始まりはいろはのいだったりして

円花ふじこ

第1話 渡良瀬そらはいろはのいを忘れたりして(1)

「それで、この会社のやつなんだけど」 

「え、あ、ごめん」

 俺は目を擦りながら彼女が差し出してきた資料を確認する。それにしても夕日が眩しい。

「目、死んでいるわよ? 大丈夫? 生きている? 普段から死んだ魚のような目をしているけど今日は格別ね」

 ご覧の通り彼女は口が悪い。人の心の傷をえぐってくる。傷口に塩を塗るという言葉があるが彼女の言葉はその上位互換、傷口を塩揉みという感じ。ちなみに彼女と言うのは2年B組、四万十衣羅鶴(しまんといらづ)、同中出身。

「お前は俺のことが嫌いなのか?」

「私は渡良瀬(わたらせ)くんのこと好きよ」

彼女は大きくて澄んだ瞳を真っ直ぐこちらに向けて呟く。え、待って、やばい告られた! などという野蛮な勘違いはしない。俺は寸分の心の揺らぎもなく返答する。

「好きよ、の前に情報を流してくれる有能な同業者として、と加えなきゃ通常の男子なら勘違いしちまうよ」

「大丈夫よ。あなたの唯一の取り柄は自他ともに認める通常ではないところ。私は優しいからその取り柄を引き立ててあげたの」

彼女は当然でしょ、という表情だ。

「まあ事実なんだけどさ、もっと皮肉を込めましたとか馬鹿にしてますみたいな感じで言えないの?」

そんなふうに俺を90%の悪意と10%の本心で傷つける四万十(しまんと)だが顔は美人だ。夕日に照らされた音楽室に2人きりという今の状況も通常の人ならドキドキしてしまい会話どころではないだろう。

さらさらのロングヘアを白い桜の飾りがついたヘアゴムで縛り、首からは小さなキーケースに南京錠がついたネックレスを下げている。ずいぶんとキラキラしたやつ。校則的に装飾品の着用は禁止だが彼女はそれをお守りと称することで法の網をかいくぐっている。悪女、法の盲点をつく犯罪者予備軍。

「ぼっちに声をかけてあげる私、やっぱり類稀(たぐいまれ)なる美人は中身まで高貴で美しいというのは本当ね」

「自分で類稀なるとか言っちゃうのね」

確かに通常の人にとって四万十(しまんと)は手が届かない高嶺の花だ。

「自分はそんな花に吸収されてもいいから彼女の栄養になりたい」とかいうやばい議論が平然と行われるほど彼女の存在は際立っている。

「何よその不満そうな表情、真実でしょ?」

「俺がぼっちというのは事実だが別に気にしていない。ぼっちで困ることはないだろう」

 確かに俺はクラスで孤立している。いわゆるぼっち。だが俺は、そのことに関して特に思うことはない。ぼっちの原因も性格がひねくれているとかいじめられているとかいうわけではなく自分自身が人と関わろうとしないからだ。ぼっちであることを誇りには思わないし恥じるわけでもない。どうでもいいこと。よくラノベの主人公は「ぼっち最高!」とか言いながら実は人の輪に入りたがっていることがある。俺にはその感覚がわからない。

「それに、お前だって孤立しているだろ」

 俺の言葉を聞き彼女はぴくっとする。そう、真実を言ってしまえば四万十もただのぼっちである。まあ、俺は友達ゼロなのに対して彼女は数人の友達がいるが、それでもぼっちの範疇である。

実は、彼女は周囲に明かしていないものの世界的自動車メーカー幹部の娘である。早い話いいところのお嬢様。彼女の幼稚園と小学校は都内の某有名私立大学附属だ。なぜか中学は俺と同じ公立に通ったが周りと自分の乖離についていけずにぼっちになり今に至る。しかし前述のように彼女は美人、よってただ浮いているだけの彼女を周りは高嶺の花だと持ち上げた。なんとなくその雰囲気を感じ取っていた彼女は、自分はぼっちではなく周りには手が出せないほど高貴な人間なのだと曲がった勘違いをしてしまったのである。いや、してしまっている、現在進行形で。

しかしなぜぼっちの俺とぼっちの四万十が出会ったのか? 中学の時に知り合いだった? 違う、同中ではあるが俺が彼女を初めて認識したのは高校生になってからである。中学時代からの共通の友達の紹介? 確かにここ埼玉県立浦野学園高等学校は全校生徒2500人を越えるマンモス校、同中出身のやつもいる。しかし俺は中高一貫ぼっちである。

