?」
「私が教えたのよ」
あかが指先をいじりながら答える。全く悪びれる様子はなく、淡々としている。
「お前、なんで?」
「あんたは期限付きとはいえ私のマネージャーでしょ? マネージャーはアイドルのわがままを聞くのも仕事なの」
「いや、だからなんで言う必要があった?」
俺が少し不機嫌になっているのを察してか神流が口を挟む。
「あかちゃんね、私に歌とか演技を教えてもらうのに、恩返しができないって悩んでいた。別に一緒に舞台に立ってくれるだけで十分なんだけどね。それで、何か私に欲しいものはないかって、それが物だったらなんでもプレゼントするって」
「なるほど、それで俺ってわけね。凄腕転売ヤーレイドエイトにかかればなんでも手に入ると」
「そうよ、悪い? マネージャーなんだからそれくらい手伝ってよね」
なんでこう、俺にだけ可愛げのない態度をとるのかな。
「わかったよ。本来俺が担わなければいけないところを神流が手伝ってくれるんだ。俺もその感謝はしたい。ただ――」
「ただ?」
「なんでもは無理だろ。もし、モナリザが欲しいとか言われたらどうするんだ?」
「それは、あんたが華麗な手口で」
「どこぞの大泥棒じゃないんだ。合法的な範囲で手に入る物、ただし値段一ま、二万円以下に限る、それがプレゼントできる上限だ」
「けち、もっと稼いでいるくせに」
「これでもだいぶ譲歩したぞ」
「あ、あのー、それで、神流先輩が欲しい物ってなんですか?」
痺れを切らして秋乃さんが間に割って入ってきた。
「ああ、ごめん。神流、俺が言った範囲で好きな物を選んでくれ。手に入れる努力はする。約束はできんがな」
「そんなこと言って絶対手に入れるくせに。私、プロがどういうものなのか知っているんだから」
ししし、と彼女が笑う。ものすごーく嫌な予感。
「では、発表します。私が欲しい物は――」
「とりあえず今日はここまで。サンゴくん、あかちゃん、来てくれてありがとう」
時計を見ると七時半になっていた。辺りはすっかり暗くなっている。天野くんと秋乃さんは十五分ほど前に帰った。俺もその時に帰りたかったが、あかに止められた。確かに、神流と一対一で話すのはかなりしんどい。
教室から出ようとすると今度は神流に止められた。まだあるの? もう帰らせてくれ。
「ごめんごめん。最後に一つだけ。二人とも、コード交換しよ」
「コードってなに?」
俺が尋ねると神流とあかは呆れと驚きが混ざった表情を浮かべる。
「あんた、コードを知らないの? この時代知らない人がいるとは思わなかった。友達登録した者同士でメッセージを送りあえるアプリよ」
「ツイターのDM特化版みたいなやつか?」
「まあ、そんな感じ。ていうか、あんたツイターやっているの?」
「まあ、仕事で。この学校で繋がっているのは四万十くらいだが」
「へー」
あかは興味なさげに呟く。
メッセージを送り合う友達がいない俺にとってコードというアプリは必要ないものだった。だった、過去形。今はあかや神流との連絡にあると便利だ。俺はさっさくアプリをダウンロードする。QRコードを読み取り、あかと神流を友達登録する。ピロリン、『よろしく』。あかからだ。ピロリン、神流から。なんだ、スタンプ?
「かわいいでしょ、そのスタンプ」
これがかわいいのか? 画面を見ると、ぶさかわ、というか不細工にしか見えないクマのような生物が手を降っている。クマか? なんだこれ。気持ち悪い。
ピロリン、あかから。
「それ、鮫元さんと柊さんのコード。追加して挨拶しときなさい」
「え、プロデューサーとかマネージャーとのやりとりもコードなの? 電話とかメールだと思っていた」
「何十年前の話をしているの? 一応電話番号は知っているけどコードには通話機能もあるからそれで十分」
「そうなのか!」
思わず声が上ずる。俺が知っているSNSはツイターとTokTikだけ。TokTikはよくツイターの広告で出てくるだけで使ってはいない。俺がぼっちをしている間に時代は進んだんだなー、と感動する。
「サンゴくん、なんか人類の進歩に感動してますみたいな表情だけど、コードは結構昔からあったよ。スマホが開発されてから割とすぐできたアプリだし……」
「そうなのか……」
二回目のそうなのかは悲しい音色だった。
神流とあかはスクールバスなので、俺とは昇降口前で別れる。
「じゃあ、ばいばい!」
「じゃあね」
神流とあかが別れの挨拶を口にする。俺はワンテンポ明けてから、
「ああ、また」と答えた。
誰かと別れの挨拶をしたのは何年ぶりだろう。いつも一人でさっさと帰っていたのでそんなことをする機会がなかった。俺は昇降口を出て左側に進み自転車置き場に向かう。手早く自転車の鍵を解除し、そのまま帰ろうとしたが一度立ち止まる。
「忘れないうちに送っておくか」
俺は鮫元さんと柊さんにコードで挨拶を送り、それから帰路についた。
阿賀ライのJK宣言を歌い終わったところで家に到着。天の自転車を外に出し、自分の自転車を奥に止める。
「ただいま」
あの夕食以来、天とは気まずくなっている。よって、ただいまの挨拶は控え目だ。風呂と食事を済ませスマホをチェック。鮫元さんからは何もきていなかったが、柊さんから返信があった。
