7

 完全に森の外へ出ると、密集した建物群を見つけられた。少し距離があるが、騒がしさが伝わってくる。


 叫び声。物が衝突する音。板材がへし折れる音。泣き声。やはり獣が村に入り込んでいる。


 悲痛な叫びを聞けば、本来であれば焦りを覚えるだろう。

 しかしスイは安堵した。まだ全滅はしていないとわかったからだ。


 レンを優先した時点で、全てを助けることは諦めている。人が残っているなら十分、及第点だと頷いた。


 自分に課すべきはこれから先だ。ここから先、どこまで被害を減らせるのか。


 目を凝らし、耳を澄ますと、戦いの音が聞こえてくる。誰かが激励した。それに他の者達が答える。


 スイは柵を飛び越え、民家の横をすり抜けて、その場へ急ぐ。


 通り抜けざまに村人が叫ぶ。


「■■■■■■!」


 何を言ってるんだ。せめて分かる言葉で話してくれ。


 視界がクリアになったとき、畑の中央に獣の姿を確認した。

 出会い頭に戦いを始めるつもりだったが、予想外があり足を止める。


 敵は一体だと思いこんでいたが、獣は四体いた。体格はそれぞれ違うが、どれも屈強という点に違いはない。

 レンを襲った個体もいる。そいつは中程度の体格だった。


 これは困った。壊れかけのナイフ一本ではどうしようもない。一体を裂くだけでも折れかねないのに四体――二体ですらこのナイフは耐えられないだろう。奴らの表皮はそれほどに硬い。


 ならばこのナイフは捨ててしまおうか。丁度、新しい武器を見つけられたところだ。


 予想外はもう一つあった。それは戦士が獣たちを抑えていたことだ。彼らがレンが目指す兵士だろうか。


 その戦士は五名で、全員が同じ、幅がある剣を手に獣と相対していた。獣が四体に、戦士が五人。数だけを見れば拮抗しているようにも思えるが、その実違う。


 スイは畑に倒れ伏す戦士を数える。一、二……四人か。しかし獣の死体は上がっていない。


 このまま傍観していたら、あの戦士たちは押しつぶされる。やはり自分が介入するべきだとスイは判断した。


 畑には戦士が四人転がっている。つまり剣が四本落ちているのだ。その内の一本、最も近い剣に、散歩をするように近寄った。


 スイの存在に気づいた戦士たちが目を見開き、声を張り上げる。


「■■! ■■■■■■」


 なにやら叫んでいるが、会話はできないのだ。無視でいい。


 刃の下につま先を差し込み、蹴り上げて回転する柄を手に取る。


 さて、早速始めるとしよう。こちらの時間も残り少ない。こいつらを片付けた後レンの元へ戻らないといけないのだから、手加減も余興もなしだ。


 獣の内一体、レンを襲っていた個体がスイに鼻先を向けた。どうやら憶えていてくれたようだ。その個体だけが前足を一歩だけ下げる。


 こいつらはどこまでも無機質な存在だと認識していたが、感情を思わせる動作もできるらしい。


 スイは獣の中でも特に小さな個体を狙った。それに横目をやり、剣先を向けると、同時に飛び込んだ。



===============


 獣を囲んでいた戦士たちは言葉を失っていた。スイとの会話が望めないからではない。人ならざる踏み込みを目の当たりにしたからだ。

 戦士の一人はスイを完全に見失ってしまう。その後、スイを見つけたときには、既に獣の首元に剣が突き刺さっていた。


 仲間が大勢やられた。自分たちも勝てるとは思っていなかった。時間稼ぎができれば上等。そんな相手、ロンドラートの獣を相手に善戦どころか一方的に……。人が羽虫を潰すように――簡単に。


