3

 真珠の森、それを前にしてレンは言葉を失う。

 巨大な丘陵を埋め尽くす森。そこに乱立する木は、手を付けていない塗り絵のように白い。地面も枝も葉も全てが例外なく白色だった。


 白い木は樹高がとても高く、枝葉の密度が狂ったように濃い。

 高さはレンが知る木の二倍ほど。密度は三割増し程度だろうか。


 木の密度が一般的な森よりも薄いため、なんとか太陽が地面まで届いている。


 これがもし普通の森程度に密集していたら、陽の光なんて一滴も下まで届かなかったことだろう。


 地面は石のように硬質だった。白い岩盤と言うのだろうか。つま先で叩いても、決して土のように掘れない。


 そんな硬い地面に生える植物は限られている。亀裂から伸びる雑草が散見できるくらいで、一般的な森と比べると圧倒的に植物が不足していた。


 そして何よりもレンを慄かせたのは、生き物の気配がしないことだ。

 鳥の鳴き声がしない。虫に食われた落ち葉も見当たらない。


 いつもなら探さなくても見つけられるそれらは、探しても探しても一欠片すら出てこなかった。


 レンは瞬時に理解する。ここは自分が知っている森ではないのだと。

 正直、怖かった。


「いいですか? 離れてはいけませんよ」


 離れるなんてありえない。できれば手を繋ぎたいくらいである。

 不安を感じるレンは、シウロンの顔を覗き見た。そうすれば少しは安心できるだろうと思ったからだ。


 シウロンは至って変わらない無表情だった。

 危険な森だと言っていた。しかしそれはレンにとってであって、シウロンからすれば今までの平原と何も変わらないのだろう。


 慣れている。そんな足取りで木々の隙間を抜けていく。

 レンにはその姿が頼もしくも、恐ろしくも思えた。


 緊張とは時間と共に緩むものである。しかし真珠の森の異質な環境は、進めば進むほどレンの心臓を締め付けた。


 あまりにも静か過ぎる。この森そのものが世界から孤立しているようだ。レンはあえて足音を強く鳴らして、気分を軽くする。


「怖いですか?」


 ぴくりとレンの肩が跳ねる。


「そんなことないよ。別にこれくらい普通」


 何を言おうとも、シウロンには見透かされているようだ。レンもそれを理解しているので、ぶすっと頬を膨らませる。

 しかし言った手前、怖がる素振りは見せられない。


「ならば構いません」


 レンはさっさと歩むシウロンの横を陣取る。二人の物理的距離は、これまでにないほど近かった。


 森を形作る白い木は、知っている木と特徴が乖離しすぎていることもあり、全てがイミテーションのようにも思える。

 しかしそれらは間違いなく、地に根を張る植物だった。


 試しに通り抜けざまにそっと幹を撫でると、知っている感触が指先に残る。


 ザラザラとした触感だ。刃物を差し込めば樹皮を剥がせるかもしれない。


 レンは小さな虫や植物など、命を探し続けた。あまりにも無機質だからこそ、知っている森との類似点を見つけて安心したかったのだ。


 成果は今ひとつだった。


 虫たちの住処として重宝しそうな木々には何もない。岩のような地面では、潜れる虫も限られている。

 たまにある地面の亀裂を覗いても、それらしき影はなし。枝でほじくれば話は別かもしれないが、森であるにも関わらずここには枝や葉は落ちていなかった。


 そうだ。あまりにも綺麗過ぎるのだ。まるで誰かが掃除をしているように、汚れやゴミが見当たらない。


 真珠の森をこの状態に形成している意思がある。レンがそんな妄想を始めた頃、シウロンはとある一点に指先を向けた。


「レン、あの木の裏が見えますか?」


 その声に誘われて、視線を動かす。ずっと遠くの木の陰、そこに動く影が見えた。


 子どものレンよりも若干小さいくらいのサイズ感。虫と言うにはあまりに大きい。あれはきっとこの森に住む原生動物で間違いないだろう。


 レンの顔が明るく崩れる。ようやく見つけたその生き物は、レンたちには気づかず暗い陰から姿を現す。

 それは四足歩行をしていた。しかし馬や鹿とはわけが違う。


「あれは笑い猿と呼ばれている生き物です。威嚇をするときに笑い声のような甲高い声を発する特徴があります」

「わっはっは、って感じに?」

