7

 村に戻っても孤児院には寄らずに、シウロンから聞いたナシュレイ組合を探した。なるべく建物に身を寄せるようにして慎重に進んでいく。


 目当ての一団は村の西側に集まっていた。森とは反対側にある村の入口、街道へ続く道、その脇でテントを張っていた。


 テントの周囲には村人が寄り集まっている。とは言っても疎らだ。そもそも村の人口が多くない上に朝早い。支援が来たことを知らない人もいるだろう。


 それを加味しても少なかった。理由にはすぐに思い至る。村人が減ったからだ。


 ただでさえ少なかった村人が更に減った。それに伴い活気も弱る。人が集まっても、基本的には事務的な会話だけ。親しい仲でも気まずい雑談が限界の様子だった。


 レンは物陰から集まる全員の顔を舐めるように見回す。特定の人物の有無を確かめるためだ。走り回る者もいないので簡単だった。


 やはり昨日の男に対する警戒は解けずにいる。クッキーに意識を乗っ取られそうだが、首を絞められ殺されかけたことを簡単に忘れるはずがない。


 許す許さないは置いておくとして、もう同じ苦しみを味わいたくないのだ。


 もしまた首を絞められるなら、そのときは抵抗したい。しかし残念ながら難しかった。単純な話で、体の大きさ、腕力の強さで敵わない。手段がないのだ。


 腕力で及ばず、魔術は使えず、守ってくれる人もいない。故にレンにできることは泣き寝入りか、出会わないよう注意するか、もしくは祈るかだった。


 今は注意をしつつ、祈ることにする。


 周囲を確認したところ、幸いにもテントの周りにあの男はいなかった。物陰から少しずつ顔を覗かせ、じわじわと視界を広げていく。


 よし。やっぱりいない。今のうちにクッキーを貰おう。


 レンはテントまで小走りで急いだ。


 テント周辺には木の台が広げられており、配布物はそこに並んでいた。珍しいことに村人は規律を守り列を成し、順番を守ってそれらを受け取っている。


 中にはシウロンが言っていた魚の料理もあった。台の左端で湯気が上がっている。

 見たこともない巨大な鍋から小さな容器へ移されて、手渡しでの配布が行われていた。


 受け取った人の多くは、近くで腰を落として食べている。持ち帰りは僅かだった。


 レンにとって食欲そそる香りよりも、異様な大きさの鍋が気になった。村の正確な人口は知らないが、全員に三杯ほど配っても余りかねない。それほどに大きく、迫力も相応だった。


 鍋を凝視するレンは周りから見れば隙だらけである。空の器に料理を移す彼でも、簡単に先手を取れるほどだった。

 ナシュレイ組合に所属する彼は仕事の都合上、どうしても手元に集中しがちだが、今のレンよりは周りがよく見えている。


「君、どうしたんだ?」


 ようやくレンの視線が鍋から外れた。


「これ食べる? 骨は取ってあるけど、残っているかもしれないから、気をつけないといけないけどね」


 彼は齢二十に届かないくらいの青年だった。捻じれ癖がある茶髪がよく似合っている。表情がとてもやわらかく、警戒心よりも親しみやすさが前に来た。


 レンにとって、この場は不安の塊だった。人が集まりやすい場所、今はいないが昨日の男がいつ来るかもわからない。一刻も早く離れるべきだ。


 一度ゆっくりと後ろを確認してから、単刀直入に始めた。


「クッキーがもらえるって本当?」

「誰から聞いたの?」

「シウロンって人」

「ああ、あの人か」


 彼は首肯する。どうやら本当にクッキーがもらえるようだ。レンはかつての幸福感を思い出し、無意識のうちに口角が上がってしまう。


「うん、まだ出してないけどあるよ。欲しい?」


 レンは間を置かずに本心を伝えた。少し待てと手で制されそうすると、彼は首だけで振り向むく。


「すみません。リディさん、こっち代わってもらえませんか?」


 すぐにテントの口が揺れた。壮年の女性が顔を出す。すぐに彼と話し合いを始めた。

 レンはじっとその二人を見上げる。途中、彼がレンに手を示すと、女性に微笑まれた。


 会話の内容は聞き取れなかった。話そのものが短くすぐ終わった上に、明らかに声量を落としていたからだ。

 盗み聞きをする必要もないので、行儀よくじっと待つ。その間も周囲には気を配る。不審者の如くあちらこちらを警戒し続けた。


 二人の話がまとまると、彼が立っていた場所に女性が立った。そのまま女性が配布を継続する。

 彼はというと奥に引っ込んだ後に、手に包を乗せて戻ってきた。


「おまたせ」


 台の向こう側から歩み寄ってくれた彼は、レンの側で腰を落として手に持っていたそれを差し出す。


 包とは若干マーブルがかった黄色い半紙を折り込んで作られていた。外側はごわごわな厚手の紙、内側は油を弾くつるつるに加工された紙の二枚重ねで、しっかりと包装されている。


