12

 レンが村を出る。この話は孤児院の面々では広まったが、他の村人は興味を示さなかった。


 他の孤児たちも興味津々というわけではない。「じゃあな」の一言で終わる。

 お手伝いさんからは視線を向けられるだけで終わり。院長先生に至っては顔すら見ていない。


 レンが村から出ることを最も憂いたのは、無関係であるはずのナシュレイ組合の人だった。クッキーと魔術の教本をくれた人だ。

 彼はレンが孤児だと知っても顔色一つ変えなかった。


「この子を引き取るにしても、先に帰ることはないでしょうよ」

「私の務めは終えましたから。それに残ってもいいことはありません」

「確かに昨日の見た後じゃ……わかるが、歩いて帰るって正気か? クルット村が他所からどれだけ離れてると思ってる? 頭おかしいだろ」

「いつもやっていることです」

「グラフェルに戻るってなら、下手すりゃ四十日弱、掛かるぞ。天候不順だってある」

「子どもの足だとそれどころじゃすみませんね。それに行き先はまだ決めていませんから」

「なら余計だ。シウはよくても、その子がバテる」

「レンなら問題ありませんよ。あなたが思っているほど軟ではありません」

「わかった。じゃあ車持ってけよ。こっちはまた呼べばいいから」

「ありがたい提案ですが、お断りします。歩く意味があるのです。そもそもあなたには車を譲渡する権限はないでしょう? この車は組合の物で、私は部外者です」

「そこはなんとでもできる、が――言っても無駄か」

「心配はしないでください。というのは難しいですかね」

「当たり前だ。どうしてもって言うなら、せめて食料は多すぎるくらい持ってけ。シウは野草でも食ってろ」

「お心遣い感謝します」

「その子はもちろんだが、お前も無理しすぎるんじゃないぞ」

「ええ。この恩は忘れません」

「お互い様だ」


 ナシュレイ組合の人はきつい目をシウロンから切ると、温かな視線をレンに注ぐ。

 ぽんと頭に手を置かれ、レンの両肩が跳ねた。


「文字を教えてあげられればよかったんだけど、すまんな」

「大丈夫」

「本当はここに残りたいのなら今からシウを黙らせてくるが、いいのか?」

「うん。付いていくって決めたから」

「自分で決めたなら、外野があれこれ言うもんじゃないな。そうだ。念のため伝えておきたいことがあるんだ」


 ナシュレイ組合の人はレンの耳元に口を近づけ、小声で始めた。


「まだ正式に決まったことじゃないけど、君がいた孤児院をこちらで運営することになるかもしれない。昨日の火事の一件の後から、あれを院長として据え続けるのは問題があるって話になってきててね。まだ雑談レベルだけど。その場合、グラフェルで孤児院を設立するか、みんなを他の孤児院に割り振る形になるかもしれないんだ」


