第9話 神流みくにはまさに神だったりして (2)
みくにさん、いや、みーちゃんがトイレに行くと言うので私は後を追った。トイレに行きたいわけではなかったけどその背中を追わなければならないと感じた。さっきの演技、我ながら上出来だと思う。もちろん、みーちゃんの演技には足元にも及ばない。けど、あの状況で台詞を言えただけすごいと思う。自画自賛、すごいぞ、私。
みーちゃんは走っていたのでもうトイレの中。私はのんびりと歩きトイレに入った。そして驚きの光景を目にした。
トイレ内の手洗い場でみーちゃんは号泣していた。さっきの私のように。
「え、え、えっと、どうしたの? 大丈夫?」
彼女は驚いて顔を上げる。
「うわ、あかちゃん。見られちゃった、恥ずかしいな」
いたずらっ子のように彼女は笑う。しかし、その目は真っ赤に腫れている。さっきの私もこんな感じだったのだろうか。だったら死にたい。
「大丈夫?」
「うん、ありがとう。大好きなじいさんを残して月に帰るのが悲しくて」
不思議なことを言うな。
「この目じゃ教室に帰れない。サンゴくんにも後輩たちにも笑われちゃう。とりあえず屋上で時間つぶそ」
私は首を縦に振って同意の意を示した。
うちの学校の屋上は第二校舎のみ立ち入り可だ。そこは周りをネットで覆い、バスケットボールコートになっている。
時刻は六時をまわり周囲は段々と暗くなってきている。私とみーちゃんは端っこのベンチに腰掛け話をする。
「みーちゃんは四万十さんと友達なの?」
「えー、最初の質問がそれ? うん、まあ、友達だよ。向こうはそう思ってないかもだけど」
「あの人は冷たい人。私、勝手に凛として優しい人だと思っていた。それなのにひどい言葉をかけられた」
「まあ、トトちゃんは昔からそういう人だよ」
「昔から?」
「そう。私、小学校三年生までトトちゃんと同じ私立に通っていたの。当時から自分の意見をはっきり言って、男女問わずよく喧嘩になっていた」
「当時は孤立していなかったの?」
「逆だよ。よく喧嘩はしていたけど、明るくて、人の輪の中にいた。でも小四の夏休み、ショッピングモールで偶然会ったときには別人のように冷たくなっていた。今みたいな感じ」
あの人が明るい? 人の輪の中? 信じられない。
「四万十さんは――」
「トトちゃんの話はもういいでしょ。私にも興味持ってよ」
みーちゃんは少し寂しそうに笑っている。
「ああ、ごめん」
「私の演技どうだった?」
「すごかった。すごいという言葉では足りないほど」
「わー、嬉しい」
「でも、ちょっと怖かった。なんだか吸い込まれそうで」
「それも褒め言葉だよ。かぐや姫は月の人間だから、地球人とは違う不気味な感じがあるんだ。なかなかそこが掴めなくて、でも、今日ようやく憑依できた」
「憑依? じゃあ、泣いていたのって……」
「役からうまく戻ってこられなかったの。あの時の私は半分かぐや姫だった」
背筋になにか冷たいものが走った。私は純粋な恐怖を感じる。
「それって、危ないんじゃない? 台本に死ぬと書かれていたら本当に死んじゃいそう」
「少なくとも心は一回死ぬよ」
私は思わず立ち上がる。
「そんな風にしてまでお客さんになにを届けたいの? それだけ命を削っても、お客さんはいい芝居だったって言うだけだよ。釣り合わないじゃん!」
みーちゃんはそれを聞くとゆっくり立ち上がった。そして、奥のバスケットゴールの方を見ながら私に質問する。
「ねえ、演じるってどういうことだと思う?」
その声は不思議な重みを持っていた。
「嘘をつくってことかな。役者に限らずステージに立つ人はどこかで嘘をついていると思う」
「それは違うよ」
はっきりと断定した。みーちゃんの言葉はますます重くなっている。
