第2話 渡良瀬そらはいろはのいを忘れたりして(2)

「ニーケのジャンプハイからテストパターンか。カナダのプロバスケットボールチーム『オンタリオラプターズ』と共同開発したやつで海外サイトでは3〜4万円くらいか」

俺は有名シューズメーカーが開発したスニーカーを見つける。獲物を見つけたらまずは徹底的に分析。がむしゃらに買ってがむしゃらに売ればいいというわけではない。俺はパソコンからタブレットに視線を移す。ツイターで他の転売ヤーの動向を確認するためだ。

「スニーカーに特化した連中は狙っているようだがそれ以外のやつらに目立った動きはない。リリースまでの時間を考えれば大きな競争はなさそうだな」

とりあえず一安心。競争が激しいものはこちらもそれなりの準備が必要なのである。

当然だが転売ヤーが買う商品は転売を前提とした自分には必要がない商品、つまり一つでも売れ残ればそれはマイナスとなる。だからこそ慎重に、石橋を叩きすぎて割るほどの分析を行う。一見関係のないようなジャンルのニュースも見逃さない。何事もつながっているのだ。

「去年のラプターズの成績は悲惨だが今年はレイが移籍してくる。バスケファンの間では知られた選手、これは成績にかかわらず一定の需要を見込めるな」

このように一つのスニーカーからは関係のないように思われるチームの成績、補強選手、その選手の知名度なども実は売り上げに関わってくる。

転売初心者がよく陥りがちな失敗として口コミや報道を鵜呑みにして大量発注、結果売れ残るというものがある。それは、一つの商品に対して前述のような詳しい分析を行なっていないからだ。その商品の将来性はどうか、他にどれくらいの転売ヤーが狙っているか、そしてこれが一番重要かつ忘れられがちな視点、「自分がその商品を買ったら嬉しいと思えるか」ということを深く考えなければいけないのである。

「デザインも悪くないし機能的にも世界的シューズメーカー『ニーケ』の商品、問題ないだろう。俺がバスケファンだったら喜んで買うだろうな」

このように転売候補商品に対してどんな状況でどんな喜びを感じられるかをシミュレーションすることはとても重要だ。

さまざまなデータやシミュレーションを基に俺が導き出したニーケのジャンプハイのプレ値(ね)(プレミアム価格)は定価プラス2万円、それなりの売り上げになりそうだ。ここまでの分析にざっと2時間、転売ヤーの中では長い方だ。なんて言ったって俺はプロ転売ヤーレイドエイトだからね、失敗するわけにはいかない。失敗する予兆もない。いや、なかった。今は少しだけあやしい。

「最近の転売界隈はバブルだな。フリマアプリの普及で素人が大量に流れ込んできている。なんでこんな限定でもなんでもないパーカーが5万円越えなんだ。イケメン俳優を使っての大々的なCMの効果か、それともただのバカか。まああんなはったりに惑わされるやつはどのみちバカか」

俺は乱暴にパソコンを閉じる。閉じてから物に当たった後ろめたさを感じもう一度優しく閉じ直す。

「お兄ちゃんご飯」

ノックもなしに天が突然俺の部屋のドアを開ける。おいおい、一応高校2年生の男子だよ。おまえも中3だろ。部屋の中であんなことやこんなことしている可能性は否定できないってわかるでしょ。

「天、ノックをしなさい。世の中お兄ちゃんのような清純魔法使いばかりではないのだよ」

「……きも」

きもいとか言われちゃうのね。

「ごほん、まあ、『きもい』はとっくに乗り越えた言葉だから大丈夫だ」

「お兄ちゃんが手遅れだと言うことはわかったよ。面倒だから早く下に来てくれるかな。味噌汁が冷めちゃうよ、そしてこのままだとお兄ちゃんに対しての家族愛すら冷めそうだよ」

なにかを諦めた目だ。天使のような微笑み、優しい目。あれ、もしかして今その家族愛冷めきった? 天はニコニコしながら部屋を出て行った。バタンッ! と強くドアを閉めるのを忘れずに。

やばい、怖い。

俺はメガネを木製ケースに戻し背伸びをする。スマホのカレンダーを開き夜の予定を確認する。買う予定の商品、売る予定の商品、チェックだけする商品、とにかく多い。最近夜更かし続きで疲れが溜まっている。そうするとミスも多くなる。

