第5話 そのアイドルはかなり重症だったりして(3)
「本当に申し訳ない」
柊しんは深々と頭を下げる。
「あか、お前も謝りなさい。というか、お前が謝らなければダメだろ」
柊に促され彼女は渋々首を傾ける。
「悪かったわね」
おい、首の角度浅すぎだろ。片付け作業中だったスタッフの一人がアイスペールの中の氷をビニール袋に入れ俺に渡してくれた。それを左頬に当てる。ジンジンする。ポケットからハンカチを取り出し頬と氷袋の間に挿入。うん、良い感じ。よくねーけど。
「柊さん、顔を上げてください。彼女の気持ちも理解できます。あんな姿をクラスメイトに見られたら、恥ずかしくて記憶喪失になってくれないかと願うことでしょう」
俺は皮肉たっぷりに彼女を睨む。
彼女は殺意たっぷりに俺を睨む。
「本当に申し訳ない。今後病院に行くことになればその費用は全額こちらで負担する」
「ご心配なさらず、このまま冷やしておけば大丈夫だと思います」
柊しんは深くため息をついて彼女を見つめる。
「どうしてこんなことをしたんだ? クラスメイトがいて混乱したからって、やっていいことと悪いことがあるだろ」
――やっていいことってなんだ、まあいいや。
「すみません、少し熱くなりました。ただ、この最低ぼっち野郎は私を馬鹿にしにきたんです。事前にアルバムを大量購入し他の邪魔が入らないようにしています。そしてライブでの態度を見ましたか? あの『目』を。完全に私を馬鹿にしていました」
「あか、君は馬鹿にされないステージをこなせたと思っているのかい? この際だから言わせてもらうけど普通のアイドルなら今日の君のような状態でステージには立たない。立たせられない。君は専属プロデューサーがついて調子に乗ってしまったのかもしれないけど、この少年の考えていることは正しい」
なんで紅もこの人も、俺が今日のステージを馬鹿にしているって思っているんだよ。ひどいステージではあったがそれを馬鹿にする気はない。むしろ……。
「そんなこと自分でわかっています。わかっているからこそ、わざわざアルバムを大量購入して、クラスメイトの羞恥を見届けてやろうとする彼が許せなかったんです。彼がどうやって私を見つけたのかは知りません。学校の人にはアイドル活動について話していませんし、事務所のサイトにも顔写真含め詳しい内容は載せていません。それなのに、彼は私を見つけつきまとってきました。本当に最低ストーカー野郎です」
最低ぼっち野郎と最低ストーカー野郎はどちらの方が最低なんだろう。ぼっちであっても警察に捕まらないけどストーカーだと捕まる。てことは最低ストーカー野郎の方が最低か。
なんて考えている場合じゃない。
「待て待て待て待て。いいか、俺はストーカーではない。ぼっちであることは否定できんが……」
彼女は全身をこちらに向けまくしたてる。
「じゃあ何よ。広告もないアイドルのアルバムをたまたま見つけて、そのアイドルがたまたま私だったってこと?」
「少し違う。俺はな、お前じゃなくて阿賀ライのニューアルバムの初回限定版を買おうとしていたんだ。お前は知らないだろうけど俺は転売ヤーなんだ。阿賀ライは人気だからな、それなりのプレ値もつくんだ。だが間違えた。間違えてお前のアルバムを買っちまった」
彼女は一瞬驚いた様子を見せたがすぐに元のきつい表情に戻る。
「クラスでもなにを考えているか不明で気味が悪かったけど、転売なんていう最低なことをしているとわかって納得だわ」
「おい」
「え?」
「転売を最低と言ったか? 俺のことはそう呼んでもらって構わないが、転売を最低と言うことは否定する。いいか、ある商品を喉から手が出るほど欲しい人にとって転売は救いだ。夢だ。その人たちにとって転売ヤーは救世主だ。もちろん、転売の全てが正しいとは言わない。問題もある。だが、転売によって幸せになる人がいる以上それを馬鹿にしていいはずがない」
またやっちゃった。転売の話になると冷静さを失ってしまう。
「な、なによ。最低って別にそういうわけじゃ」
さっきまでの威勢のいい彼女はいなくなっていた。俺の思わぬ反撃にたじたじになっている。
「その、ええっと、そうよ、なんで返品しなかったの? 返品はできたはずよ」
「確かにお前のアルバムは俺の求めていた商品ではなかった。でもな、俺は転売ヤーだ。もっと言うとプロ転売ヤーだ。だからプラマイゼロで利益もゼロの返品なんて興味がない。一度買ったら絶対に利益を上げて売る、それがプロ転売ヤーってもんだ」
――ぴこぴこぴろーん、ぴこぴこぴろーん。
「失礼、僕の携帯だ」
柊しんは申し訳なさそうに懐から携帯を取り出す。
おい、今せっかく俺の名言が炸裂したのに。ちょっと余韻に浸らせてくれよ。柊しんは画面上に表示された相手の名前を見てあっと声をあげる。そして、その画面をこちらに見せる。
「鮫元大貫」と画面上には表示されていた。
彼は携帯を耳に当てる。一言二言なにかを話した後こちらに視線を向けた。
「鮫元さんがスピーカーにしてくれとのことだ。君たち二人と話したいらしい」
ちょうどいい。俺も話したいことがいっぱいある。彼は指で操作をし、スピーカーに切り替える。
『もしもし、あか、それからそら君と言ったかな。調子はどう?』
スピーカー越しに聞こえてくるのはボイスチェンジャーによって加工された声。甲高い声だがその声色からは男性か女性かを判断することはできない。謎が多いってこういうことね。
「もしもし、初めまして。渡良瀬そらです。客に電話をするのにボイスチェンジャーとは、プロデューサーってずいぶんと変な生き物ですね」
