第3話 そのアイドルはかなり重症だったりして(1)

俺は今埼玉高速鉄道東川口駅にいる。ここには聖地がある。というか聖地化を目指している場所がある。俺はその場所に掲げられた看板を見上げる。

『ガチャ始めました! 目指せ! ガチャの聖地東川口』

威勢のいい文字が並んでいるが残念ながら人はほとんどいない。埼玉高速鉄道は東京メトロ南北線直通、つまり都心直結の地下鉄だ。サッカーの試合時以外はほとんど混雑なしという超絶便利で快適な路線だが、なにせ運賃が高い。よって、多くの人はここ東川口を通るもう一つの路線、JR武蔵野線に乗り、東武や京浜東北線に乗り換え東京に出る。そうやって乗客は増えず、運賃はますます下がりづらくなる。その悪循環。

だから、俺のように仕事にはいくらでもお金をかけられるような人や純粋に埼玉を愛する金持ちはこの地下鉄を積極的に利用するべきだ。さいたまのため、川口のため、幻の岩槻延伸計画のため!

「さて、行くか」

俺は衝動買い、というか衝動ガチャしてしまった川口市マスコットキャラクター「ぷにぷにキュポラン」をリュックサックに押し込み立ち上がる。本日の目的地は渋谷。JRを利用した方が安いし早く着くが高額納税者の謎の義務感と愛県心で埼玉高速鉄道を選んだ。そもそもあんなミスを犯さなければ渋谷に行く必要がなかったのだが。

ががーんががーん、けたたましい音を立てながら列車は地下を進む。当然窓からはなにも見えない。音楽を聞く気にも本を読む気にもなれなかったので俺はぼーっと「あの日」の翌日、音楽室で四万十と話したことを思い出す。



「一応聞くけどさ、阿賀野あかっていうアイドル知っている?」

「知っている、と私が答えないのは知っているはずよ、渡良瀬くん」

彼女は氷のような表情でこちらを見ている。

こ、こ、怖。

「私は失望しているわ。レイドエイトでしたっけ? レイドゼロの間違いじゃなくて? ゼロは横に倒してもゼロなのよ。あなたにお似合いじゃない」

ぐはっ、効果は抜群のようだ。

「いや、悪かったって。あれ、でも失望してくれるの? 好きの反対は無関心。失望したってことは、お前は少なくとも俺に関心を持っている。それってついに俺を同業者以上のものと認めたって――」

「あら、おしいけどちょっと違うわ。以上ではなく以下、同業者として認めるのも嫌になったわ」

再びぐはっ、ダイレクトアタックが決まったようだ。四万十は呆れたような、でも少し悲しいような顔をして続ける。

「いい、レイドゼロくんくん、少なくとも私はあなたを尊敬していたし同業者以上にステップアップできるかもと思っていたのよ。その関係を何て呼ぶのかは知らないけどそういう未来もあったのよ。でも、わかるわよね? それはあなたが優秀な転売屋であることが前提なのよ」

「ああ、分かっている。期待を裏切って申し訳なかった」

俺は頭を下げる。四万十は俺を同業者として信頼してくれていたのにその信頼に傷をつけてしまった。完全なる俺のミス、しっかり謝罪をする。でも――。

「今回だけは許すわ。でも今後同じようなことをしたら私たちの関係はそこまでよ。じゃあ、この話はこれでおしまい。早く無名アイドルのCDは返品しなさい。まだ返品期間内でしょ? もたもたしていると忘れるわよ」

でも――。

「それはできない」

ピタッと四万十の動きが止まる。

「聞き間違いかしら。今なんて言ったの?」

俺は拳を握りしめ力強く四万十に演説する。

「それはできないと言ったんだ。確かに阿賀野あかは無名アイドルだ。『普通のやつ』ならまず転売なんてできない。でも俺は「プロ」だ。プロの転売ヤーなんだ。俺は間違えて買いはしたがそれを売れないとは言っていない。無名がどうした、ミスがどうした。そんなの関係ない。俺は必ず売り切る。返品じゃない、転売だ。どれだけ時間がかかっても大儲けしてやる。これはプロとしてやっていくための試練だ。ここで引くことはできない!」

刹那の静寂。それは俺が興奮状態から覚めるのに十分な時間だった。

やばい、言いすぎた。目線を少しずつ上げる。そしてその視線が四万十と交わる。お説教されるな。

綺麗な目、冷たい目、全てを見透かす目、大人の目。

……だがその目が一瞬小学生のような純粋なものになる。

綺麗な目、温かい目、何も知らない目、子供の目。

あれ、そこにいるのは……誰だ?

その人は、笑っていた。

「あはは、それでこそ渡良瀬そらね」

次の瞬間には彼女の目は大人の目に戻っていた。いつもの四万十だ。

「ふふ、渡良瀬くん、プロは有言実行しなければダメよ。ライブチケット付きアルバムでしたっけ? でもライブが終わったらチケットも紙屑だし第一そんなものが付いていたって無名アイドルのCDなんて売れないと思う。でも、あなたはやると言った」

「任せろ。今回は阿賀野あかの初ライブだ。流石にこのライブまでに転売するのは不可能だ。だが、俺はやる。必ず『レイドエイト』は転売を成功させる」



ががーんががーん、音が急にはっきりする。

そう、売り切らなければならない。プロとして、有能な同業者として。まずは商品を徹底分析。本来は購入前に済ませなければいけない作業だが仕方がない。ベターザンナッシング、やらないよりはマシ。

そうやってこの商品の良いところを見つける。正直俺のツイターを使えばCDを売り切ってしまうことは可能だ。俺がおすすめとつぶやけば一定の人数が動く。だが、俺はプロ。ちゃんと買った人が喜んでくれるように商品チェックは怠らない。そうやって自信を持ってお客様にお届けするのだ。

まずネットで阿賀野あかについて調べたが、わかったのは、彼女は俺と同い年の十六歳、事務所は阿賀ライと同じ東京ワンダープロダクションという大手、俺が誤って買ったアルバムがデビューアルバムということのみだ。

デビューアルバムの名前は月下美人。アイドルのデビューアルバム名が夜を連想させるのって少しまずくない? 普通は明るく元気にハッピーって感じじゃない?

