第6話 そのアイドルはかなり重症だったりして(4)
そして、月曜日。無名アイドルを栄光へ導く熱い戦いがスタート、なんてことはなかった。
俺は筋金入りのぼっちである。それを一瞬で克服できるわけはなかった。土曜日はよくわからない勢いであんなことを言ってしまったが、アイドルのプロデュースなどできるはずがない。
俺の席は廊下側の一番後ろ。日はほとんど当たらず、暗い。そこから阿賀野あかこと阿賀野紅(こう)の席を眺める。彼女の席は窓側の一番前。西陽(にしび)を浴びて輝くその席で、彼女は数人の友達と喋っている。あんなことがあったにも関わらず、彼女と俺は帰りのホームルームまで一言も言葉を交わさなかった。ホームルームが終わり、四万十が待つ音楽室に向かおうとした時、後ろから声がした。
「ねえ、あんた。そのまま帰るつもり?」
紅だ。
「はえっ? あ、うん。ま、まあ、やることをやって」
ものすごく情けない声を出してしまった。そういえば、今日は一回も声を発していなかったかもしれない。
「なにその声、キモいんですけど」
「しょうがないだろ。声を出す準備運動をしてなかったんだから。それより、なんの用だ?」
「なんの用だ、じゃないでしょ。土曜日の件、話したいの。あなたが、あんなこと言うから鮫元さんも柊さんも乗り気になっちゃったの。あの二人、一度決めると頑固だから厄介。あんたも後悔しているでしょ? あの二人を説得して、諦めさせる方法を考えなきゃ」
諦めさせるもなにも俺がやらない、と言えば済む話だ。決定権は俺にある。だが――。
「後悔はしていない。言った通り俺はプロ転売ヤーだ。アイドルについての知識はほぼゼロだが、マネージャーとプロデューサーの二つを握れるのが大きいことはわかる。プロとして、お前を他人に売る。そこに迷いはない」
「いい? そもそも、あんたみたいな人にプロデュースもマネージャーもしてほしくない。私が嫌なのよ」
「まあ、気持ちはわかる。だから、助っ人に手伝ってもらうつもりだ」
それを聞いた瞬間、彼女が今までで一番の戸惑いの表情を見せる。
「ちょっと待って、言ったでしょ。私、学校の人にはアイドルのこと話してないって。なんで話さないかは察しがつくでしょ」
まあ、あんなステージをしているようじゃ話せないよな、というのは口に出さなかった。
「安心しろ、そいつは信頼できる同業者だ。俺と同じくぼっちだから他人にバラされる心配もない。とりあえずついてきな。音楽室に行く」
俺は半ば強引に彼女を音楽室へ連れて行った。
音楽室のドアを開けて俺と紅が中に入る。四万十は紅を見ても驚く様子はなかった。
「あら、こんにちは。今日で世界は滅びるのかしら。まさかあなたが女子を連れてくるなんて」
「おい、人をノストラダムスの大予言みたいに言わないでくれ」
彼女の言葉のキレは相変わらずだ。
「同業者って四万十さんのことだったのね。驚いた。あなたも転売ヤーだったなんて」
「あなたは私を知っているのね。でも、私はあなたを知らないわ。だから自己紹介をしてくれるかしら?」
「ああ、ごめん。私は2年A組の阿賀野紅。ここにいる男と同じ国際クラス。四万十さんは私のクラスでも有名だから知っている」
「どうも、初めまして。私ってそんなに有名なのね。それで、今日は一体どういう用件で?」
「それは俺から説明する」
俺が間に入る。なんだろう、なんだかこの二人を会わせちゃいけなかった気がする。少し言葉をかわしただけで雰囲気がピリピリしている。
「ええっと、前に話しただろう。俺が誤ってアイドルのCDを買ったって」
「ああ、無名アイドルの」
文字通り俺の背筋が凍る。紅は一瞬真顔になった後、元のニコニコした表情になる。
「ま、まあ、そのアイドルってのが」
「阿賀野さんってわけね」
