第4話 そのアイドルはかなり重症だったりして(2)
最後の一曲が終わった。阿賀野紅は観客に一礼をしてステージを後にする。
ライブに参加した客はやはり俺を含めて4人だった。明るい緑色のワンピースを着た二十代前半の女性、サラリーマンなのかきっちりとスーツを着ている40代後半の男性、室内なのに麦わら帽子をかぶりサングラスをかけた50代と思われる女性、そして俺。
ちょっと待って、室内でサングラス? 確かにサーチライトみたいなやつは眩しかったけどサングラスなんてかけたら暗くて見えないと思う。それとも逆に見やすいとか。いや、逆に、ってなんだよ。
このようにファッションに疑問ありの観客も、他の2人の観客も、もちろん俺もそのステージには釘付けになった。どうかしている、それはあまりにも「ひどい」ステージだった。ひどすぎて、思わず凝視してしまったのだ。全員それが現実で起こっていることかを確かめようとしたのだ。
他の観客は終了と同時に帰ったらしい。だが俺はステージと客席を隔てるたった1・5メートルの壁、その壁に力無く手をつき動けないでいる。もちろん、たまたま誤注文して、たまたま来ることになったライブのステージに、クラスメイトがいたことには驚いた。
……だがそれ以上に。
「悪夢か、悪夢なのか、悪夢なのだな。今までも売れるか怪しい商品を俺の手腕で転売してきた。だが、これは、どうすればいい……。こんな感覚初めてだ」
CDの歌声は悪くなかった。だが、何度も言おう、ライブはひどかった。
頼むから口パクをしてくれと願ってしまうほど全てがずれた歌、思わず助けなければと感じてしまうほどもがき苦しむようなダンス、衣装はしっかりしているのにオーラのかけらもない圧倒的普通のJK感、全てがマイナス。
いっそCDだけ売り飛ばすか。CDだけなら悪くなかった。いつかライブをやった時に、CDを買ってくれたお客様は激しく失望するだろうがそれでもいいのではないか。別にライブが全てじゃないし。そうだ、俺が買ったのはCD、それを売れば良いだけじゃん!
思わずプロ転売ヤーの自覚が揺らぐ。とりあえずライブに足を運び2、3点ストロングポイントを見つけさっさと494枚のCDを転売する。そんな甘くて淡い計画は打ち砕かれた。阿賀野あかを売るためには圧倒的な力不足。
「君、君、君!」
はっと顔をあげる。そこにはライブにいたサラリーマンがいた。心配そうにこちらを見ている。まだ帰っていなかったのか……。
「君、大丈夫か? さっきから何回も呼んでいるんだよ」
「は、はあ。ちょっと衝撃のあまり動けなくなってしまって」
俺はダラリと壁から手を離し男性の方に体を向ける。
「君のその感覚は正しい。ただ、僕はちょっと複雑だよ。一応このライブ運営に関わった身としてはね」
そう言うと男性は胸ポケットから皮のケースを取り出す。名刺入れだ。そこから一枚名刺を取り出し両手でこちらに差し出す。そこに印字されている社名を見て俺は思わず目を丸くする。
「申し遅れました。私東京ワンダープロダクションで阿賀野あかのマネージャーをしております柊(ひいらぎ)しんと申します。この度は彼女のファーストアルバム『月下美人』の大量購入、並びにこうしてライブまで足を運んでくださったことを心より感謝申し上げます」
なんてことだ。この人は観客じゃなかったのか。
東京ワンダープロダクションは阿賀ライも所属している大手芸能事務所。有名俳優や女優も所属しているがこの事務所の強みはなんといってもアイドル。阿賀ライ以外にも毎日メンバーの誰かしらがテレビに映る人気アイドルグループや、10年以上業界のトップを走るカリスマ男性アイドルなども所属している。
そんなところになぜ阿賀野あかのようなやつが混じっているのか。俺はまずは丁寧に返答する。
「いえいえ、実はトラブルで意図せず購入してしまったのです。それでも今日はいい経験になりました。そして、それを踏まえて一つ質問です。少し聞きづらいのですが……」
「なんでもいいよ」
タメ語だし。金のところはしっかりやってあとは適当ってか。まあいいけど。
「東京ワンダープロダクションさんは阿賀ライなど第一線で活躍されているアイドルがたくさんいますよね。その、えと、そのような中になぜ阿賀野あかがいるのでしょう? 正直今日のステージは東京ワンダープロダクションさんの良さは出ていなかった気がします」
「そのことも含めて君と話がしたい。あとであかも君に会うことになっているから急ごう。そうだな、見てみな、左端にバーカウンターがあるだろう。立ち話もなんだからあそこで座って話そう」
急ぐ割には座って話す余裕があるのね。っておい、待て。
「阿賀野あかと僕が会うんですか? できれば避けたいのですが」
「悪いが『プロデューサー』命令なんだ。それにステージ中も彼女は君を意識していたみたいだったぞ。マネージャーとしては止めるべきなんだろうけど君と彼女がそれを望むなら僕はどうすることもできない。若者の青春力は計り知れないからね」
このおじさんはなに言っているんだ。
「あのですね」
「まあまあ、とりあえずカウンターに移動しよう。安心して、度数が低いお酒しか置いてないから」
それなら、ってだめだろう。柊しんは大人のわるーい顔を浮かべた後、くるりと俺に背を向けバーカウンターの方へ歩いて行った。
ステージや観客席には後片付けをするスタッフ10人ほどが残っていた。働くスタッフを横目に俺と柊(ひいらぎ)しんはドリンクを飲みながら話を進める。俺はオレンジジュース、彼はジントニック。