===============



 なるほど。悪くない。スイは今日初めて剣を使ったが、その感触は好印象だった。ただの鋳造品かと思ったが、この剣はしっかりと鍛えられた一品かもしれない。


 少しばかり魔素を流すだけで十分な性能を発揮してくれる。レンが剣を好んでいたのも理解できそうだ。……それに比べて。


 スイはため息をつきたい気分になった。身体能力が全盛期と比べると劣っていたからだ。もう少し綺麗にやれると思っていたのだが。


 獣の首から剣を引き抜こうと力を入れた。しかしうまくいかない。首元の肉が締まっているようで、完全に剣が固定されていた。


 首に剣が突き刺さった獣、その個体が反撃のために爪を立てる。スイは剣を諦め、後ろに下がった。


 まるでアクセサリーのように首に剣を刺したまま、その獣は立っていた。よろけるだけで倒れはしない。


 ずいぶんと頑丈な体だ。これでは首を落として死ぬのかも怪しいじゃないか。


 獣もやられてばかりではいなかった。スイを無視して戦士に飛びかかる。

 すぐさま戦士は手をかざすとその瞬間、獣との間に巨大なシャボン玉が現れた。水泡と言うべきか、獣はそれと衝突する。


 その水泡は獣を受け入れ閉じ込めた。地面すれすれを浮きながら、獣の身動きを封じている。


 これは何だ? スイの記憶にはない技で足が止まる。唯一わかることは、水泡が魔素で生成されたことだけ。


 戦士は水泡に向かって剣を振り抜いた。水泡は綺麗な一閃を受け入れる。惚れ惚れする残影が空中で輝く。しかしそれが獣を傷つけることはない。獣の皮膚が刃を弾いた。


 獣は水泡に鋭い爪を立てる。何度も何度も前足を振り下ろした。

 はじめは良かった。水泡の膜は、しっかり爪を弾き返す。しかし次第に耐えられなくなり、最終的にはヒビが入って砕け散った。


 水泡が割れてしまうとあっけない。獣はそのまま戦士に覆いかぶさる。


「■■!」


 戦士は足をもつれさせ尻餅をつく。これから降り注ぐであろう鎌のような爪の対処には、剣を盾にするだけで精一杯だった。


「■■■■■■」

「■■■!」


 他の戦士たちが叫ぶが、飛び込んだのはスイだけだった。幸い速さには自信がある。

 獣の爪は戦士の喉まで、瞬きの間ほどまで差し迫っていた。しかしそれ以上近づくことはない。


 スイは間に割って入ると、獣の腹を蹴り上げて、戦士の胸ぐらを掴み投げ飛ばした。ついでにその戦士が持っていた剣を奪い取っておく。


 獣は重く、蹴ったところで大して意味はなかった。しかし本来、戦士を切り裂くはずだった爪は空を切る。


 戦士に対し『下がっていろ』と目で制した。


 獣の首に剣を刺したが、絶命には至らなかった。ならば切り飛ばすしかない。それで絶命するかはわからないが、流石に動けなくなるだろう。


 スイは獣の動きに合わせ、精一杯に剣を振る。その動きは経験者からしたら不格好に映るものだった。

 刃は横に動くが、得られた効果は獣の表皮を傷つけるだけ。首を落とすにはまだ掛かりそうだった。


 スイは先程の戦士の動きを思い出し、見よう見まねで剣を振る。ああではない。こうでもない。振る度に獣に傷が増えていく。

 では、こう振ってみたらどうだ? 試してみると、獣にはより深い傷が刻まれた。


 悪くないぞ。少しずつだが斬り方を学んでいく。最初よりは綺麗であっても、素人剣には違いない。剣の切れ味だけで斬っている感覚は拭えなかった。


 それでも届くのであれば問題ない。


 スイは渾身の一閃を放つ。それは淀みない静かな剣閃だった。冷たい刃が獣の首元に触れると、それを上下に分かつ。ぼとりと首が落ちて、巨体が傾き倒れた。


 血液は流れなかった。刃は変わらず銀色に輝く。


 獣は動かない。首を落とせば死ぬようだ。スイがまず最初に思ったのはそれだった。


 続いて二体目。やることはもうわかっている。

 即接近から剣による足払いを掛け体勢を崩す。バランスが崩壊ししなった首に、上から刃を落として切り離した。二体目終わり。残るは二体。


 そのうち一体は、首に剣を刺したままの個体で、もう一体はレンを襲った例の個体だった。


 剣が刺さった方は、なんだかんだでダメージがあったようで時間とともに、動きが精彩に欠いていた。剣を外そうと首を振ることが多く、どうも動きがぎこちない。飛びつくにも一拍遅れてから飛んでいる。


 そちらは戦士たちが囲んでいた。人数差に加えて獣は手傷を負っている。劣勢だった戦士たちでも十分対応できていた。


 ならば残ったのは一体だけだ。レンを襲ったその個体だけは今までじっと動かなかった。


 スイが剣を構えようとしたそのとき。


 ……あれ?


