4
あの日から毎日、レンは遊びに来るようになった。決まった時間に決まった挨拶をする。
「来たよ」
三日後には慣れたもので、礼儀も最低限になっていた。スイにとっても、変に畏まられるよりは気楽でいい。
レンがこの世界に順応するまでに、日数は掛からなかった。子供ゆえか、それとも個人の資質か。日に日に、ここでの出来事に驚きを見せなくなっている。
「ここって遺跡なの?」
レンがこの仮想空間に来て早々に尋ねた。
「遺跡って言われたら、確かにその通りかもしれない」
実際、建設されてから長い月日が経っている。レンが生きている文明よりも年齢は上だ。おおよそ数千年。一万年は超えていないと思うが、はっきりとしたことはわからない。
この施設は特殊な素材でできているため、理論上は十万年以上保つという話を聞いた憶えがある。さすがにバッテリーはそこまで耐えられないが、それでも数万年なら問題ないらしい。
外のことをまるで知らないスイではこれ以上は何も言えなかった。今の時代の人たちが、この施設をどのように考えているのか。幼いレンに訊いたところで、はっきりとした答えは返ってこない。
「今日ねこの遺跡を探検してみたんだけど、どこも暗いしドアは閉まってるし、全然面白くなかった」
「子供の遊び場にはならないかもな。でも秘密基地にはいいかもしれない」
「それでさ、この仮想世界? に来るとき、いつも丸いところに入るじゃん」
「丸いところ? ……あぁ」
丸いところとは、仮想空間に接続するための繭だろう。ベッドのように横になれる形になっている。
「それのさ、一つだけ開かないやつがあったんだけど、あれってなに?」
「開かなかった繭? あぁ、多分それは私。私もレンと同じように、ここに接続している一人に過ぎないからね」
日数を重ねるごとに、レンの仮想空間への理解度は上がっていた。とはいえ、まだ自由に夢を見られる装置としか認識できていないのだが。
「スイっていつもここにいるよね。ずっと寝てたって言ってたけど、帰らなくていいの?」
「そうだね。ここが家みたいなものかな」
家か。スイにはもう、家と呼べるところはない。かつてを思い出し懐かしさを感じる。権限を行使して、かつての我が家を再現しても面白いかもしれない。レンを招待して食事を振る舞うのもありだ。
スイが郷愁にかられている間、レンは口元を震わせていた。
「俺も帰らなくてもいいかな」
「そんなにここを気に入ったか」
レンはこくりと頷いた。その仕草は淋しげだ。
なんとなくだが想像はできる。レンは毎日、一人でここへ来ていた。子供であれば適当な遊び相手と走り回っている印象だが、レンの友達は影も見えない。
レンは孤児院の子だという。同年代の子がいないとも考えにくい。ついでに兵士になりたい理由が、みんなと仲良くなりたいから。要は孤立しているのだろう。
ここにはスイがいる。二人は友達と言えるくらいには親交を深めていた。それがレンにとってはたまらなく嬉しいのかもしれない。
だからといって、ここでの永住を許可するわけにはいかない。
スイはレンの肩に手を置く。その時点でレンはあらかた理解できてしまった。視線が下へと落ちていく。
「レンの気持ちはわかるけど、ここに居続けるのは駄目だよ」
「でも、スイはずっと居るんでしょ。どうして俺は駄目なの?」
「私だって外に出られるなら出たいものだよ」
「じゃあ出ればいいじゃん」
「できないんだ」
スイは友との約束を思い出した。それを果たすためにも留まり続ける必要がある。
「どうして?」
「隠す必要がないから正直に話そう。レンがここに来るために、繭に入るだろう。あの繭にはね、生命維持機能がついているんだよ。正確には、入ったときの体の状態を維持してくれるんだ」
レンの顰め面を見れば、理解できていないことがわかる。それでも構わず続けた。
「私はその機能でなんとか持ちこたえている。ちょっと体の方に問題があって、外に出ると死んでしまうんだ。短い時間なら大丈夫だけど、すぐに動けなくなる」
「外に出たら死んじゃうの? どうしても?」
「どうしてもだ」
残念ながらスイでは対処できない。だから延命をしている。友は必ず助けると言ってくれたが、長い時間でその期待も薄れてしまった。
「私も出られるなら出てみたいんだよ。レンが暮らしている村を見てみたいし、他にも世界にあるいろいろなものを旅をして見て回りたい」
世界の終焉、旧文明でそれを目にしたスイにとって、新しい文明は希望そのものだ。望んでいいなら、自分の目で見て手で触れたい。
しかしそれは叶わないのだ。体に問題がある今のスイにとって、外の世界は理論上のパラレルワールドと何ら変わらない。遠すぎる世界だった。
「じゃあ、俺が見せてやるよ」
きっとレンにとっては何気ない言葉だったのだろう。食卓で調味料を取ってほしいと言われたから取った。その程度の認識だったに違いない。
しかしスイにとっては違う。空が明るい虹色に輝くような衝撃を受けた。
「だってここなら何でも作り出せるんだろ?」
ここは仮想世界である。権限を持っていれば思うがままに世界を変えられる。レンはその機能を使って、自分が暮らす村を再現するつもりだった。
