4
真珠の森に入ってから軽く昼食を済ませ、以降はずっと歩き詰めだ。景色は代わり映えしない。
地面はどこまで行っても凹凸が少ない白い岩盤。強固な岩盤に根差す木々にも飽きてきた。
そんなとき、シウロンが足を止めて手で制する。行く手を阻まれたレンも止まるしかない。
「どうしたの?」
きっと前方に何かがあるのだろうと、首を伸ばして覗き込む。
するとすぐそこに、超巨大な穴が空いていた。穴は地中に向かって真っ直ぐ伸びている。あまりにも深く、底は真っ暗で見通せない。レンの左目を以ってしても深度は伺いしれなかった。
「悪魔の口……」
「言い得て妙ですね」
穴の奥では『コォ』と風が唸っている。
「足元に気をつけて」
レンは細かく頷いた。落ちてしまったらどんな目に合うのか。想像もしたくない。
しかし見てしまったからには、想像力が作動してしまう。
目を閉じると、延々と落ち続ける自分が浮かんでくる。
「これなに? どこまで深いの?」
レンは足元の石ころを拾い上げると、シウロンに目で許可をもらってから投げ捨てた。
弧を描く白い石。穴へと落ちて……完全に音信不通となる。石が壁に当たった音も、最深部に落ちた音もない。
ぎょっとした目でシウロンに助けを求める。
シウロンは何でもない無表情だった。
「これはこの森に生息する、ワームと呼ばれる生き物が通った跡です。基本的には地中で生活していますが、たまにこのように地上へ続く穴を作ります」
「これを動物が?」
レンはより身を縮こまらせる。なぜなら穴の幅は、家が一軒、優に収まる広さだったからだ。つまりワームとは、それだけの大きさがあるということだ。
「そうやって震える姿を見ていると、実物のワームを見せてあげたくなりますね」
「やめてよ」
「先程伝えた通り、ワームは地中で暮らしています。なのでこの穴に潜らなければ、基本的に出会うことはありません」
「もし会っちゃったら?」
「向こうが満腹であることを祈るか、逃げるか、もしくは戦って勝利するしかありません。言葉が通じない相手は面倒ですね」
「そっか。肉食なんだね」
しかし巨体であれば、すぐに見つけられそうなものである。地面を掘り進む音もきっと大きい。
静かということは、周囲にワームの危険はないと見て良さそうだ。
「余談ですが、冒険者と呼ばれる人種は、自らこの穴に飛び込む場合があります」
正気とは思えない言葉に、レンの表情が固まる。底が見えない穴に飛び込んでも転落死するだけにしか思えなかった。
そんな危険をわざわざ冒すということは、つまり――。
「お宝が眠ってるの? 大盗賊が残した財宝とか!」
レンは確信して胸を張る。しかしシウロンが同調することはなかった。
「この地下には、ワームたちが作った巨大な空洞があります。そこが秘境と化しているのです。上下左右、あらゆる方向にうねり狂う迷宮と言ったところでしょうか。深い層から取れる鉱物、そこにしか生息していない生物、そしてワームの存在。それらに血湧き肉躍る連中がいるのです」
そう話すシウロンはどこか楽しげだ。
「シウロンは入ったことあるの? この地下に」
「何度か」
「どうだった?」
「行けばわかりますよ。気が進むのであれば、いつかレンも自分の足で踏み入るといいでしょう」
それ以上は何も言わず、シウロンはさっと顔をそむけた。そして森のずっと奥を気にし始める。
また生き物を見つけたのだろうか。
レンも同じ方向へ目をやったとき、地面がわずかに揺れた。その直後に、樹木が力任せにへし折られるような悲惨な音が木霊する。
爆発? いいや違う。
「急ぎましょう。話をしてたらワームが出たようです。近くはないが遠くもない」
シウロンは穴から逸れて進行方向を曲げる。レンはその後ろに続いた。
「追ってくるかな?」
「それはないでしょう。偶然に進行方向が被るかもしれませんが」
「口に出して言ったら、本当にそうなっちゃう気がするんだけど」
「心配する必要はありません。私が居ます」
レンは移動しながら、地上に出たというワームの音を耳で追う。幸いにも接近の気配はなかった。
シウロンが眉をしかめる。
「地中に戻らない? ……なるほど。運が悪い人がいたようです」
「人? 誰かが襲われてるってこと?」
「でなければ長時間、ワームが地上にいることはありません。おそらく突然出てきたワームに驚いて手を出してしまったのでしょう」
樹木が曲げられる音は止まない。ワームは移動を続けている。それが人を追っての行動なら、襲われている人は逃げているとしか考えられない。
レンはクルット村での出来事を思い出した。
ロンドラートの獣に蹂躙され、大事な家族を亡くし、狂った人を見た。レンを恨み、孤児院に放火をした男のことだ。
きっと彼は元から凶暴な性格ではなかったのだろう。耐え難い現実が、彼の思考と行動を歪めてしまった。
大切な人の死とは、それほどの哀切を生む可能性がある。
レンはあの男にいい感情は持っていない。殺されかけたのだから当然だ。しかし多少なりとも同情する気持ちはある。
レンもスイという大事な人を失ったからわかる。もしあの男にこれを言った場合、家族と友人を同列に語るなと怒鳴られてしまうかもしれないが。
きっとワームに襲われている人にも家族や友人がいる。死んでしまえば、悲しむ人がいるだろう。
ならば助けるしかない。
レンは足を止める。当然、シウロンも同じようにすると思っていた。
しかしシウロンは構わず進み続ける。レンが動かなくなり、ようやく振り向いた。