3日前には誤って買う予定のない商品を購入した。幸いにもその商品は人気だったためすぐに転売できたがいよいよまずい。プロとしてあるまじき行為だ。

「明日以降はそんなに忙しくない。とりあえず今日を乗り越えればゆっくりできる」

あれ、今のフラグっぽくない? と若干ひっかかりつつもこれ以上天を待たせるのは俺この戦争が終わったら結婚するんだと同レベルで危険なので慌てて夕食に向かった。



食事も終わりかけの頃、天が突然姿勢を正し、俺を見つめてきた。嫌な予感。

「お兄ちゃん、お兄ちゃんはぼっちに関して思うことはないとか言っているけど実際は違うよね?」

「なんのことだ、俺は本気でぼっちとか陽キャとか陰キャとかどうでもいいと思っているぞ」

天は箸を置いてこちらを鋭く見据える。言い方を変えれば睨みつける。

まさかあのことを――。

「お兄ちゃんはラノベにありがちな捻くれ主人公とは違うんだよ。彼らは環境や状況で仕方なくぼっちになっている。彼らが吐き出す陽キャや青春への言葉には嫉妬が混じっている。でもお兄ちゃんは違う。お兄ちゃんは純度100%のぼっちであって、捻くれではない」

「だからそう言っているだろ」

俺は平然と返す。だが、天はますます荒々しくなっていく。

「お兄ちゃん、意識無意識の差はあるけど結局みんな人の輪に入りたいんだ! だから、人の輪の中にいる人に嫉妬してしまうんだ! 嫉妬するから、憧れるから性質、考え方が曲がって素直でなくなるんだ! そうやってぼっちになるんだ! でもお兄ちゃんは違うんだ!」

何回『だ』を言うんだよ、と心では思ったが口には出さない。

「何を言いたいのか全くわからない」

俺がそう言うと天は血気盛んな虎のように身を乗り出す。

「全部分かっているでしょ、お兄ちゃんは相当な重症ってこと。せめて、陽キャに嫉妬してよ。せめて、ひねくれてよ。なんでそんなに平然としていられるの?」

「確かに俺は陽キャたちに憧れや嫉妬はしないし人の輪に入りたいとも思わない。でも彼らを無関心で見ているわけじゃないぞ。むしろ興味深い観察対象だ」

天は一杯お茶を飲む。それにより少し冷静さを取り戻したようだ。

「お兄ちゃん、俺はお兄ちゃんが心配だよ」

「なんだよ、心配って。それにお前さっきから言っていること無茶苦茶だぞ。いきなりどうしたんだ? 学校で変な薬でも飲まされたのか?」

「俺は真面目な話をしているんだ。お兄ちゃん中1から高2まで友達ゼロでしょ。いくらなんでも期間が長すぎるよ。少なくとも一人は気兼ねなく話せる人がいるべきなのに」

「お前に関係ないだろ。それに気兼ねなく話せる人ならいるぞ、同業者のな――」

ドン、天が机を思い切り叩く。俺のコップに入ったお茶の表面が振動する。遠くで聞こえる救急車のサイレンの音、家の前をバイクが通り過ぎる音、そして静まりかえる室内。

「こっちはね、ずーっと心配しているんだ、いやいたんだ! 普段は優しくて話も面白いお兄ちゃんが学校ではなぜかぼっち。そんなのおかしいって信じていたんだ! それなのにまさかあんな――」

そこまで言って天はハッと顔をあげる。

「あれを見たのか?」

「いや、だから……」

「うん?」

天はばつが悪そうにうつむく。こういうところはまだ幼い。

「別に見られて困るものじゃないぞ。特に見せる必要がないから見せなかっただけだ」

 天は短く冷たい息を吐く。

「今日ノートが切れたからお兄ちゃんの使っていないものをもらおうとした時に見つけた。机の奥の方に隠すように古いノートがあったから思わず中を見た。」

ああ、やっぱり見たのね。闇の組織の設定集とは違った黒歴史、本当の意味での黒い歴史。

天はもう一度息を吐く。

「あのメーカーを使っているってことは中1の時のやつだよね? びっしり書き込まれていたよ。クラスメイト一人一人の氏名、家族構成、部活、趣味、性格、その他もろもろと」

「と?」

「そこから導き出される自分へ近づけさせないための方法、つまり、ぼっちになるための壮大な計画書」



「よし、売り上げ上々だ」

俺はメガネを木製ケースに戻し背伸びをする。

今転売したのはアメリカの人気歌手がデザインした限定Tシャツ。この歌手は、ある自動車メーカーのCMソングに起用されたことで日本でも人気になっている。例の同業者から情報提供を受け、他の転売ヤーに先駆けて行動できたぶん利益も多く上げた。