俺と彼女がなぜ出会ったのか、その理由は四万十と俺はとある仕事の同業者だからだ。そして、週に1、2回、今日のようにその仕事の情報交換を行なっているのである。

「どうでもいいぼっち論争はやめて仕事の話だ」

俺は話を本題に戻す。

「これってお前の父親の会社のやつだろ? いいのか、持ち出して?」

 彼女は腕を組み、ちらりと俺の手元にある資料を見る。

「ええ、あなたにはいつもお世話になっているから恩返しよ」

「でも、ここ数日明らかに返される恩の方が多くなっている気がするんだが。ありがたいことだけど寝不足だよ」

「不満?」

「いいや」

 部屋がシーンとする。今のように彼女はズバズバ言葉を言ってくるので会話のキャッチボールが成り立ちにくい。ただの同業者とはいえ、沈黙の時間は気まずいものである。

「……それにしてもなんでおまえみたいな金持ちがこんな仕事をやっているんだ?」

 俺は無難にこの仕事を始めた動機を尋ねる。

「まさか同業者がいるとは思っていなかったわ。なんで、と言われてもね。あなたほどではないけど私もずいぶん長くやっているから昔のことは忘れたわ。それに金持ちって、◯◯◯◯◯◯◯のくせに」

「それはそうだが」

「否定しないのね」

 またしても沈黙の時間。気まずい。それにしても同中でありながらこんな目立ったお嬢様の情報が一切入ってこないとは、我ながら自分のぼっちさに驚きである。

その後もぼちぼちと情報交換を行い俺と四万十は今日の会合を終了する。俺が

椅子に腰掛け荷物の整理をしていると、彼女はピアノに近づき手早くワンフレーズだけなにかを弾く。彼女が音楽室を後にする時のいつものルーティンだ。なんだっけ、この曲。オペラの曲だったかな。

弾き終わり彼女が音楽室を出ようとした瞬間、風が室内を駆け抜ける。

窓開けっぱなしだったのか。

その風に乗って白色の桜の花びらが四万十の周辺で舞う。青春映画のワンシーンのようだ。

「美女に桜、おまえの性格を知らないやつなら確実に落ちるだろうな」

「何か言った?」

「い、いえ何も」

良かった、聞こえていなかったらしい。少し怪訝そうな表情を浮かべながら彼女はひらりと音楽室から去っていった。

「綺麗なバラには棘がある、誰が言ったのか知らないけどよくできた言葉だ」



外からはキャアキャアという女子の黄色い声。ああ、サッカー部のイケメン野郎が通りかかったのね。というかあの女子うちのクラスのやつらじゃん。

「まじやばい」

「えぐいて」

でたよ、これ言っておけばなんとかなるでしょワード。

「まじ」と「やばい」は江戸時代から使われていたんだぞ。なんだ、一周回って新しいってか。

我が2年A組は国際コース、よってクラスメイトの個性もまた日本だけではなくグローバルに通用するほど強い。

彼女たちはその中でも陽キャグループに属している。俺的には陽でも陰でもいいのだが、誰かとずっと行動を共にするあの仲間意識というのがどうしても理解できない。なんで、自分より他人を優先するのか。

――噂をすれば。ほら、手を前に合わせて必死にうなずき、「わかるー」とでも言っていそうな右から二番目の女子、苗字は忘れたが下の名前は確か紅(こう)。彼女が話す時だけグループの話の間(ま)が若干乱れる。

紅 「それでさ」

A子「うんうん」

紅 「えと、ほら」

B子「うん?」

紅 「あ、その」

「……」

紅 「こないだのチャーリーの授業がさ」

一同「あーね」

別に彼女が的外れなことを言っているわけでもグループの人たちと仲が悪いというわけでもない。ただノリとかフィーリングとかいう訳のわからない指標が少しだけずれているのだ。

「ばかなやつら」

俺は誰もいない音楽室で静かに呟く。あんな非生産的な馴れ合いをやっていても意味がない。指標が合わないのなら1人になればいいし、イケメンを見たいならイケメン、動画とでも検索すればいい。現実じゃありえない近さでじっくりお顔を眺められるぞ。

恋も友情も金は生み出さない。人付き合いは大人になってから職場ですればいい。同じ高校で同じ職場になる人なんてほとんどいないのになぜ必死に人の輪に入ろうとするのだろう。面倒臭いだけじゃね? 

成功する者は孤独というのは本当だ。現に俺は仕事で「成功」している。

「さてと」

俺は老いたライオンのように無駄のない動きで立ち上がる。音楽室を出る直前俺もワンフレーズだけピアノを弾く。習っていたのは小学校低学年の時なのでミスタッチだらけ。確かモーツァルトの……。そこまで考えて思わず笑ってしまう。

「小学生に相応しい曲じゃないよな。なんでこんな曲をやらされたのか」

そろそろ帰らなきゃ。「仕事」もあるし。




春の見沼用水沿いを自転車で走るのは本当に気持ちがいい。桜のトンネルの中ほのかに香る甘い匂い、鳥のさえずり水の音。右手に広がるのどかな畑に昔は怖かった左手の雑木林。