 思わぬ事態に動けなくなった。スイは自分の右手を見る。わずかにぼやけて見える右手は空で、剣は足元に落ちている。


 放したつもりはなかった。しかし事実としてスイの手に剣はない。試しに握りこぶしを作ろうとしたが、右手は開いたまま動かなかった。


 酷使しすぎたか。脳より先に右手が死ぬとは思っていなかった。


 今まで自由に動いていた手は、もう震えることすらない。

 動かなくなったのが右手でよかったと思おう。これが足だったら這って帰ることになっていた。


 本当にそうなる可能性がある以上、この体はもう限界だ。終わらせよう。スイは左手で剣を拾った。


 利き手である右手でも剣に慣れるまでに時間がかかった。左手だとまともに扱えないだろう。技に関しては全て諦めるしかない。


 斬るという行為には技術が伴う。しかし突くだけであれば、まだなんとかなるはずだ。


 剣先を真っ直ぐ獣に向ける。角度を維持するために、柄を腹で固定した。

 首を落とす必要はない。突き刺せればここの戦士たちでも対応できる。目標はそれだ。このまま突っ込み、抜けなくなるまで剣を押し込む。


 スイの足は変わらず動いてくれた。瞬間的に移動して獣に剣先を当てると、力任せに押し込んだ。


 一つ誤算があった。それは獣の警戒心である。スイが動くと同時に獣も後退をした。その結果、剣先が触れる箇所がズレる。

 スイは首を狙っていた。しかし刃が突き立った場所は額だった。


 頭骨がある分、首よりも硬い。しかし問題なく刃は進む。沼地に沈むように、ゆっくりと沈んでいく。

 左右に振れることもなく真っ直ぐ進んだ剣は、身を半分ほど埋めたところで止まった。


 首に剣を突き刺しても、異様な生命力で獣は動き続けた。しかし頭はさすがに厳しいらしい。


 獣は後退ると体をくねらせながら倒れる。足をばたつかせているためまだ生きているが、立ち上がることすら難しいようだ。これならもう戦士が相手をするまでもない。誰かに危害を加えることもないだろう。


 終わった。内容は酷いものだったが、結果を見れば悪くない。スイが介入してから、死人どころか怪我人すら出ていないのだから。


 ふと村の方向へ目をやった。その先には特別大きな建物がある。


 そういえば、レンが寝起きしている孤児院は、特に大きな建物って聞いたっけ。老朽化が始まっているが、雨風くらいなら十分に防げる木造建築物だった。


 望んでもいいなら、孤児院を始め村全体をゆっくり見て回りたい。


 しかしそれは決して手が届かない夢である。現実は悲惨なものだ。

 周囲を見れば、既に事切れている戦士もいる。一般人にも犠牲者はいるのだろう。もしスイの体が十全であったとしても、見物が許される状況ではない。


「■■■■■■■。■■■■■? ■■■■」


 横には戦士の一人が立っていた。その後ろに他の戦士たちも並んでいる。

 安堵の笑み、喪失感の無表情、悔しく歯噛みする者もいた。


 それらを見回し、スイはただ首を横に振る。


「■■■■■■■。■■■■■■■■■■■■■■」


 戦士は目を伏せていた。悪いけどそれでも言葉は返せないのだ。返したくとも返せない。


 スイは自分の喉を指で叩く。そして首を横に振る。このときの戦士の表情は、スイが呼吸をしていたなら大笑いをするほど滑稽なものだった。


「■■■■■■■■――」


 戦士は複雑な表情のまま何かを伝えようと、身振り手振りも交えて語る。謝礼だろうか。そんな態度だった。もし本当にそうだとしたら、どうでもいい。


 もう村に危険はないと判断し、無視をして視線を切った。

 戻ろう。レンが待っている。


 戦士たちはスイの背中に声をかけ続ける。いくら声を張り上げてもスイの耳には届かなかった。


 スイが森の中へと消えていく。途中まで戦士の一人が追ったが、森の入口でその足は止まった。

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