『君は面白いね。確かにそうだ。まずはこの非礼を詫びなければならない。しかしね、私は可能な限りあかに干渉したくないんだ。例え声だけであってもあかに影響を与える可能性があるならそれを排除する。そういうことだ』
「やはり変な生き物だ。干渉したくないという割には無茶苦茶なステージ演出をして彼女を追い込んでいる。これは干渉ではないと?」
「いいの」
阿賀野あかが横から口を出す。
「鮫元さん、こんばんは。私の実力不足で今日のステージは失敗してしまいました。申し訳ありません」
『最初のステージだからね、仕方ない。元々成功は予期していなかったから大丈夫だよ』
いや、おかしいだろ。俺は思わず口を挟む。
「仕方ないってなんですか。自分で無謀なステージをやらせておいて仕方ないですか? あかさんの気持ちを考えましたか? 確かにひどいステージではあったけど彼女は必死に頑張っていました。これはあんまりです。プロデューサーなら出来ること、出来ないことをしっかり区別した上でステージを演出するべきではないんですか? 素人ですが、僕がやった方がまだマシなステージになる自信があります」
『なら、君がやってみるか?』
「は?」「は?」
俺とあかが同時に反応する。スピーカーからは機会的な呼吸音が聞こえてくる。
『実はそれをお願いしたくて電話したんだ。君、素人ではないよね? 転売界隈では有名な人なんだろ。レイドエイト、少し興味があって調べさせてもらった。転売ヤーもプロデューサーも似たようなものだ。商品を見極め、高め、最終的には売上という形で価値を認めてもらう。私も、そこにいる柊さんも多忙の身、あかを売り出すにはベストとは言えない。その点君は、あかと同じ学校、同じクラス。よって関わる時間もたっぷりあるだろうから、私たちが知らない彼女の魅力を見つけられるはずだ』
一瞬の沈黙の後、最初に口を開いたのはあかだった。
「鮫元さん、いくらなんでもそれは受け入れられません。こんなド素人ぼっちにアイドルのプロデュースなんて出来っこありません。鮫元さんは、彼のクラスでの様子を知らないからそんなことが言えるんです」
おい、ボロクソに言ってくれるな。まあ、受け入れられないのは俺も同じだ。
「僕としても、受け入れられません。というか、得体の知れない人から、電話越しにそんなことを言われても受け入れる人間はいませんよ」
『そうか、残念だ。君は大量に不良在庫を抱え、どう転売するかに困っている。私の提案は、君の助けになると思ったのだけどね。それにしても、もし、この失態が世間に広まったら、プロ転売ヤーとしての君の名声は地に落ちるだろうね』
「ちょっと、鮫元さん。それはっ――」
あかが何かを言いかけていたが、それを俺の怒声が遮った。
「あんたは一体なにがしたいんだ! 自分が育てるアイドルを不良在庫と呼び、素人の男子高校生を脅す。最低だと思わないのか? 罪悪感はないのか? あかがかわいそうだとは思わないのか? 俺から言わせてもらえばあんたの方が不良品だよ!」
「まあ、落ち着きなさい」
柊しんが俺を制する。納得がいかない。柊しんはゆっくり、しかし、力強い声で携帯に語りかける。
「鮫元さん、あなたの正体は知りません。しかし、誰であろうと努力する人を悪く言う権利はありません。ましてあなたは彼女のプロデューサーなんです。成功を予期しないライブなどあってはいけません。ベストと言えないならプロデュースに関わるべきではありません。もちろん、今回の件は私にも責任があります。社長の影を恐れ、あなたの暴走を止められなかったという責任が」
『確かに言葉が悪かった。そこは謝罪しよう。しかし、私は明確な目的を持って彼女をプロデュースしているんだ。そこはわかってくれ。ただ、私は非常に忙しいし、褒められたプロデューサーでないのも理解している。そらくんにも断られたし、とりあえず、ベストと言える体制ができるまであかの活動は――』
「俺がやります」
「え」「え」『え』
あか、柊さん、鮫元が同時に反応する。
「僕がやります。彼女のプロデューサーもマネージャーも僕がやります。僕はプロ転売ヤーですから売れない商品はありません。最初からそう言えばよかったんだ。これは、僕に対する試練なんです。僕がやらなければ意味がありません」
なにかが吹っ切れた。全身の力は抜けているが、右拳だけきつく握られている。不思議な感覚だ。
「ちょ、ちょっとあんた、何言っているの! 頭おかしくなった? 目を覚まして」
「俺は正気だ。いいか、これは失敗ではなく大成功への第一歩だ。問題ない、俺に任せろ」
あかは本気で焦っている。
『さすが、君ならそう言うと思っていたよ』
「なんですか、なんか変な雰囲気になっていますよ。私は絶対嫌ですからね」
あかは一、二歩後退りをして、首を振っている。
『渡良瀬そら、君を阿賀野あかの特別マネージャーに任命する。マネージャーだがプロデュースもやってくれて構わない。実質的にマネージャー兼プロデューサーという感じだな』
「了解しました」
『私も時々は口を出すかもしれない。その時は盛大に喧嘩しよう』
あかは顔面蒼白になっている。今にも泣き出しそうな表情だ。
一方で、俺の表情は自信に満ち溢れているだろう。とんでもないことが起こったはずだが不自然なほど冷静さを保てている。左頬の熱っぽい痛みは消えたが、顔全体が別の熱っぽさで覆われている。なんだろう、ふわふわする。これは、現実なのか夢なのか。よくわからない。ただ、重く、ねっとりした時間がそこには流れていた。
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