「埼玉最高! 海なんていらないもんね」

俺は周りに人がいないことを十分確認した上で流行している歌の練習。天地がひっくり返り俺がカラオケに誘われた時のために準備は怠らない。もちろんそれは友情のためとかもてるためとかではない。

「Yoひねくれ金くれ音痴ぼっち」などという韻を踏んだ変なあだ名をつけられないためである。

ちなみに俺の十八番は泣く子も踊るスーパーアイドル阿賀ライの『JK宣言』。ほらな、友情や恋愛のために頑張るやつらはTokTikの有名な歌い手をカバーするのが主流だが俺は俺の好きな曲を歌う。誰かが好きな曲ではなく俺が好きな曲。まあ本当はこの阿賀ライというやつの曲しか歌いきれないだけなんだけどね。理由は謎だが俺はなぜか彼女の曲だけはきっちりと歌えるのだ。

一通り歌い終わったのと同時に家に着く。弟の自転車を一旦どかし自分の自転車は奥の方に駐輪する。そして弟の自転車をその後ろに戻す。たかだか数十秒だが毎日となると面倒臭い。いつも家を出るタイミングは同じか弟の方が少し早いくらいだ。その「少し」のために俺は毎日面倒を被っている。

「ただいま!」

「……あぁ」

返事小さくない?

「ただいま!」

「……」

「お兄ちゃん、自分の年齢を考えよう」

ワンテンポ空(あ)けてからのこれよ。お兄ちゃん泣いちゃうよ。

俺の弟渡良瀬天(てん)は近頃反抗期だ。いや、反抗を通り過ぎて俺に対し優しく諭すような口調になってきている。まるで俺が小さい子供であるかのように扱うのだ。兄の威厳尊厳減少の危機だ。

「わかりましたよ、悪かったね」

え、悪かったね? 言っておいて自分でおかしな点に気づく。挨拶は基本中の基本ではないか! 元気よくただいまを言うって小学校で習ったではないか!

なんて言ったら『お兄ちゃん、今の高校生活が辛すぎて小学校時代に戻りたいのはわかるけどそれはできないんだよ』と優しく言われるだろうな。頭を撫でながらいー子いー子って。

「よいしょ、よいしょ、あーカバン重い」

ささやかな抵抗として俺は声を出しながら気持ち強めに階段を踏みしめ2階に上がる。自分の部屋に入りバタンとこれまた気持ち強めにドアを閉める。

どうだ、聞こえたか天(てん)! わはは。あ、やっぱり聞こえてないで。ごめんなさい。これが賢者モードというやつか。カバンを棚の真ん中に置き、そこからスケート選手のように滑らかに自分の椅子に座る。木製のケースからブルーライトカットメガネを取り出し装着する。2、3回指を動かしてからパソコンのスイッチをオン,低くブォーと言う音が響く。パスワードを入力しホーム画面へ。不気味にニヤリと笑う。

液晶に反射した自分の顔はメガネが青白く光りその不気味なニヤリも相まって悪の組織のトップのような雰囲気が漂っている。まあ、トップまではいかないにしても世間的に悪と思われても仕方がない仕事か。そんなことを考えながら俺は四万十(しまんと)との音楽室での会話を思い出す。

「まさか同業者がいるとは思っていなかったわ。なんで、と言われてもね。あなたほどではないけど私もずいぶん長くやっているから昔のことは忘れたわ。それに金持ちって、『自分は大金持ち』のくせに」

あはは、確かにそれは事実だけど俺は四万十(しまんと)みたいに家族の力を頼ったことはない。四万十と俺では初期費用が違う。

彼女はもともと金持ち、よって最初から多額のお金を注ぎ込み成功も失敗も経験することができた。対して俺は何もないところから全て自分の力でのしあがった。失敗すれば終わり、その極限で生き残ってきた。

俺の世間的な知名度は高くないがその仕事の世界ではそれなりの有名人だ。そこで俺は「レイドエイト」と呼ばれている。日本語にすれば横に倒した8、8を横に倒せば無限。つまり無限に稼ぎまくっているということらしい。ちょっと盛りすぎだけど気に入ったのでフォロワー4万人のSNS、ツイターのアカウント名にも使用している。

たまに4万人は言うほど多くないと思われるが仕事以外のつぶやきはなし、内容も専門的で退屈、それなのに4万人は頑張っている方だと思う。まあ仕事以外でSNSは使わないのでよくわからないけど。

ちなみにうちの学校の生徒は2500人以上もいるのに四万十以外でSNSが繋がっている人はゼロ。これは逆に偉大な数字なのでは? この情報社会でここまで孤立するのも一種の才能だろう。

ツイターのプロフィール画面を開き、映し出されているアカウント名をカーソルでなぞる。うん、シンプルだけどかっこいい。シンプルイズベスト、自画自賛。それから一度声に出して読む。


「プロ転売ヤー『レイドエイト』(公式)」


やっぱりイケてる、かっこいいぞ、俺。さて、それじゃあ仕事を始めるかね。

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