次の瞬間、彼女の顔が私の目の前に現れた。まるで、ホラーゲームのように音もなく。顔と顔の距離は十センチ未満。彼女は悪魔のように微笑んだ後、私の手を取る。私は恐怖と衝撃で動けない。彼女は少し顔を離すと、何かが崩壊した目をこちらに向けて話を続ける。
「それは違うよ、あかちゃん。演じることは生きることだよ。人は一生演じて生きていくの。仲良しグループの中、好きな人の前、お客さんに見られたステージの上、そこにいる人ははたして本当に『同じ人』なのかな? 違うよね。好きなのに嫌いと言ったり、嫌いなのに好きと言ったり、人は常に『演じて』生きているんだよ。それは嘘じゃない。あくまでも演じられた真実なんだよ」
さっきのかぐや姫とは違う、間違いなくそこにいるのは神流みくにだ。彼女自身の狂気が私の前に現れているんだ。
「だから、その演じることをプロにする女優は、ある意味だれよりも生きることに向き合っているの。私はお客さんのために演じない。あくまでも自分のために演じる。私が生きるために演じるの」
自分のために、どこかで聞いた台詞だ。
「といってもオーディションに落ちまくっている、ズブな素人なんだけどね」
あはは、と彼女は笑っている。狂気は過ぎ去ったらしい。ほっと一息つく。
「で、あかちゃん。君は何を演じているの?」
心臓がどきっとする。しかし、みーちゃんの目は先ほどの恐ろしい目ではなくなっていた。緊張が解け、思わず口も軽くなる。
「私ね、アイドルなの。芸名が阿賀野あかっていうんだ。だから、さっきみーちゃんが私をあかちゃんって呼んだの、本当にびっくりした。」
あ、言っちゃった。まあいいや。私は構わず続ける。
「私、まだまだ新人で実力もない、それに、アイドルのくせに人前でなにかするのが得意じゃないの。だから、人前での立ち振る舞いを学ぼうと思って今日来たの」
「そういうことだったんだ。サンゴくんとはどういう関係?」
「色々あって、彼が暫定的に私のマネージャーとプロデューサーみたいなことをしている。一ヶ月以内に結果を出さなきゃ首にするけど」
「あかちゃんはどうしたい? 結果を出したい?」
「まあ、やるからには」
「なら、演じるしかない。アイドル阿賀野あかを演じるんだよ。安心して、私がみっちり教えるから」
みーちゃんは任せなさいという表情だ。さらに、小さい子供のようにニヤニヤする。嫌な予感。
「それに私、いいアイディアがあるの。それはね――」
私はそれを聞いてぶっ倒れそうだった。
「無理無理無理。絶対無理だって」
「大丈夫。君なら大丈夫」
「無理だよ。」
「あかちゃん、あかちゃんは演技の幅が狭いんだよ。だから、迷う。でも大丈夫。演技の幅が広がるということは生きる幅も広がるということ。ねえ、新しい自分に出会ってみたくない?」
新しい自分、ってなんだろう。仲良しグループの中でお荷物の自分、プロデューサーに逆らえず無理をしてしまう自分、感情をコントロールできずに人をビンタしてしまう自分。そんな自分以外にもまだ自分は存在するのだろうか。
「出会ってみたい。でも、みーちゃんにそんなにしてもらっても、私には返せるものがない」
「いいのいいの、今言ったことをやってくれるだけで十分だから。ね、やろ」
その時、私は渡良瀬そらの職業を思い出した。ああ、そうか。あいつは一応マネージャー。私の活動に必要なものは支給してもらわないと。
「わかったよ、やる。でも、しっかりお返しさせて」
私はそう言うと改めて彼女の目をしっかりと見据えた。
「みーちゃん、突然だけど何か欲しいものない? どんなものでも構わないんだけど」
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