2

 スイは希望を失っていた。生まれ育った国が、人類の絶滅によって終わりを迎えたあの日から。


 それは国々が飽くなき戦火を巻き起こしていたとき、まるで神が人間に罰を与えるかのように始まった。何の予兆もなく、魔素と名付けられた未知のエネルギーが世界に溢れ出したのだ。それが人々を汚染した。


 魔素中毒。簡易的に称された新しい病気は、治療どころか対処療法さえ難しい死病だった。年齢も性別も国境も関係ない。罹った者は例外なく死を宣告されるのみだ。


 急ぎ大気中から魔素を除去するか、魔素中毒への対処法が求められた。でなければ人類は滅ぶ。


 そのために人々は協力した。敵国を信用できないと二の足を踏んではいたが、最終的には戦争をしていた国が手を取り合う姿も見られた。

 憎み合っていた者どうしが協力する姿は、人によっては感動的だと涙を流すかもしれない。それも全て無意味だったわけだが。


 旧文明での最後の戦争は、休戦で終わる。勝者がいるとしたら、それは魔素と呼ばれたエネルギーだろう。




 スイはその時代を思い出す。


 賑わっていた通りが屍で溢れていた。魔素を恐れた人たちが集団で命を絶つ。ビルから人が落ちる光景にも慣れてしまった。法も倫理観も形骸化し、犯罪が横行するが取り締まる者はいない。


 あれはまさに地獄と呼ぶに相応しい。終末を確信した人々による踊りは、世界の終わりそのもので、実に醜い景色だった。




 あれから長い月日が過ぎた。




 時代が移り変わり、スイの眼前にはレンがいる。今この時代に生きている人間だ。

 絶滅したと思っていたが、どうやら人類は滅んでなどいなかったようだ。


 笑わずにはいられない。勝手に絶望して目を閉ざしていたのだから。


「レンはどんなところに住んでるの?」


 レンの装いは汚れたシャツだった。裕福とは対局の暮らしをしているのであろうと推測できる。

 もしくは汚れても問題ない服装を親に着せられているのかもしれない。この場合でも外聞を気にしていないであろうことから、中流階級かそれ以下だろう。


「村の孤児院だけど。そっちは?」


 つまり親が居ないのか。平然としているし、親の顔すら知らないのかもしれない。


「私? 私はずっとここで眠っていたんだ。ずーっとずーっとね」

「ずっとって、どれくらい?」

「とても長くかな」


 具体的な眠っていた期間は、自分ですら理解していなかった。意識を失っていた期間、その時間はスイにとって存在しないも同じだ。システムに問えば答えてくれるだろうが、明確な年数を知ったところで何の意味もない。