 隙間から甘い匂いが零れていた。鼻を近づけると幸せな記憶が蘇る。


「ありがとう」


 忘れてしまう前にその言葉を伝えた。


「どーいたしまして」


 クッキーは全部で十枚は超えている。子どもが一人で平らげるには重い量だった。彼は分け合う前提で一包をそのまま渡したが、レンにそのつもりはない。


 どこかで隠れながら食べてしまおう。孤児院に持ち帰れば、院長先生に取り上げられかねない。


「ところでちょっと訊きたいんだけど」


 手元に見惚れていたレンは顔を上げる。


「そのシウロンって人、今どこにいるか知ってる?」

「わからないけど、森の奥に行ったよ」


 レンは村の東にある森を指差す。彼はその方に目をやると、得心がいったと頷いた。


「森の奥? あぁ、そうか。なるほど」

「悪い人なの?」

「急にいなくなったから心配だっただけだよ。森にいるなら納得だ」


 どうやらシウロンもレンと同じく、誰にも行き先を告げずに森に入ったようだった。しかし院長先生や一部の村人に虐げられているレンとは違い、シウロンは一定の信頼を得ているようである。


「シウロンってどんな人なの?」


 彼なら知っているかもしれない。勢いに任せて尋ねてみたが、問われた彼は要領を得ない複雑な表情で唸った。


「正直なところ、僕もわからないんだよな。昨日、グラフェルから出発する直前にさ、同行することになったって急に上司が連れてきたんだよ。それが初対面。あだ名で呼べるくらいには仲良くなったつもりだけどね」

「結局、知ってる人なの? 知らない人なの?」

「どっちかというと、知らないかな。でも悪い奴じゃないと思うよ。始めはコネでも使って無理やり同乗しただけのいけ好かないやつだと思ったけど」

「違ったんだ」

「同行できて良かったとは思ってる。実際にこちらにも利益があったからね」

「利益って?」


 彼はテントの後ろを親指で指し示す。


「あれ見えるかな?」


 レンが背伸びをしながら覗くと、変なものが見えた。それは箱だった。

 テントよりも大きく細長く、底面には車輪を穿いている。


 乾いた泥のような汚れがあちこちに見られた。車輪の存在と、周囲に馬のような牽引する四足動物等が見当たらないことから、これは自走するのだと推測できる。


 推測が届くのはそこまでだった。シウロンとあの箱がどう繋がるのか、その辺りは闇の中にある。


「なにあれ」

「魔術駆動の車なんだけど、初めて?」

「馬車なら見たことあるよ」


 たまに来る商人が使っている。荷馬車と呼んでいた木製の車体は、この箱と同等の大きさがあった。


「馬車は馬に牽かせるけど、あれは魔術、というより魔素で動く。所謂、自動人形、ゴーレムの派生形だな。移動と運搬に特化していて、それ以外の命令は一切できない単純な機構さ」


 彼は両手を腰に起きながら自慢げに語った。


 シウロンの話をしていたと思ったら、話題が急に車へ飛んだ。この二者の繋がりがわからず、レンはそればかりに気を取られる。


「それがどうしたの?」

「ちょっと難しい話になるけどいい?」

「うん」

「じゃあ――」


 彼は咳払いの後に始める。


「あの車は、いわゆる魔道具と呼ばれる物の一種なんだ。魔道具ってのは、誰でも魔術が使えるようになる道具な」

「誰でもって、俺でも?」

「そうだよ。でも危険だから、使用許可がないと使っちゃいけないんだけどね」


 残念に思い、肩を落とす。


「魔道具は基本的に内蔵されている術式を用いるんだけど、その術式に精通している魔術師は、内蔵されている式を補強したり、新しい式に昇華させたりできるんだ」

「どういうこと?」

「簡単に言うと、すごい魔術師が魔道具を使うと、すごいってこと」


 レンは魔術を知らない。言葉で覚えているだけで、実体に関しては謎ばかり。

 しかし今回だけは想像できる。示された魔道具が、自走する箱だとわかっているからだ。


「おぉ」


 レンは自ら生み出した想像に感嘆の息を漏らした。高速回転する車輪。車輪が速く回れば、箱の速度も上がっていく。


 シウロンの話をしていたはずが、彼はどうして魔道具について語ったのか。

 レンは取っ掛かりを見つけて切り込んだ。


「シウロンって魔術師なの?」

「そうなんだ。シウは魔術師なんだよ。ここへの道中、ずっと車の走行を強化してくれて、おかげでたった半日で来られたんだ。馬鹿みたいに速かった。あそこにいるおばさんと、車体がずっと悲鳴を上げてたよ」

