3

 ここは仮想空間であり、スイは願ったものを自由に作り出せる。剣も藁束もそうして作ったものだ。

 そしてそれらは現実での剣や藁束とは因果関係がない。簡単に言うと、特別な要素を付加できるのだ。


 例えば、水の中で火を燃やし続けることもできるし、剣であれば切った瞬間にラッパの音を鳴らすこともできる。


 今回行ったずるとは、藁束にある。剣が触れた瞬間、綺麗に切れるように設定していたのだ。切る前から既に切れていた。

 つまりスイがやったことは、藁束を切ったと言うよりは、叩いたが正しい表現になる。


 スイは懸念していた。とてもよく切れる剣は作り出せるが、それだけで藁束を切り飛ばせるのかと。剣に関して素人である自分では、『切る』ではなく『殴る』になるのではと。その不安がどうしても拭えなかった。


 藁束をうまく切れず、剣を引っ掛けてしまっては笑いものにしかなれない。見栄のために、レンを騙すようなことをしてしまったのだ。


 だから屈託のない笑顔を向けるのは止めてほしい。良心の呵責に苛まれてしまう。


「どうやったの?」

「簡単には教えられないなぁ」


 正確には教えられることがない。叩いただけなのだから。


 嘘が介在するデモンストレーションは、予想よりも効果てきめんだった。レンはまるで神を見つけたかのようにスイを注視する。今ならどんなに荒唐無稽な話でも信じ込むかもしれない。


 だからこそ気をつけなければ。此処から先は冗談も控えなければいけない。


 スイは剣を手放す。それは銀色に陽の光を返しながら、煙のように溶けて消えた。


「レンはそんなに強くなりたいのか?」


 レンは力強く頷く。


「――そうか」


 スイは笑顔を返した。腰を落として、再びレンの頭を撫で回す。前回と比べると嫌がる素振りが少ない。不快感がなくなった、というよりは諦めたという風だった。


 レンは兵士になりたいという。理由は『みんなを守れば、みんなと仲良くなれるから』だそうだ。口には出さないが、スイはこの考えを否定する。


 レンが暮らしている村に兵士がいるという話は聞いた。きっと住民は兵士に対して好意的なのだろう。だから兵士になれば仲良くなれると思いこんだってところか。


 しかしそれが全員に当てはまるとは限らない。単純にその兵士個人の役得かもしれないし、社会的地位が高いならすり寄っている可能性も考えられる。


 兵士という役職を得てから周囲が好意的になったなら、そこには媚や怖れといった感情が介在しているはずだ。本当の意味で仲良くなれるとは思えない。


 レンの考えは既に破綻している。周囲と仲良くなりたいなら、兵士を目指すよりももっと別に力を注ぐべきだ。


 スイはため息を我慢する。


 こんな話を年端もいかない子供に聞かせたところで意味はない。難色を示すだけだろう。


 幸いにも兵士を目指す心構えには利便性がありそうだ。この時代の兵士を知らない故にただのイメージだが、文武両道を求められるのではないだろうか。


 心と体を鍛え、ついでに知識を頭に詰め込めるなら言うことはない。兵士になれずとも、別分野でそれらを活かせるはずだ。つまり選択肢には事欠かない。


 だから兵士を目指すなら、全力で応援してあげたい。できる限り手を貸そう。


 しかしここで問題が浮上する。スイはこの時代の常識を知らない。つまり教えられることがないのだ。


 そもそも人類が再び繁栄したことすら知らなかった。文字もわからないし、数字についても同様だ。十進法なら教えられるが、それ以外を使っている可能性を排除できない以上、計算も教えたくない。