四万十は至って真面目だ。決して悪意を持っているわけではない。だからこそ厄介なのだ。
「ライブ一昨日だったでしょ? どうだったの?」
「それが、まだまだ伸びしろがあるなという感じで……」
「つまり、現状は大したことないのね。まだまだということは、あまり良いライブとは言えない感じかしら」
言葉が出てこない。こいつの言葉のキツさは知っている。だが、今日はいつにも増してキレッキレだ。
「ええ、そうよ。ライブは大失敗だったわ。四万十さんじゃ理解出来ないでしょうけど、人前で何かするって大変なのよ」
紅は笑顔で返す。しかし、その体が震えているのがはっきりわかる。
うわ、怖。帰りたい。
「人前で何かするのがアイドルの仕事でしょ。それを大変に感じてしまうのは致命的ね」
ガタン、はあ、やっぱりこうなるよね。紅は音楽室のドアを勢いよく開け、出て行った。その様子を四万十は不思議そうに眺めている。
「お前さ、人の心がないのか? さすがに今のは言い過ぎでしょ」
「私は真実を言ったわ。人の心とかいう抽象的なものより、よっぽど分かりやすくて優しいものだと思うけど」
俺は大きくため息をつく。
「お前に助けを求めようとしたんだが逆効果だったか。実はな、色々あって彼女の特別マネージャーをすることになった。でも、実際何をすればいいかわからなくてな。お前の助けを借りようとしたんだが、この様子じゃダメっぽいな」
俺としては結構衝撃的なことを明かしたつもりだったが彼女は真顔のままだ。もっとびっくりするでしょ、普通。
「あら、そんな役職に就任したのね。おめでとう。でも、お察しの通り私は手伝わないわ。前に言っていたじゃない、プロとしてやっていくための試練なんでしょ? だったらあなた自身の力でやらなきゃ」
マネージャーになった経緯とか現状どうなっているかとか聞かないのか。まあ、彼女は普通ではないからな。
「そりゃそうだよね。時間取らせて悪かった。なんとか俺一人でやってみるよ。悪いな、転売についての意見交換出来なくて」
「構わないわ。それに、俺一人というのは変よ。私は手伝わないと言ったけど、私以外を頼ればいいじゃない」
「お前、俺がぼっちって知っているだろ。そんな頼る奴なんて」
「部活があるじゃない」
そうだ、忘れていた。俺は一応部活に所属している。幽霊部員だが。
「確かに部活には所属しているが俺は幽霊部員だ。頼ることなんて――」
「知り合いがあなたと同じ部活に所属しているわ。確か神流(かんな)みくにさんと言ったかしら。彼女に伝えといてあげる。これは最初で最後の援助よ。感謝しなさい」
彼女はスマホを取り出すし、何かメッセージを送っている。
「そんな、いきなり。それに、神流みくにって……」
「あなたの部活とアイドル活動は関係があるでしょ。きっと、良いヒントが得られるわよ」
「それもそうだが……。うん、それもそうだな。とりあえず顔を出してみるか」
急転直下で部活に顔を出すことになった。今日は活動日だったはず。今から行くか。俺はドアに手をかける。
「渡良瀬くん」
開けようとした瞬間、四万十に呼び止められる。
「なんだ?」
「君なら大丈夫」
え、どうした。そんなこと言うキャラじゃないだろう。彼女は優しい笑みを浮かべている。少しは反省して言葉の使い方を改めたのか。と思ったら……。
「なにしているの? なんで止まっているの? さっさと行きなさいよ」
それはそうだよな。四万十は四万十だ。
俺はドアを開ける。その瞬間、音楽室の窓からドアへ風が通り抜ける。その風に乗ってかすかに桜の匂いがした、気がした。もう散ったはずなのに不思議だ。俺はそのまま廊下に出て音楽室のドアを閉めた。
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