『遅くなってしまい申し訳ない。色々業務連絡がある。今晩十時くらいから電話できるかな?』
時計を見る。今は九時半、問題ない。
『了解です。いつでも出られるようにしておきます』
さて、あと三十分。神流の欲しい物の確認だけしておくか。
彼女が欲しい物はオードリーヘップバーンの写真集。古本屋で一目惚れし、購入しようとしたが、その時持ち合わせがなかったらしい。十年以上前に発売されたものらしく、フリマサイト等で探しても見つからなかったそうだ。
俺は写真集の出版元を確認したが、案の定絶版になっていることが判明した。次に、フリマサイト、アプリ、さらにオークションサイトも確認したがどこにも出品されていない。厄介だ。
突然スマホが鳴った。柊さんからだ。まだ十時十分前、早いな。俺はノロノロとスマホを手に取り、通話を開始する。
「もしもし、阿賀野あか特別マネージャーの渡良瀬そらです」
『はは、その挨拶よく似合っているよ。やぁ、夜分遅くにすまない』
柊さんの声は、ハキハキしていた。一日の疲れを全く感じさせない。
「遅くというほど遅くはないので大丈夫です」
こういう時に大事なのは相手に舐められないことだ。まして俺はいろはのいもわからない新人、舐められたらどんな無茶を押し付けられるかわからない。
「それで、ご用件はなんでしょう?」
『うん、まずは――』
ピロリンピロリン。コードになにかが送られてきた。
『届いたかな? まあ、関係者の連絡先というところだ。うちの事務所の総務部や経理部の担当者、よくお世話になる芸能関係者に歌やダンスの先生も含まれている。後で自己紹介がてら挨拶するといい』
「はあ、本当に僕が全部やるんですね。今になって実感してきましたよ」
『誰だって最初はそうだ。でも、あかから聞いたのだけど、神流ちゃんも色々手伝ってくれるんだろ? 心強いじゃないか』
「彼女をご存知なんですか?」
『業界じゃオーディション荒らしとして有名だよ』
「荒らしているのに合格したことはないそうですよ。大人の事情ってやつは残酷ですよね」
『それは業界人として申し訳ないと思っている』
柊さんは申し訳なさを微塵も漏らさずにそんなことを言う。
『話を戻そう。まずは、君の給与のことだ。さすがにボランティアでこんな責任が重い仕事を頼むわけにはいかない。事務所としては税金等引いて、手取りにすると月十四万円ほどを払おうと思っている。納得してくれるか?』
「高卒初任給の平均より少し高めという感じですか。まあ、高校に行きながらとなると働ける時間も少ないですし、そもそも給与のために働くわけじゃないですから構いません」
正直大手事務所なのでもう少しもらえるかと思っていた。ただ、実家暮らしでお金がかかることはないので問題ない。
「それより、どこからどこまでが経費で落ちるのかをお聞きしたいです。レッスン代とか衣装代とか」
『ああ、そのことなんだが……』
急に柊さんが気まずそうにする。
「あかから聞いたが一ヶ月後文化部発表会に出るそうじゃないか」
「ええ、まあ。当分はそこでファンを獲得するのが目標です」
「つまり、活動の主体は学校になるわけだ。実は、事務所内で学校行事のためにお金を出すのはいかがなものかという声が出ているんだよ」
俺は嫌な汗が首をつたうのを感じる。
「はい? 確かに校内での活動ですが、それはあかの今後を考えてのことです。十分必要経費だと思いますが?」
『まあね、でも大手とはいえ事務所に金銭的な余裕があるわけではない。削れるところは削りたいというのが本音なんだ』
「それで無名の新人アイドルを削れと?」
電話の向こうでため息が聞こえる。いや、ため息をつきたいのはこっちだ。
『君は鮫元さんに任命されたわけだが、その鮫元さん自体も謎に包まれている。謎に包まれた人に任命された君は事務所の人間からすれば赤の他人、そんなやつにお金を任せられるかという声も根強い。もちろん、僕も君の就任を押した責任は果たしたい。ただし、そのためには――」
「結果を出す必要がある」
『そういうことだ。とりあえず、五月いっぱい君たちの活動を見て、六月以降どうするかはそこから考える』
電話が終わり俺はパソコンの前の椅子に腰掛ける。
「それはそうだよな」
俺は一人で呟く。アイドルは多くの成功、失敗を経てデビューするのだろう。そしてさらに努力を重ねライブやファン交流を行い一流になっていく。その過程で事務所とアイドルの関係は深まり戦友になっていく。
対してあかは社長お気に入りの鮫元という謎の人物にプロデュースされ、大した結果も出さずにデビュー、挙げ句の果てには素人の高校生を特別マネージャーとして向かい入れる始末。柊さん以外の事務所の人間からしたら、俺もあかも在来種を蹴散らし栄養を奪い取る外来種でしかない。
俺はパソコンを立ち上げる。時刻はまだ十時半だが変な疲れが溜まっている。レイドエイトとしての仕事をしようと試みるが集中できない。
「寝るか」
俺はパソコンを閉じ、そのままベッドに潜りこんだ。
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