「啜り笑うイメージです。聞くことがあればわかりますよ」


 擬態のためかわからないが体毛は灰色だった。単体でゆったりと地面を歩いている。群れで行動する生き物ではないようだ。


「あんな動物、初めて見た」


 じっと見ていると、笑い猿は木に手を掛けてするりと登っていく。体毛と同じ色の枝葉の陰へと入っていった。


「生き物が好きなのですか?」

「そういうわけじゃないけど、森ならいろんな生き物が沢山居るかなと思って」

「そうですか」


 この森にもちゃんと生き物がいる。それがわかっただけで安心できた。

 あの猿が生息しているということは、食事とする虫や木の実がどこかにある。今までは偶然見つけられなかっただけに違いない。


 レンの顔が晴れた。魔素を扱う修練に意識が戻る。

 修練の成果は、変わらず何も出ていない。


 そうして暫く歩くと、虫や植物をちらほらと見つけられるようになった。


「あの蝶は?」と、黒い蝶に指を向ける。

「似ていますが蝶ではありません。一種の寄生虫です。卵を持ったメスのみが羽を持ち飛び、先程の笑い猿などに食べられることで、それらの体内に卵を残すのです。孵化した幼虫は宿主の栄養を奪い成長して、便とともに外へ出ます」

「じゃああれは?」

「正式名称は知りませんが、綿毛と呼ばれています。青緑のふわりとした毛玉が特徴です。タンポポにも似ていますが全く別で、綿毛は花を咲かせません。あれも笑い猿に寄生します。春が終わりに近づくと種子を飛ばし、体温を検知して近寄る。体毛に取り付いて根を絡ませると、そこから分泌される体液で宿主の体を溶かし吸収します」

「でもそれってすぐ気づけるんじゃないの?」

「深い毛に潜り込むと、取り除きにくくなるようですね。一度根が張ってしまえば終わりです。一応、人にも寄生できるので近づかないように」


 レンはぱっと手を引っ込める。

 綿毛は見た目は綺麗だった。キラキラと煌く青緑、まんまるでフカフカ柔らかそうだ。

 しかしシウロンの説明は、どこを切り取っても身の毛がよだつ。


「人の場合は、毛皮が無い上に衣服を纏っているので、体表に寄生されることはまずありません。しかし頭髪には付きます。その場合は急いで森から出るか、髪ごと切り離すのが一般的な対処法ですね。そもそも種子が飛ぶ時期に森に入らなようにするか、帽子で頭を隠せば問題はありません」

「どういうこと? 髪を切るのはわかるけど、森から出るだけでいいの? 森から出ても種は付いたままでしょ?」

「言ってなかったですね。真珠の森の生物は、例外なく真珠の森でしか生存できません。この森にしかない特殊な魔素が、生きる上で必要不可欠なのです。つまり無理やり森の外へ連れ出せば、その生物は死に絶えます」


 特殊な魔素と言われ、レンは周囲を見回した。白いモヤ、魔素の動きはしっかり見える。

 しかし今まで見てきた魔素と比べて違いがわからない。


「見た目での判断はできません。もっと性質上の話です。そうですね、簡単に言うと――」


 シウロンが空を見上げた。どう表現するべきかと思案しているが、納得できる答えには至っていない様子だった。


「簡単に言うと、ここで使う魔術は威力が上がります」


 その説明にも納得できていないようで、シウロンは視線をそっぽへ向けていた。


「出力が上がり、制御が難しくなる。これ以上、詳しく説明しようとすると、専門用語が必要になるので許してください。それと魔素を目で追わないこと。これで三十八度目です」


 レンは風のように流れる魔素に触れてみる。それは左手に近づくと、まとわりつくように滞留してからしぼんで消えた。


 やっぱり知っている魔素と変わらない。未熟だから理解できないのだろうか。

 レンは悔しさで歯噛みした。


 兵士になるという夢がある。スイに強くなると約束をした。だから強くならなければいけない。


 レンは深呼吸を挟む。魔素を取り込み、体内に留め感じる。それを動かす。まずは頭の中でイメージを固め、左手へ移動させる。


 レンは止まっていた呼吸を荒い息と共に戻す。


 駄目だった。魔素の操作は今回も失敗した。

 でも悪くはない。今回は、今までで最も集中できていた。

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