レンは目を閉じ集中する。思い描くのは、暮らしている村である。
しかし手元に現れたのは棒切だった。
「あれ?」
わけが分からず、レンは首を傾げていた。
「おかしいなぁ。孤児院を作ろうとしたんだけど」
スイは苦笑する。
レンに与えた権限では、建物を一棟建てるのは難しいかもしれない。しかしそれは口には出さない。レンは変わらず孤児院を生成しようとしていた。その必死な姿が有り難く、スイは何を言っていいかわからず声が出なかった。
「レン」
ついさっきまで、外の世界、今の文明を見たいと思っていた。今ではその感情が薄まっていることに気づく。レンの気遣いと比べたら、自分の欲望など小さなものだ。
スイはどうすればレンが喜ぶか、それ以外のことは考えられなくなっていた。
「昔の私の家を見せてあげる」
スイが立ち上がり、権限を行使する。
その瞬間、草原だけだったここに影が落ちる。地上から数えると三十階層の高層建築物が現れた。
スイは出来栄えに満足して頷いた。
うん。よくできている。
かつてはこれでも低所得者層向けだったのだが、硬直するレンを見る限り現文明では珍しいものらしい。
「これが家?」
「この中の一室だけどね」
せっかくだ。街並みも再現しよう。
スイが世界に命令すると、景色が一変する。ベンチと草原が完全に消えた。
足元は灰色で平らな舗装道路へと変わり、道沿いには三十階層が見劣りするような立派な建築物が所狭しと配置された。
より高いものは雲を突き破るほどである。街の中央に鎮座するそれが、晴天の塔と呼ばれた旧文明の力の象徴だ。
屋上には陽の光が入るテラスがあり、そこには決して雨粒が当たらなかったという。事実かどうかはわからないが、そう言われていた。
この街はスイの記憶から生成されている。つまりスイが知らないところは、ただの張りぼてだった。
記憶と違う点は、無人であること。人混みを再現できれば完璧だったのだが、さすがにそれは難しい。
レンはというと、取り乱していた。
「なにこれ。こんな場所があるの?」
「再現しただけだよ。現実ではもう無くなってる」
「なくなったって、スイの家が? 辛かった?」
「そうでもないよ。失ったものは戻らないけど、そんなときはこうやって新しく用意すればいいだけだからね」
用意と言っても、ここは仮想世界。現実で建てるのとは意味が違う。
「こっちだよ」
レンはとても楽しそうだ。走り回って再現できていないところへ出られる前に、さっさと我が家へ案内をしてしまおう。
手招きをすると、気づいたレンが駆け寄ってくる。正面玄関から建物に入り、エレベーターを使って二十階まで登った。真っ直ぐ通った通路を歩き、順番に部屋番号を数える。
ここだ。
ドアに鍵はかかっていない。ノブは抵抗せずに動き開く。記憶から生成したのだから当然だが、ドアの先は昔と変わっていなかった。
スイは懐かしみ、レンは記憶にあるなかで最も豪華な部屋に飛び上がる。
一人暮らし用の狭い部屋でも、レンがはしゃぐには十分だった。
「あまり暴れるなよ」
「でもすごいよ」
レンは外の景色に声を漏らしていた。スイからしたら何の変哲もない普通の光景だが、レンからしたら宝石箱と変わらないのかもしれない。
満足してくれたなら何よりだ。じっとレンを見守っていると、そのレンが不意に振り向いた。
「孤児院はちょっと暗いけど、村で一番大きいんだ。さっきは作れなかったけど、いつか絶対に見せてあげる。約束!」
「いいの? そんな約束してしまって」
「うん。それだけじゃないよ。兵士になったらいろんなところに行って、見たもの全部教えてあげるから」
スイは目を伏せる。レンが眩しく、羨ましく、同時に負い目を感じた。
自らの足で外を歩きたい。生きている人たちの暮らしを横目で眺め、談笑を盗み聞きして、朝から日が暮れるまで何をするでもなく散策するのだ。
人の輪に入れなくてもいい。不審者扱いされても構わない。生きている人たちを自分の目で見たい。それができれば、もはや思い残すことはない。
スイは鼻で笑い、自らを嘲笑した。いつからこんなに卑しくなったのだ。これ以上を望むのは贅沢がすぎる。レンとこうして会えただけでも十分だと満足するべきなのに。
自分はレンに何をしてやれるのだろう。この仮想世界から動けない以上、できることは限られている。考えても思い浮かばない。彼にしてやれることがない。
「ありがとう」
そう言葉にすることが、スイの限界だった。
「もしスイが外に出られないなら、俺がスイを外に出してやるよ」
顔をあげると、窓を背にするレンがいる。
「それで旅をしたいなら、俺が付き合ってやる」
出たら命がなくなる。そう伝えたつもりだったのだが、レンは忘れてしまったのかもしれない。
レンではスイを連れ出せない。それはスイが一番よくわかっている。それでも想像をしてしまう。もし本当に旅に出られるなら。
「それは楽しみだな」
現実にはなりえない未来を想像してスイは笑みを零した。
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