11

 朝露が葉をつたい、遠くで小鳥が鳴いている。

 騒がしかった夜が明けた。昨晩は嵐のように濃い味だったが、朝になってしまえばいつもと変わらない。とても静かで穏やかな朝だった。


 痕跡はしっかりと残っている。焼け落ちた孤児院は放置されたままだ。日が昇っても一度灰になってしまったものは戻らない。


 寝床を失った孤児たちは、ナシュレイ組合のテントに押し込まれる形になった。

 人数と比べて狭く窮屈だったが、うつらうつらしている子どもから出てくるのは寝言くらいで、誰一人文句を口にしない。


 朝になれば文句どころか、歓喜の渦が湧いた。ナシュレイ組合が朝食を用意してくれたからだ。院長先生が出してくれる、低予算の食事とはわけが違う。味の濃さ、品数。年に一度もないご馳走だった。


 孤児たちから『おかわり』なんて言葉が出たのは初めてだ。この食事のために、火事が起きてよかったと顔を綻ばせる子すらいる。


 朝食の楽しさを憶えて、溌剌とした子がいる食卓で、レンだけは早々に食事を切り上げる。

 一人で村を練り歩いた。院長先生にぶつけられた言葉が、返しがある棘のように刺さって抜けない。


 院長先生に必要とされたことは過去に一度もないし、これからもないだろう。

 どんな悪口を言われても我関せずと居られると思っていたが、どうやら勘違いだったらしい。


『居るだけで邪魔だった』


 他の孤児たちや、お手伝いさんからも同じように思われているのだろうか。居ても居なくても変わらない。それどころか居ないほうが有り難いと。


 お手伝いさんはわからない。しかし孤児たちからは邪魔だと認識されていてもおかしくないと思ってしまう。小さなパイを取り合う仲だからだ。人数が減れば減るほど、食事や空間など、一人あたりの取り分が増える。


 他者からどう思われているのか。確認するのは恐ろしいが、確認しなければはっきりしない。今のところは恐怖が勝っていて、確認はできていない。

 悶々と俯きながらあてもなく進んだ。


 足は無意識の内に森へ向いていた。そのまま木々の隙間に入り、かつて通っていた洞窟へと向かう。

 スイと出会えた遺跡へと繋がる洞窟だ。そういえば、あの洞窟は崩落してもう奥へは入れないんだっけ。


 俯く顔をそのままで森を進んでいく。傍目からは不安定な足元を確認しているように見えるが、その実落ち込んでいるだけだ。


 だからこそ気づけた。朝露で湿った土に新しい足跡がついている。毎日のように森を駆けるレンだが、初めて見るものだった。


『誰だろう?』


 さっきまでの不安がどこかへ飛んで、新しい疑問に支配される。足跡の向きがレンと同じだったから余計そうさせた。


『まさか、スイ?』


 全身が火照り、顔が上を向く。帰ってきたのかもしれない。一度そう思ってしまうと、他の可能性を考慮できなくなってしまう。


 いつも以上にレンは走った。子どもではありえない脚力で、根を蹴り幹を蹴る。狭くうねった獣道を我が物顔で駆け抜けた。


 そしてたどり着く。崩落した洞窟の前、そこには人が立っている。


『スイじゃない』


 わかっていた。もう二度と会えないのだから。足跡の正体が誰であっても、スイではないことはわかっていた。

 それでも期待をしてしまった故に、レンの心情が落ちていく。


 その人が振り向いた。


「レン、あなたですか」

「シウロン……」


 シウロンの衣服はおろしたてのように綺麗だった。森を歩けば少しくらい汚れそうなものだが、全く痕跡を見せない。まるでシウロンとその周囲だけが世界から隔絶されているかのように。


 第三者であれば、シウロンの姿が神々しく見えていたかもしれない。木漏れ日と静謐な風情は絵になると。

 しかしスイを期待していたレンにとっては、残念極まりない光景だった。


「こんな何もない場所へ、どういった用向きですか?」

「おまえには関係ないだろ」

「確かに」


 シウロンが洞窟の先へと目をやった。村人の誰も知らないこの洞窟を、シウロンが知っている?


