6

 階段を駆け下りた。腐食した段を踏み抜き、躓きながらもなんとか地下二階へ下りる。


 自動で壁に埋め込まれた二つの線が淡く光る。次第に部屋全体が浮かび上がった。


 正面には楕円のガラス玉が並び、それぞれの手前にはコンソールが設置されている。入り口からは見えないが、右奥には数多の計器やモニターが揃っており、そこでは全てのガラス玉の制御が一括で可能だ。


 ガラス玉の多くは既に壊れていた。割れているもの。排水口にゴミが詰まって使えないもの。チューブに亀裂が入っているもの。


 スイは使い物にならないガラス玉の間を歩いて奥へと進んだ。


 更に奥、小さい部屋がもう一つある。そこはこの施設でも特に重要な研究が行われていた部屋だ。


 自動ドアが開く。懐かしさを感じさせる甘い匂いがした。


 レンはスイの腕の中で目を閉じている。眠っているだけなら可愛らしいのだが、今のレンはもはや息をしておらず心臓も止まっていた。医療レベルによっては死亡と判定される状態でしかない。


 でもこの装置を使用すれば大丈夫。


 スイは部屋に設置された設備を見上げる。かつて博士が卵と呼んでいた、人間用の培養ポッドは未だに破損一つなく、綺麗な状態でそこにいた。


 量産品とはまるで違う、化け物を作り出すために製造された特別な培養槽。耐久性も耐用年数も量産品とは比にならない。スイは内側から殴ったことがあるが、全く歯が立たなかった。


 仮想世界が存続していたこと。部屋の照明が点いたことからわかるように、バッテリーは生きている。唯一の懸念点は培養液だが……。


 目を閉じて博士の顔を思い出す。


『まさか、まさか、まさか、私はついに、人間の蘇生に成功したぞ! 意識はあるか? 私がわかるか? 最後の記憶を思い出せるか? どの程度の障害がある? いやはや素晴らしい。主題からは反れてしまったが、まさか腐敗した死体が鍵とは――』


 あのとき博士はこのコンソールに触れていた。記憶をたどり、博士がやっていた通りにコンソールを操作していく。


 卵が起動する。まるで昨日まで現役だったかのようだ。異音一つなく、軽快に立ち上がる。ゴボゴボと泡を吹きながら、卵に透き通った琥珀色の培養液が注がれた。


 すかさずレンを卵へ納める。体の大部分を失ってしまったレンにとって、卵はあまりにも広すぎるベッドだった。


 しばらくおやすみ。


 操作ミスを懸念しながらコンソールを慎重に叩いて、卵の殻を閉めた。


 これで状態の保存はできた。バッテリーが生きている限り、腐敗が進行することはない。

 しかし完全な蘇生はまだ先だ。失った体を再構築させなければいけない。しかしそれもまた難しい話である。レンに合う素体がないのだ。


 さっきの獣の腹を蹴り上げて、食べたものを吐き出させても使い物にはならないだろう。


 解決策としては、別の培養槽で新しい体の部位を生成すればいい。

 とある事情でこれも不可能だった。その事情とは時間である。


 スイは自らの胸に手を当てる。正常な人間であれば響いて然るべきな振動がスイにはなかった。


 鼓動を失い、体の各部位にエネルギーを送れなくなってからもう長い。今までは消費エネルギーを最小限にしつつ、生命維持装置としての面もある仮想世界に引きこもり生かされてきた。こうして外に出てしまった以上、もう長くは保たないだろう。


 空気中の魔素を皮膚から取り込んで耐えているが、限界は近いはずだ。魔素を吸収しやすい手足だけなら数日くらい保つかもしれない。しかし脳の機能は一時間と待たずに停止する。


 旧文明の技術力があっても、ゼロからの手足の培養には時間が必要だ。下半身どころか左腕を作るだけでも時間がかかる。


 その上、研究者ではなく実験体であったスイは、装置の正しい使い方を知らない。かつて博士や他の研究者がやっていた操作を真似るだけで限界なのだ。

 これはつまり、繊細な設定ができないことを意味する。


 まともな設定ができない状態での手足の培養は、まず失敗するだろう。目視で状態を確認しつつパラメータが異常値を割らないよう都度修正を加えるなら、上手く生成できるかもしれない。しかしその場合は、スイの寿命が先に尽きてしまう。