 グラフェルと聞いても、レンにはピンとこない。アルサ国の首都だと知っているだけだ。特色も街並みも何も知らない、レンにとっては文字列でしかなかった。


 正直なところ、どんな疑問を抱けばいいのかすらわからない。


 理解できない話に固まっていた。それをナシュレイ組合の人は衝撃的な内容に言葉を失ったのだと受け取ったらしい。勝手な感情移入の果てに頷いていた。


「まだ話合いの段階で正式に決定するまでに時間が掛るんだが、本当にそうなった場合この村に戻っても友達には会えないかもしれない」


 なるほど。つまりは引っ越す可能性があるということだ。幸か不幸か、離れ離れになって悲くなるほど、親交を深めた相手はいない。


「大丈夫。いつも一人で遊んでたから」

「そっか。なるほどなぁ」


 なぜだかナシュレイ組合の人は顔を曇らせる。「あー」とか「えーっと」とか、言葉を選んでいる様子だが、結局最後まで何も言わなかった。レンの頭をポンと叩くだけだ。


「クッキー、たくさんあるから入れておくよ」


 立ち上がると、ナシュレイ組合の物資保管場所へ、そそくさと退散した。


 レンがシウロンと行動を共にすると決めた時間は朝食時。即日出発と決まったのがついさっき。まだ朝と呼べる時間だった。


 火事のおかげでレンの私物はゼロ。そもそも私物なんて、使い古された衣服くらいしかなかったが。


 荷造りはナシュレイ組合の物資保管場所であっという間に終わり、後はそれを担ぐだけの状況だった。


 荷袋の口を広げると、見たことがないほど大量の食料が詰まっている。ハムにチーズ、野菜や乾燥果実、エトセトラ。どれも保存が効くという。


 孤児院で欠けたパンと味がしないスープに慣れていたレンにとって、それらは黄金にも似た宝の山だった。


 シウロンとの行程は、レンにとっては先が見えない旅のはずだ。不安に感じるべきなのかもしれないが、逆に根拠がない希望が湧いてくる。

 少なくとも食事に関する不安は全くなかった。それどころか楽しみですらある。


 シウロンが食料の荷を持ち上げようと腰を折った。そのときレンはひったくるようにして荷を背負う。これだけは誰にも渡さないと抱きしめた。


「ではそちらはお願いします」


 頼まれれば仕方がないと、レンは大きく頷いた。




 クルット村。アルサ王国の東端に位置するこの村は人口が少ない。理由はいくつかある。


 一つは村人の器質だ。排他的であり改革を許さない。脛に傷を持つ者であれば、隠れ蓑の候補にはなるだろう。


 一つは立地。すぐ東側にハミスト王国との国境を敷いており、有事の際に村が襲われる可能性がある上に、街道を封鎖されれば他の村や町から孤立してしまう。もしこれに自然災害が重なって食料不足に陥ったら、どうなるのかは考えたくもない。


 またアルサ首都からも距離があり、片道だけでも日数が掛かる。行商人もなかなか来たがらない。経済も停滞しがち。野盗にすら見捨てられる最悪と呼ぶに相応しい村だ。


 なぜこんな村があるのか。


「昔はこことグラフェルの中間に、町や村が多くありました。それらが今に至るまでに様々な問題により地図上から消滅。クルット村だけが残ったのです。その頃は東側にも交易路がよく伸びていました。ハミストと友好関係を築いていた時代の話です」

「へぇ。シウロンって詳しいんだね」

「それはどうでしょう。人伝に聞いた話ですから、間違いがあるかもしれません」


 レンはクルット村を背にして立っていた。

 村を出る。そのときになっても心は揺らがなかった。いい思い出がないこの村に、思い残すことはない。

 食べ物がギチギチに詰まった袋を背負い直す。口から少しだけ、クッキーの包装が頭を覗かせていた。


「無理はするなよ」


 見送りはナシュレイ組合の人たち一同だけだった。今まで顔を突き合わせてきた人が誰もいないが、淋しさは感じない。


「行ってきます」


 今日一番の声で叫ぶと、肩から荷物を下げながら先を歩いているシウロンの背を追った。


 村から出る。いつかはそうなるかもしれないと、頭の隅かもしくは夢の世界で思い描いていた。

 想像の自分の姿はどれも同じ。背丈は大人に迫るほど伸びていて、腰には剣を穿いた凛々しい姿だった。


 実際のレンはちっこい子どもで、身につけているものは背中の食料袋だけだ。身長も武器も足りていない。理想からはかけ離れている。


 それを残念だと思うことはない。なぜなら絵空事よりも素晴らしい同行者を、今のレンは持っているからだ。


 レンはシウロンの背を見上げる。


「どこに行くの?」

「実は考えていません。レンには行きたい場所がありますか?」

「わからない。村から出たの初めてだから」


 レンが挙げられる地名はアルサ王都のグラフェルか、村の東側にあるというハミスト国くらいだろう。

 そのどちらも話で聞いただけであり、魅了されたわけではない。現状では、首都も森も山も同じでしかなかった。


「無為に歩いても消耗するだけ。それでも構いませんが折角です。方角くらいは決めましょう」


 シウロンは足元の木の棒をつまみ上げると、それをレンへと放る。


「それを投げ、指した方角へ進みましょう。クルット村に向いたらやり直しです」


 レンも過去にやった遊びだった。選択肢に迷ったときには役に立つ。


 太陽に向かって、高く高く投げ飛ばした。くるくると回る木の棒は、太陽と重なってから土に落ちる。

 振り向けばまだクルット村が見える位置。街道の中央に、音もなく木の棒が落ちた。


 シウロンは棒が落ちる前から歩き始めている。レンだけが覗き込むようにして見下ろした。


 酷い前傾姿勢によって、食料袋の口からクッキーの包装が顔を出す。レンはそれを押し込むように直してから、シウロンの背中を追いかける。


 棒が向いた方角は南だった。

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