 レンが知る限り、シウロンが村へ到着したのは昨日である。その頃にはもう洞窟は崩落していた。つまり遺跡に入れるはずがないのだ。

 それなのにまるでここが特別な場所だとわかっているように――。


 レンの思考がぐちゃぐちゃになっていく。


「レンはなぜここで足を止めたのですか?」

「しつこいぞ」

「まだ二回目です」

「次言ったら怒るからな。おちょくられるのは好きじゃないんだ」


 シウロンはうっすら微笑むと、洞窟への視線を切る。


 丁度いいところでレンの腹の虫が鳴った。朝食を適当に切り上げたツケが回った形である。


 森が静かであれば、小さな腹の音でもまあまあ響く。

 レンは弱みを見せた羞恥で顔を赤らめたが、シウロンは全く意識していない様子だった。


「帰りましょう。居座ったところで何を得られるわけでもない」


 帰れば空腹を満たせると言いたいのだろうが、レンは根を這わせたように動こうとしなかった。


「嫌だ」


 空腹を解消するなら、いつものように木の実を齧ればいい。村に戻れば誰かしらと関わることになる。今は一人で居たいのだ。


 シウロンはそんな心中を見透かして微笑む。


「昨晩はすぐ隣にいましたから、その気持の末端は理解できるかもしれません」


 確かにそんな気はする。

 昨晩、院長先生に叩かれそうになったとき、ナシュレイ組合の人が院長先生を止めてくれた。しかしそれがなかったら、シウロンが間に入ってくれたのだろう。


 院長先生を前にしたシウロンの目は、今とは全く違っていた。あれは一種の害意だ。


 話をしてみても、いいかもしれない。どうせお見通しなのだろう。

 スイがいない今、最も頼りやすいのはナシュレイ組合か、目の前にいるシウロンだ。


 レンの唇が恐怖で震えた。もしシウロンにも否定されたら正気でいられる気がしない。

 でもきっと大丈夫だ。根拠はないが、そう思い込む。でなければ潰れてしまう。


 シウロンがかかとを軸に体を反転させる。ふわりと羽織が浮いて、落ち着いた頃にはレンへと正面を向けていた。

 その麗容はとても温かくて、不思議とスイが重なった。


「聞きますので、話してください」


 レンはその言葉に逆らえなかった。


「みんなと仲良くなりたいと思ってたんだ。でも無理かもしれない」


 全てをぶちまける。栓が外れてしまえば、あとは内圧のやりたい放題だった。感情の赴くまま、不安定で纏まっていない思いが、次から次へと口から溢れる。

 レン自身ですら自分の言葉が理解できなかった。シウロンにぶつけてようやく『自分はこんなことを考えていたのだ』と知る。


 孤児院内での問題。院長先生への思い。他の孤児との距離感。

 怪我をしても痛みを我慢して自然治癒を待たなければいけない孤独。

 雷の日、小さな子の怯える声を聞きながら、院長先生が怒鳴り込んでくるのではと危惧する恐怖心。

 村人からゴミに向ける目で一瞥される喪失感。

 抵抗が許されない恐怖。無力感。感情を切り捨てて達観するしかなかった。

 きっと未来もこれが続く。


 そしてなにより、友を失ってしまったこと。別れも礼も告げられなかった。




 疲弊してようやく思いが止んだ頃には、息が上がり目元から涙が伝っていた。


 その間ずっと、シウロンは身じろぎ一つせずに聞いていた。終わると頷き、そっぽを向く。


 森林浴とでも言うのだろうか。シウロンは木漏れ日の中ゆっくりと歩を進めながら、枝葉を愛でるように注視している。


『何か言ってほしい』


 レンはそう願うが口には出せない。ついさっきまで吐き出せるだけ吐き出したにもかかわらず、最後の一言だけは喉で詰まった。


 シウロンは森の香りや葉擦れ、冷たい風に己を溶け込ませ、瞑想をするように自然と一体になる。

レンは自分が居ないものとして扱われているようで、気が気でなかった。


 そんなシウロンが首だけで振り向く。


「私の元に来ますか?」


 その言葉を聞いた瞬間、レンの視界が晴れる。自分が何を求めていたのか直感で理解できた。


「強くなりたいのでしょう? 魔術であれば教えられるかもしれません」


 その全てを見透かしたような言葉で、シウロンの手に飛びつきたい衝動を抑える。手の平で転がされているようで癇に障ったのだ。


「そんなこと言ったことない」

「早朝から剣術を真似て素振りをしておいて何を言う」

「あれは、偶然早起きしちゃってやることがなかっただけ」

「火事で燃えたという、魔術の入門書は?」

「あれは、くれるって言ったからもらっただけ」

「そういうことにしておきましょう」


 シウロンはレンに背を向けた。レンを置いて一人で歩いて行く。


『待って』


 惜しいとレンはようやく手を伸ばしたが届かない。

 シウロンはレンに背を向けたまま歩を進める。その足はなめらかで音もない。


 レンはシウロンを目で追った。伸ばされた手を取らなかった自分を叱責する。

 置いていかれる。変に対抗意識を持たなければよかったと後悔した。


 シウロンの姿が木々の隙間に消えていく。もう手遅れかとレンが諦めかけたそのとき、シウロンの足が止まる。


「行きますよ」


 たったそれだけ。振り返ることもなく告げられた。


 レンは顔を上げた。土を蹴り上げながら走る。すぐに追いつき横に並んだ。見上げても、シウロンはただ前を向くのみである。まるで無視されているようだが、それでも構わなかった。

 シウロンの歩速は一定で、それは子どもの歩幅でも無理なく付いていける速さだった。

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