 知識関連は全滅だった。そうすると残るのは武力だが、正直こちらも怪しい。何度でも後悔しよう。剣術に関して勉強しておけばよかった。


 やはり当初の想定通り、体力作りしか残らない。これはこれで問題があるのだ。なぜならここは仮想空間である。いくら鍛えようとも、現実には全く反映されない。


 かといって何もしないのも変だ。


 とりあえず、反射運動や判断力でも見てやろう。その上でいろいろと助言をしてやればいい。


「じゃあ、二人だけど鬼ごっこでもしようか。その剣も使っていいぞ」


 スイの提案にレンは目を丸くした。やはり不満だろうか。


 剣を乱暴に振り回す行為を修行と、硬い表現を好んでいたことから、レンにとって兵士を目指す思いと、そのための努力は高尚なものなのだろう。鬼ごっこなんて遊びを持ってこられて不快に思っていないだろうか。


 それはスイの思い込みだった。レンの表情が解れていく。


「じゃあジャンケンしようよ」


 レンは木剣を握ったまま、逆の手をみぞおち辺りに隠した。


 ジャンケンか。この時代にもあるとは驚いた。ルールは旧文明と同じだろうか。言語とは違い、翻訳機能はジャンケンの勝敗を訳してはくれないだろう。


 直接レンに、ジャンケンの勝敗について確認を取る。グーとチョキとパー。出せる手と、強弱について話をする。


「そんなことも知らないの?」


 レンに馬鹿にされてしまったが些細なことだ。

 それ以上にスイは驚いていた。レンが話したジャンケンは、スイが知っているルールと全く同じだったからだ。新しく覚える必要がないところは楽で有り難いが……。


 思案は後に回した。レンを待たせるのは本意ではない。


「ジャンケンポン!」


 レンの掛け声で、スイの負けが決まった。


 スイは負けた自分の手を見下ろす。その間にレンは笑いながら逃げていった。逃げる背中は小さく、まだ走り方もどこかぎこちない。


 その場で十まで数える。百まで数えてもよかったが、追いかけてこない鬼ほど興が醒めるものもないだろう。


 この仮想空間は、現実での身体能力を反映している。だから子供のレンでは、子供らしい体力しか持てない。


 逆にスイは旧文明の技術で生み出された戦士である。本気で捕まえようとしたら一秒で終わってしまう。


 ずるをした藁束切りと同じだ。藁束には細工をしたが、それに迫るまで、レンの目では追えない動きは自前のものだった。これを抜きにしても、子供と大人では違いすぎる。


「どこまで手を抜くか」


 速すぎず遅すぎず。鬼ごっこを遊びとして楽しめるラインを模索して維持しなければいけない。

 大変だが、鬼ごっこを言い出したのはスイだ。やらないわけにはいかない。


 そろそろ追いかけよう。


 ただでさえ小さい体が、遠くへ行ってより小さく見える。振り返って何か言っているようだが、よく聞こえなかった。

 スイは足を前に出す。さあ掴まえに行こう。


 それからはずっと、今日はお互いの背中を追い続けた。








 ここでは日は落ちない。外との時間の流れも異なる。それでも時間は進むのだ。

 鬼ごっこを延々と続けた結果、夕方が迫っていた。そろそろレンを帰らせなければいけない。でなければ夜になる。


 鬼ごっこを中断させてそのことを伝えると、レンは不満を声にした。悪いけどその不満に応えるわけにはいかない。レンも夕飯に遅れるわけにはいかないことは理解してくれていた。


「でも、どうやってここに来たかわからないんだけど」


 レンの認識では、いつのまにかここに居たということになっていた。

 無自覚の内にアクセスしてしまったのだろう。これに関しては、接続しやすすぎる設計が悪い。


「目を閉じて」


 ここは仮想空間だ。出るために必要なのは足ではない。


 スイはレンの頭に手を置いた。今まではそうするたびに、くしゃくしゃになるまで髪を荒らしていたが、今回は手を置くだけで留める。


「帰り道、気をつけるんだぞ」


 それだけ伝えて、レンの接続を解除した。

 レンの姿がすっと消える。日が当たる草原に残されたのは、スイ一人だけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る