事務所のホームページに彼女の自己紹介ページはあったが、顔写真は載っていないし、自己紹介の内容も履歴書と見間違えるほど無味乾燥としている。せっかくのデビューアルバムもその履歴書の一部になっていてうっかりすると見落としてしまいそう。というか、事務所のニューリリースの欄を見てもこのデビューアルバムは載っていない。当然、広告などどこを探しても見つからない。

正直客を呼ぶ気があるのかわからない。なにも情報が手に入らない。だから、渋谷に行くのだ。行くしかないのだ。俺はカバンから一枚のチケットを取り出す。

「阿賀野あか デビュー記念ライブ 4月24日(土) 5時開演 TATSUYA OK-WEST」

百聞は一見にしかず、だ。まずは見てみなければ始まらない。

「ライブなんて行ったことないぞ……」という弱き心は埼玉に置いてきた。

これは仕事だ。遊びではない。この電車代も経費。自分がこのライブで商品の強みを見つけられなければ不良在庫品の山が崩れることはない。もう吹っ切れた。徹底的に楽しんでやる。その楽しみをお客様に伝えられれば、しっかりプレ値がつくだろう。

永田町で東京メトロ半蔵門線に乗り換え三駅で渋谷に到着。東川口ぶりの地上。大都会だ。

ハチ公前を通過し道玄坂へ。

「渋谷は久しぶりだな」

ゴーグルマップを開き目的地を確認する。道は合っているはずなのに不安を感じてしまうのは埼玉県民の悲しい性か。十五分くらい歩き、目的地であるTATSUYA OK-WESTに到着する。いわゆるライブハウスってやつだ。一階にはコンビニが入っている。

チラリとスマホで時間を確認する。

『4時30分』

時間はオッケー、よし、行くか。俺はコンビニ右脇にある階段で二階に上がる。そこで受付を済ませると心臓の鼓動が少し早くなっているのを感じた。



受付の先の扉を開けるとそこは会場だ。高い天井に様々な照明が垂れ下がっている。全体としては横長な形で二階席もあるようだ。ステージは観客側より一・五メートルほど高くなっており、たとえ会場の後ろ側にいても演者がよく見えるようになっている。

初めてのライブハウス、新鮮で驚きばかりだが俺が一番驚いたことに比べれば些細なものだ。

時刻は4時50分、開演10分前。それなのに、それなのにである。会場にいる観客数は俺を含めてたった4人。これ以上は増えないと見て間違いない。

いやいや、少なすぎるだろう。会場でバカ騒ぎする人たちとどうやって距離をとろうかと考えていたのに。徹底的に楽しむのとバカ騒ぎするのは別の話である。

「俺が四九五枚も買い占めたせいか?」

いや、待てよ。このライブハウスのキャパは600人程度、俺が買い占めた分を含めてもあとプラス100人はいてもいいはずなんだが。俺は嫌なことに気づく。そして、それによりなにかのスイッチが入ったのか他の嫌なことにも気づいてしまう。

「アルバムを買ったのが8日前、そこにライブチケットも付いてきた。でも、ライブまで約1週間しかないのにライブチケット同封とかやるか? 普通CDが発売されてからライブまで数ヶ月はかかるよな。それに阿賀野あかは大手事務所に所属していながらほとんど情報がない。デビューアルバムですら広告がなかった。これは意図的に隠している可能性まである」

表に出すつもりのないアイドル、それでも強行するアルバム発売、そしてライブ。

――つまり――。

「かなりのワケありアイドルってことか」

突然、会場に流れていたBGMが消え照明が落ちる。普通のライブなら大盛り上がりだが観客数四名の会場はお葬式のよう。

『5』『4』『3』『2』『1』

「ゼロー!」

ステージが照明に照らされる。

俺の心臓の鼓動は明らかに早くなった。なぜだかは言うまでもない。そこにはありえない光景が広がっていたのだ。俺のたった16年の人生、その人生でこんな奇跡的なことがあっただろうか、いや、ない。これは夢だ、夢に違いない。覚めてくれ、いや、覚めてはだめだ。覚めないでくれ。もっと目に焼き付けなければ、もっと記憶に刻み込まなければ。この商品の魅力を引き出し売るためにはどうすればいい。

曲は続く。

彼女は歌う。

彼女は踊る。

俺は百戦錬磨のプロ転売ヤーだ。だからわかる。彼女とは長い付き合いになる。彼女を売り尽くすには今の俺の力では不十分だ。今、俺が見ているものは全てだがこれが全てでは困る。まだまだ上にいける、そう信じている、いや、そう信じさせてくれ。

ステージに立つ彼女はどうかしている。みんな彼女に釘付けだ。いや、やっぱりどうかしていない。当たり前だよな。こんなステージを見せられたら誰だってそうなる。

そのステージの上にいたのはアイドル阿賀野あか、こと俺と同じ埼玉県立浦野学園高等学校2年A組の……、ああ、苗字思い出した。なんで今まで思い出さなかったのだろう。そこにいたのは俺と同じ学校、同じクラスの阿賀野紅(あがのこう)だった

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