「休んでいる暇はありません」
レンはその一言で察する。
「助けに行かないの?」
シウロンはワームに襲われている人を見殺しにするつもりだ。
「助けに? なぜ?」
「だってこのままじゃ死んじゃうかもしれない」
今ならまだ間に合う。レンはそう訴える。が――。
「真珠の森に入ったなら、その人も覚悟が出来ているでしょう。ワームに手を出したなら尚更です」
「だからって見捨てていいことにはならない」
シウロンの瞼がわずかに痙攣する。目を閉じ、深く息を吸って吐き出した。
「助けるとしたらレン、それはあなたの力ではなく私の力です。あなたに助ける助けないを決める権限はありません」
レンの手に力がこもる。返しようがなかった。実際にレンはまだ弱い。魔術の基礎すらできておらず、剣や槍の一つも持っていない。
しかしそれは仕方がない面もある。なぜならレンはまだ幼い。
「助けたいと思っちゃ悪いのかよ」
「私がワームと戦うとします。間違いなく勝利できるでしょう。しかしその間、レンは何をするのですか? 結論を言いましょう。私は今ワームに襲われている誰かがどうなろうと知りません。それより喩え僅かであっても、レンが危険に及ぶ可能性を問題視します」
つまりレンの安全のためならば、他の誰が死んでも構わないという話だ。
レンは憤りを覚える。なによりも守られなければいけないほど弱い自分が気に入らない。
やはり武力は必要だ。魔術であれ剣術であれ槍術であれ拳術であれ、力がなければ思いを達することは困難になる。
ワームと渡り合えるだけの武力は一朝一夕では得られない。絶え間ない鍛錬が必要だ。欲しいと思えば得られるほど、安いものではなかった。
しかし事、今のレンに限っては、例外と言える。
レンは聞き逃さなかった。シウロンは一つ失言をしている。いいや、失言とするには弱いかもしれない。
それでもこの点を突けば、シウロンを動かせる可能性がある。
「さっき言ってたけど、ワームと戦って勝てるって本当?」
「それが何か?」
「じゃあ訊くけど」
レンは緊張から唾を飲み込む。もし『関係ない』と切り捨てられれば終わりだ。
「シウロンがワームと戦ったら、どうして俺が危険になるの? この二つって関係ないよね?」
シウロンは目を大きく開き、頬を釣り上げた。
楽しんでいる? 怒るか無視かの二択を想像していたレンからすれば、隙を突かれる予想外の反応だった。
「ありますよ。私がワームに意識を向けた瞬間は、あなたへの守りを薄くせざるをえない。今もワームに追われているその人を助けるとなった場合、あり得ないとは思いますが、救護者がレンに対して敵対行動をとらないとも限りません。可能性が完全なゼロではない以上、それを踏みたくないのですよ」
そう言い終わっても、シウロンは動かない。足を止めてレンに正面を見せている。
レンの思いを聞く気がないなら、無理やり手を引いてでも先に進めばいいはずだ。
しかしシウロンは立ち止まっている。まるで何かを待っているように……。
つまりまだ話は終わっていない。
「そういうことか」
レンはシウロンの意図を理解する。言い返されるのを待っているのだと。
今度は決心から手に力がこもる。
ならば、どう返せばいい。シウロンは道があると暗に示している。
シウロンを否定する材料はどこだ。
ワームに意識を向けた瞬間に守りが薄くなるなら、ワームに意識を向けなければいい。
守りを薄くせずに戦う方法とは何か。違う。そもそも戦う前提がおかしいんだ。
レンは自分を見下した。シウロンに寄り掛かるばかりで、自分では何もしない。それで願いを押し通そうとするのだから勝手なものだ。
しかし今はまだそれでいい。重要なのはこれから先だ。
「じゃあ、こういうのはどう?」
「言ってみてください」
「シウロンって魔術で荷物を仕舞ってるよね。俺がそこに入れば大丈夫なんじゃないの? それが駄目ってなら――」
最後の提案を咀嚼する。本当にこれで間違いないのか見つめ直す。
大丈夫だ。己に言い聞かせ、ゆっくりと口を開く。
「大きな声を出す」
卑怯な手だと思う。でもこれなら解決できるはず。
シウロンは言っていた。ワームは地下で暮らしていると。
そのワームが空けたという穴の底は真っ暗だった。小さな灯り一つない世界。
クルット村にいるとき、とある兵士から森で安全に食べられる木の実や危険な動物について教わったことがある。その話のどこかで、夜行性の動物についての話も聞いていた。
暗闇に慣れた動物は、視覚が衰えているという。音や匂いなどの他の感覚を頼りにしていると聞いた。
きっとワームも同じだ。目を頼りに判断していない。大きな音を鳴らせば引き付けられる可能性がある。
つまりワームのターゲットを引き受けてしまおうという考え方だ。そうなればシウロンは動くしかない。
しかし――。
「落第です。音を立てたところでワームを惹き付けることなどできません。これに関しては、知識が足りていないので仕方がないとも言えますが」
シウロンの目が冷たく痛い。
失敗した。納得させられなかった。
レンは俯き、悔しさで顔が火照った。
どう言えばよかったのだろう。どこで失敗した? 何を間違えた?
シウロンに訊けば教えてくれるだろう。しかし一人で考えた。頭が真っ白になっていく。
その間も、ワームが森を壊す重低音は止まらない。
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