「いいなぁ。俺は寝坊すると怒られるんだよ。寝てないで働けってケツ叩かれる」

「偉いじゃないか。ちゃんと手伝いもしているわけだ」

「したくないけどね」


 遊びたいのだとレン膨れる。そうもいかないことは彼も理解しているようで、軽い文句を漏らすだけでその先はなかった。


 孤児という一点だけを見れば、レンは不幸な子供かもしれない。しかしちゃんと食事をして、健康的な生活ができている。きっと輝かしい未来が待っているはずだ。


「レンには何かやりたいことがあるのかな? 将来の夢。大人になったら何をしたい?」


 まるで出来の悪い教師のようだ。沈黙ができるよりはいいだろうと絞り出した話題だったが、もっと気の利いた質問を探すべきだったのかもしれない。


 そう思っていたのはスイだけで、レンは予想に反して目を輝かせる。どうやら話したいことがあるらしい。スイは何が飛び出してくるのか予想しつつ身構える。


「兵士になりたい!」


 今までで一番大きく元気な一声だった。


 対するスイはわずかに顔を曇らせる。

 兵士か。残念な思いがどうしても出てきてしまう。


 兵士が必要になる以上、国家間であれ民族間であれ、戦いがあることを意味する。


 やはり争いはあるか。


 どの時代どの文明でも変わらない、一種の真理なのかもしれない。


「どうしたの?」


 一人で考え込んでいたことで、返事が遅れすぎた。

 スイは誤魔化すように笑みを返す。


「何でもないよ」


 実際に今の思考は、意味がない心の揺らぎでしかない。


「それで、どんな兵士になりたいの?」


 一言で兵士と言っても、様々な姿が思い浮かべられる。特定の人のみを守る存在。共通する要素を持った集団の庇護者。または前線で戦う戦士を想像しているのかもしれない。


「みんなを守れる兵士になりたい」

「みんなを守れる?」


 レンは強く頷いた。


「そうすれば、みんなと仲良くできるでしょ?」


 そんなことのために? 目指す理由は憧れからだと勝手に想像していたせいで言葉を失う。


 みんなとは誰を指しているのかはわからない。それと仲良くなりたいということは、現状は仲がよくないのだろう。


 レンはまだ子供だ。背が低く、遠くを見渡すのは難しい。

 そんな子供が称するみんなとは、近所に住む同年代の子供や親族など、身の回りの人たちだと考えるのが自然だ。それらと仲が悪いなら、子供の身分では毎日が辛いに違いない。環境を変えようとしても、幼いうちは限度がある。


 うんと優しくしてやるか。そう決める。


「じゃあ、頑張らないとな」


 精神的にも肉体的にも……。


 残念ながらスイでは兵士になる手助けはできない。しかし喜ぶべきか悲しむべきか、武力であれば少しばかり憶えがあった。主に遠距離武器に関してだが。


「それでね、毎日剣の修行をしてるんだ!」

「剣?」

「うん」


 教えられると思ったが、甘い考えだったかもしれない。当てが外れたと頬を掻く。


 スイとは違い、レンは剣が得意なようだ。少なくとも本人はそう思っている。あの大きな顔がその証拠だ。


 レンの剣を見てみたい。どんな技を見せられても、レンでは正当な評価ができないが、それでも見てみたいと思った。


 幸いここは、願いが全て叶うスイの庭である。剣に関して詳しくないが、それらしいフォルムの物体なら生成できそうだ。


「剣って、どんな練習をしてるの?」

「練習じゃない。修行だよ!」


 違いがわからないが、レンにとっては重要なようだ。

 変に張り合うところでもない。「そのとおりだ」と頷くと、それを嘲笑と捉えたのか、レンの頬が膨れた。


 幼いレンでは、火のように怒っても怖くはならない。それどころか可愛らしいほどだ。スイにはどうしても可愛がるしかできなかった。レンにとってはそれも不満の種である。


 このままでは嫌われてしまう。スイにとってそれは望む形ではない。だから空気を変えるために、この場所でのみ働く管理者権限を行使した。


 子供でも無理なく持てる剣とはどんなものだろう。大きさと重さ。材質は木でいいだろう。


 スイはレンから目を外し、心の中に意識を集中した。そして剣を生成する。


 レンは目を丸くする。無理もない。一瞬のうちに、スイの手に木剣が握られていたのだから。

 現実的に考えると、無から有を作り出すのはありえない。幼い子供でもそれくらいは理解できる。


 しかしそれはレンの常識ではなく、スイの常識である。レンが驚いたのは事実だが、ありえない現象が起きたからではない。


 レンがスイに突進をする。慌てて身を翻したが、もう少しで顎に頭突きをされるところだった。


「魔術を使えるの?」


 その目は爛々と輝いていて、太陽の眩しさを忘れるほどである。


 スイは自分は魔法使いだと名乗ってもよかったが、騙すのも気が引けるので止めた。


「違うよ。魔法を使えるわけじゃない」

「でも、でも、これ!」


 レンは木剣を両手で鷲掴みにすると、無邪気に飛び跳ねる。スイがしっかり木剣を握っていなければ、レンは後ろに倒れていたことだろう。


 このままにしておくと、レンは興奮したままどこかに頭をぶつけるかもしれない。流血にはなりえないが、見ていて気分がいいものでもない。


 さっさと落ち着いてもらおうと、真実を伝えるために目を合わせた。


「急にこんなものを出したら魔法に見えても仕方がないけど、全く違うんだよ。バーチャルリアリティって知らないよね? ここは仮想空間なんだ」

「仮想空間?」

「そう。例えるなら、夢ってところかな」

「これ夢なの?」


 現在のこの空間は、現実感からかけ離れていると言われればその通りである。太陽は沈まず、周囲の建造物はぼやけている。微かな音も聞こえない。ここには何もないのだと暗に示していた。


 厳密には夢ではない。機械の中で生成された世界に視点を置いているのだから、夢と現実でどちらかと言えば近いのは現実だろう。


 しかし概念的には夢と大差ない。権限があれば全てが思い通りになる。一応はシステムの上での限界はあるが、事実上は青天井である。行こうと思えば宇宙にも出られるし、鳥や蝶にも化けられる。かつてのスイの能力を再現することも容易だ。