「シウロンが魔術師――」


 森で気配を感じさせなかった。あれも魔術だったのかもしれない。それなら納得できる。レンはようやく答えを見つけて微笑んだ。


「さっきの魔道具の食いつきようといい、魔術に興味があるのかな?」

「うん。練習したいけど、どうすればいいのかわからないんだ」

「じゃあ少し待っててくれるかな。お兄さんがいい物をあげよう」


 レンが何かを言う前に、彼は小走りで車へと向かった。呆気にとられ固まっている間に彼が戻ってくる。


 無言のままそれが差し出された。


「本?」

「魔術の入門書だ。基礎を学ぶには悪くないと思うよ。暇つぶしにもね」


 彼は軽く片手で持っていたが、レンにとっては大きい。クッキーを脇で挟んで両手で受け取る。表紙に幾何学模様が描かれた空色の本だった。


「食べ物だけじゃなくて、こんなのも持ってきてるの?」

「他にもいろいろとあるぞ。衣類とか、家の修繕に使える木材とか、ボードゲームとかね」

「ありがとう」

「喜んでくれるなら持って来た甲斐があったよ」


 今日はレンにとって良い日だ。朝に剣を褒められて、クッキーを貰えて、更に魔術の第一歩を踏み出せるのだ。


 レンは喜々として表紙を開く。脇に挟んだクッキーは意識の外で、包装紙がバリッと鳴っても気にならなかった。


 欲望のままに魔術教本に目を落とす。レンが開いたページは筆者の魔術への考え方や、魔術師の心構えについて書かれている。


 本来であれば一文字ずつ丁寧に、舐めるように読み進めたいところだが、レンの視線は泳ぐばかりだ。


 すぐに顔を上げる。表情には失意と絶望がベッタリと塗られていた。


「字が読めない」


 彼の笑顔も氷のように冷えて固まる。


「失念してたな。どうするか。読んであげられればよかったんだけど、そこまでの時間はないんだよなぁ」


 仕方がないと理解していた。彼にも彼のやるべきことがある。引き下がる以外の選択肢はなかった。


 本の上にクッキーの包を置く。


「大丈夫。なんとかして読むよ」

「わからなかったら親御さんにでも読んでもらうといい」


 親なんてレンにはいないが、わざわざ言うことでもない。


 彼は本当に良くしてくれる。それが理解ができなかった。ここまで優しくしてくれる大人はこの村には存在していない。


 なぜか思考してみると、嫌な想像が頭に浮かぶ。


 レンはずっと兵士になってみんなを守れば、誰とでも仲良くなれると信じていた。

 しかしこれは間違いで、本当は孤児という立場があるから、周囲が冷たかったのではないか。そんな考えが過った。


 その可能性があるならば、境遇については何も言うべきではない。クッキーと魔術入門書をくれた彼は、レンが孤児だとは知らないはずだ。それを知った途端に態度が急変するかもしれない。想像すると怖くてたまらなくなる。


「本当にありがとう」


 レンはそれ以上は口にしなかった。


「もっと言ってくれ。お礼を言われたいがために、人助けをしているまであるからな。善人になるのはいつだって気分がいい」


 テントの方角から彼を呼ぶ声があった。彼は声に答えてから、レンに視線を戻す。


「すまん。呼ばれたから、もう行かないと。じゃあ怪我には気をつけろよ」

「うん」


 レンの頭がとんとんと優しく叩かれる。別れの挨拶はそれだけだった。


 目を落とすと、手元には本とクッキーがあった。本はすぐには読めないが、クッキーはすぐに食べられる。


 とりあえず食べてしまおう。そのためにも人目がないところへ行きたい。


 安心できる場所で真っ先に思い浮かぶのは森の中だった。


 本とクッキーを抱える両手に力を込めて、民家と納屋の隙間に滑り込もうと走った。


 その足は半ばで止まる。レンは心臓が掴まれるような苦しさに襲われた。

 原因は強烈な視線だった。背中に突き立つ圧力は、暴れる炎のように恐ろしい。一度貼り付いてしまうと、身を捩っても簡単には剥がせなかった。


 恐る恐る振り向くと、そこには知っている顔があった。

 昨日見た顔。レンの首元に手を伸ばし、首の根元を圧迫された、あの鬼の形相がそこにあった。

 レンの背筋がサッと冷える。


 男は道の隅に立ち尽くしたまま動かない。まるで凍りついているかのように何もしない。ただレンを見つめている。じっと、静かに。


 昨晩は眠れなかったのか、目が真っ赤に充血し、目元は血の涙を拭いたかのように赤黒く痣になっていた。


 ここに居座っても良いことはない。本能のような直感に頷いて、レンはゆっくりと歩を進める。


 眠る熊の横を通るように、意識的に音を控えて進んだ。


 レンは物陰に入った途端に、堰を切ったように走った。肩を上下左右に揺らしながら、子どもではありえない速度で駆け抜ける。抱える両手に力がこもり、クッキーが割れる音がした。


 あの男はまだ同じ場所にいるだろうか。敵意を隠そうとすらしないあの目を思い出すと、足がもつれ転ぶ寸前まで体が傾いた。




 森の入口まで急いでから振り返る。視界内に人の姿は確認できなかった。男は追って来ていない。

 一先ず安堵の息を漏らす。今すぐ暴力を振るわれることはない。


 レンは木の陰に背を重ねると、包を開けてクッキーを口元へと運んだ。優しい甘み、幸せの味が舌に広がる。

 しかしレンの表情は笑っていなかった。

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