ちなみに俺は転売で得た利益を転売以外で使わない。それは商品の仕入れや調査、配送費など転売に関わること以外では使わないということだ。

うちの家族はお小遣い制ではないので天なんかはよく親に頭を下げて友達との交際費を出してもらっている。だが俺は友達などいないし、まして恋愛的な意味での交際などありえないので交際費はかからない。衣服などは成長期が中3で終わっているのでその時のもので十分。外に出ることも少ないから新品のように綺麗だ。本当に普通の高校生よりお金を使わない。だから、誰かが俺を街で見かけても、年収数千万円なんて予想はできないだろう。

俺の仕事を知っているのは四万十、天、両親だけだ。四万十はともかく天や両親は俺の仕事や稼ぎには触れない。嫌味を言ったり逆に持ち上げたりもせずに普通に接してくれる。大金を手にしながら曲がった道に進まなかったのはこういう家族の温かさが大きい。 

――だから。

「天には悪いな」

こんな兄だが天は心配してくれていたのだろう。俺は古びたノートを手に取る。そして、そこに記された記録を読む。

『一番 青木たく 兄弟なし 父、母と三人暮らし。 男子卓球部 読書好き 部活等でも積極性はなし、こちらから行動を起こさなければ関わることはない』

我ながらよくできている。懐かしい名前を指でなぞっているとある一人のところで指が止まる。

『千曲小節(ちくまこぶし)』

そこには名前しか書かれていなかった。名前しか書く必要がなかった。

「懐かしいな、確か今は川口中央高校だっけ」

小節はかつてうちの近所に住んでいてよく遊んでいた幼馴染だ。

古いノートと共に久しぶりに中学時代に戻った。ぼっちの始まり、しかし、俺の成功の始まり。転売自体は小学生時代からやっていたが成功を収めたのは中学生になってからだ。

多くの人は幼稚園の卒園アルバムや小中学校の卒業アルバムを見ていると時間は早く進むと言う。それが昔であればあるほど、思い出が深ければ深いほどその傾向は強くなる。俺にとってこのノートはそういうものだ。だから、顔をあげた時に時計の針が午前2時を指していたのは、必然だったのだろう。

「え、やば、また徹夜じゃん。でも明日には仕事を回したくないし今やろう」

俺は木製ケースからメガネを取り出す。指を2、3回動かしてからパソコンのホームボタンを押し、液晶を起こす。

おはよう、パソコンちゃん。あと少し頑張ろう。今日、というか昨日だけど今日にしておこう。今日の最後の仕事は人気アイドル阿賀ライのニューアルバムの初回限定盤を購入することだ。もともと買う予定はなかったのだが、普段カラオケ練習でお世話になっているので感謝の気持ちをこめて買うことにした。正直売り上げはそんなに期待できない。人気アイドルなだけあってほとんど買い占められている。だが、たまには悪くない。べ、べ、別にファンになってしまったとかではないけど。

「とりあえず上限いっぱいまで買おう。これは感謝だ。断じてファンになりましたというわけではない」

誰も聞いていないのに言い訳してみる。

ああ、流石に眠い。半分夢の中だ。商品欄からアルバムをクリック、カートに入れる。

個数選択、上限まで。

――今考えれば、なぜこの時にしっかりと確認をしなかったのだろう。

支払い、デビットカード。

――この時も画面に表示されていたはずなんだ。

住所確認。

――住所は確認したのに。

「購入」

俺の記憶はそこで途切れている。そのまま眠ってしまったらしい。翌朝は案の定寝坊し自転車を爆速でこいで学校に向かった。そのあとの2日間は仕事が少なかったのでゆっくり休めた。阿賀ライのCD注文履歴を振り返ることもしなかった。

そしてCD購入から3日後、俺は絶望する。家に届いた段ボールを開けるとそこにはあるべき物がなく、ないべき物があった。495個も。

「阿賀野(あがの)あかライブチケット付きCD……? ぬああああああぁぁぁ」


俺は年収数千万円のプロ転売ヤーだ。しかし俺は忘れていた。転売、否! 全ての買い物の基本中の基本。いろはのい、商品名チェックは確実に。

そして半分夢の中で誤注文してしまったその商品のせいで、俺の転売ヤー人生が大きく曲がり出すことになるとはこの時誰も知らない。

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