 卵で眠るレンの輪郭を指でなぞった。

 でも大丈夫だ。解決策は考えてある。必ず助けるから、少しだけ待っていてくれ。


 スイが考えている方法なら、三分も寿命があれば十分に足りる。操作の手順も頭に入っているため手間取る心配もない。


 それを実行する前に、動ける内にやらなければいけないことがある。


 スイは踵を返した。目的地はレンが住んでいる村である。


 もしあの獣が村に向かったなら、凄惨な事件が目に浮かぶ。全滅した村。その光景を現実にするわけにはいかないのだ。村が滅んでは、レンを助ける意味がない。


 レンはまだ子供だ。村が滅んで一人になったら、食料の確保もままならない。先程の獣のような危険も潜んでいることだろう。ここで生き延びても、死を待つだけの人生になる。そうなってしまっては、助けたとはとても言えない。


 それにレンは村を心配していた。助けられなかったと嘆いていた。死にかけの状態で、自分の心配だけをしていればいいものを……。生意気な子供だ。

 スイがレンを助けたように、レンは村の人を救いたかったのだろう。仕方がないので、手を貸してやらないこともない。


 そのためにも武器だ。武器がほしい。あの獣と戦うには殺傷能力が必要だ。


 施設中を歩き回った。しかし適当なものは見つからない。ようやく見つけた銃もカートリッジが湿気って使い物にならなかった。


 諦めかけたときに更衣室のロッカーからナイフが出てきた。それも腐食が進んでいるせいでどこまであてにできるかわからない。

 くたびれたナイフでは心もとないが、これ以上は諦めることにした。準備ばかりに時間は掛けられない。




 スイは二階の非常口から外へ出た。

 非常口の外は、洞窟で暗くて狭い道が伸びている。一本道だったので迷う事なく進んでいく。


 洞窟を出ると森だった。それぞれの木が陽の光を奪い合うように乱立していて、地面まで届く光はとても少ない。


 それでも久しぶりの日光は目に染みた。


 木漏れ日は神秘的だが、それ以上に不気味だった。幽霊が出ると噂を流せば、信じる人が出るだろう。

 湿度も高く、少しばかり足元が泥濘んでいる。雨が降った後なのかもしれない。


 そんなぐしゃぐしゃの土には、足跡が残っていた。レンとあの獣の足跡だ。

 どの足跡も間隔が広く強く蹴っている。きっと走ったのだろう。それは獣の足跡も同じだった。


 レンが洞窟までに付けた足跡と、洞窟から離れる獣の足跡が、ほとんど同じ方向に伸びていた。この事実が不安を掻き立てる。

 あの獣は村に向かっているようだ。


 スイは土を蹴り、泥を跳ね上げた。


 足元の状態は非常に悪い。走ろうとしても衝撃が吸われるのだから、速度がまるで出なかった。優先的に木の根を足場にするように移動する。


 泥濘に足を取られたのは、あの獣も同じだったはずだ。せめてそれが時間稼ぎになっていれば良いのだが。


 しばらく足跡を追いかけると、木の密度が明らかに変わり始めた。陽の光が当たるようになり、視界も開ける。微かに泣き声がした。


 木の根元。足を止めて見下ろすと、そこには小さな子供が蹲っている。


 子供はすぐにスイに気がつく。倒れるように後ずさると、赤く腫れた目で見上げる。


「■■■?」


 スイには理解できない言語だった。しかし状況や言葉の長さから、意図の推測くらいならできる。おそらく何者か問うているのだろう。


 それに対し、スイは首を横に振るだけだった。他に答えようがない。しかしおおよその状況はわかった。


 まだ間に合う。そう信じて先を急ぐ。子供はそこに置きっぱなしにした。

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