「単刀直入に聞こう。今日のステージはどうだった?」
カランという氷の音とともに柊しんは質問する。
「言葉を選ばずに言えばひどかったです。新人とはいえお金を取って客を呼んでいるんです。それに対してのリスペクトが全くなかった」
んぐっと酒を飲み込む音。そして彼は答える。
「ひどかったのは同感だ。だが、実を言うとね、今日の客は君以外いなかった。もともと発売されていたCDは五百枚だったんだ。君が495枚購入、あとの4枚は関係者で購入、残りの1枚が不明、そんな感じだ。今日ライブに来ていたのは君を除くと関係者だったんだ」
「そういうことだったのですね。でも、そんな状態でライブを開催するなんて普通はあり得ませんよね? それに阿賀野あかに対する事務所の扱いも変です。事務所のサイトにアルバム発売に関して広告がなかったし、ライブの告知はないし、そもそも阿賀野あかの紹介ページも履歴書みたいでしたし。本当に阿賀野あかを売る意思があるのですか?」
彼はあごに手を当てて考え込む。そして気まずそうな表情になる。
「もちろん、と言いたいところだが正直言うと僕にもわからない。彼女には専属プロデューサーがついているんだ。どうやらそのプロデューサーの意向で全てが決まっているらしい」
「らしい、ということは確信がないということですか?」
「そういうことだ。そのプロデューサーも謎が多い人物でね。わかっているのはその名前くらいだ。『鮫元大貫』、君も名前は知っているはずだ」
俺の思考回路が動き出す。そして一つの回答を得る。
「『月下美人』に収録されている曲の作詞は全てその人でしたね。アルバム収録の十五曲全てを担当していたかと。あと、アルバム名にもなっていて、今回の曲の中で一番力を入れたと思われる『月下美人』では作詞の他に作曲、編曲もされていましたよね。岩津ティララさんという方と一緒に。ティララという名前のインパクトも強かったのでよく覚えています」
「いい記憶力だね。その通り。それから……」
そういうと彼はズボンの左ポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出した。
『ステージ演出 鮫元大貫 ステージ演出補佐 柊しん』
その紙にはそう記されていた。
「今日のステージも鮫元さんの演出なんだ。一応補佐で僕も入っているけど全て鮫元さんの台本通りに進めた。実を言うとね、台本は素晴らしかった。でもあかの実力ではこなせなかった。専属プロデューサーだからそれくらいは事前にわかるはずなんだけどね。何を言いたいかと言えば」
一つの可能性。あり得てはいけないがそれ以外に考えられない可能性。
「つまり、今日のステージは意図的に失敗するように作られていた、そういうことですか?」
彼は静かにうなずく。
「そもそも僕がトラブルでアルバムを購入していなければ客は関係者以外ゼロ、そんな状態でもステージを強行しようとしていた。確実に失敗するとわかっていてもそうしなければいけない理由が『鮫元大貫』にはあった」
「僕もそう考えているよ。本当にあかは気の毒だ。ベテランでも難しい内容が演出に含まれていたし、そもそも会場にいるのはファンではなく関係者なんだから盛り上がるわけがない。荒手のいじめとしか思えないんだよ」
「事務所で問題にならないのですか? 柊さんは阿賀野あかのマネージャーなんですよね。抗議の一つや二つしないのですか?」
「するさ。それでも、社長が『全て鮫元プロデューサーに任せなさい』としか言わないんだよ。本人は鮫元さんには良くしてもらっているって言うし……。僕も他のアイドルのマネージャーも兼任しているから多忙でね、なかなかあかについていられない。かなり無理をさせているのかもしれないな」
本当に訳ありアイドルだった。専属プロデューサー鮫元大貫、どうやらこいつが今までのおかしなことの原因らしい。徹底的に「阿賀野あか」というアイドルを隠しておきながらライブは強行開催、そして結果は大失敗。いや、大失敗こそが大成功だったのか。
「そろそろあかが来る。今話したことは内緒で」
「はい」
あ、そういえば柊さんに阿賀野あかこと阿賀野紅が俺と同じ学校、同じクラスって伝えてない。まあ、いいか。クラスで紅とは一度も話したことがないが、今の話を聞いたら少し同情できた。優しく接せそう。優しく接すれば、流石に彼女も俺に優しく接するだろう。初会話でも大丈夫。
「ほら、彼女が来たよ」
紅だ。彼女はスタスタと元気よくこちらに向かってくる。良かった、笑顔だ。俺も笑顔になる。
「おう、あか、というか紅。驚いたよ。でも素敵なショーだった。ありがとう」
俺は席から立ち彼女に右手を差し出す。
彼女は俺の前で歩みを止める。
柊さんも笑顔、紅も笑顔、俺も笑顔、幸せ。だが、すぐにそんな幸せは崩れ去る。彼女は俺の差し出した手を握りかけてやめる。彼女は笑顔だ。
次の瞬間俺の左頬にバチーンと強い衝撃が響く。まず何が起きたかわからなかった。重い、痛い、熱い、何がどうなった? 体全体がなにか冷たいものに触れている。
俺は顔を上げる。そしてその視線の先に阿賀野紅の赤くなった右の手のひらと鬼のような形相を捉えた時に、俺は強烈なビンタをくらって床に倒れたことをようやく理解したのである。
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