 詳しい仕組みを説明しても、レンに理解できるはずがない。数年に及ぶ勉強会を開けば別だが、そんな会を開いたところで誰も喜ばないだろう。そもそもスイにもこの世界の全貌は把握できていないのだ。


 だから夢という説明で十分だった。


「そう、夢。他の人と一緒に見られる夢ってところかな」


 スイは木剣の柄をレンに向けた。レンは木剣とスイの顔を交互に見て、意味を理解するとそれを手に取る。


 木剣を握ったレンはご機嫌だった。まるで夢が叶ったとでも言うように。

 今のレンでは落ち着くのは不可能だった。走るか飛び跳ねるか、どちらかだ。


 なにもないところでブンブンと力任せに振り始める。素人目でもよくわかる、不慣れで不格好な剣筋だった。


「どう?」


 それを自慢気に見せつけてくる。どうやら自信だけはあるようで、スイに剣技を売り込んでくる。しかしスイの財布は空っぽなのだ。ウィンドウショッピング以外にできることはない。


「いいんじゃないかな」


 実に無責任だ。変に自己流を貫いて、変な癖が身についたらどうなるか、スイはよく知っている。その手助けをするような同調。もちろんレンの表情は明るくなる。


「凄いでしょ。この前、村の兵士がこうやってたんだ!」


 レンは上から下に、力いっぱい剣を落とす。剣先が土を叩いた。


 ただ力任せに振っただけ。兵士が何をしていたのかは知らないが、今のレンの動きとは全く違うのであろうことは容易に想像できる。


 レンは一仕事を終えたように晴れやかだった。満足げに肩で息をする。

 その姿を見ているだけで、スイの心は安らいだ。ずっと見ていたいと思えるほどに。


 しかしどこかで口を挟むべきなのだろう。レンはまだまだ幼く、自分が間違えている可能性を考えることすらない。

 今の動作がレンが言う『修行』であるなら、このまま放置してもレンの利にはならない。


 気づいている自分が言うべきだ。レンの兵士になりたいという夢を応援するなら軌道修正させなければいけない。

 それはわかっているのだが、不機嫌になられるのが怖かった。


 スイは『さて、どうするべきか』と口をつぐんでいると、レンが下から覗き込んでくる。どうやら迷いが顔に出ていたらしい。


「どこか痛いの?」


 スイの悩みを端も想像できないレンは、体調不良の可能性に行き着いたらしい。


 心配させてしまったなら失敗だったな。ちょうどレンによる不思議な剣舞も終わったところだ。


 立つのはいつぶりだろう。スイはベンチから腰を上げる。


「大丈夫だよ。ちょっと考え事をしていただけだから」


 空を見上げると太陽があった。あの太陽は沈まない。そう設定してある。これまでも、これからも変わらない。


 まずレンが行うべきは体作りかな。正確には鍛える習慣を身に着けさせること。延々と素振りをさせるのも悪くないかもしれない。

 しかしそれは容易ではないはずだ。幼い内は基礎をないがしろにしてしまうだろう。


 どうすれば嫌われずに道を正せるか。答えを出せるはずがない。スイはかつて戦士だったが、その力は自らの努力で得たものではなかった。剣だけではない。スイはなにも知らないのだ。


 身を切るのは得意だったんだがな。


 レンに正しく力をつけてほしいと願うなら、しっかりと道を示さなければいけない。道を示すということは、より先行している必要がある。自分より後ろに立っている道を知らない人にあれこれ言われても耳障りなだけだ。

 だから最低でも、より先を行っているのだと思い込ませる必要がある。そのために有効な手段……。


 スイの好みは銃だが、遠距離武器では駄目だ。レンが剣を好む以上、接近して使う武器がいい。


 逡巡した結果、スイは手元に剣を生成した。よく考えれば、どの武器も使ったことがないという点で同じである。


「さてと」


 優れた剣技を使えると思い込ませられれば、ある程度は言うことを聞いてくれるかな。

 剣を持ったところで技術を得られるわけではない。スイは素人である。それは変わらないが、見せかけだけよくするならできるかもしれない。


 スイは再び権限を行使して、藁束を各所に生成した。ベンチを中心に、半径二十メートルほどの円内に、数十の藁束が乱立する。


 藁束が突然現れた。この世界に慣れているスイにとってはよくある現象だが、レンにとっては戸惑うほどに不可思議な現象だった。

 まるで敵に囲まれたように、慌てるレンが可愛らしい。


 これからもっと驚くことになる。未来のレンを想像して、スイはちょっとだけ楽しくなってしまった。


 勿体ぶっても仕方がない。始めよう。


 スイは何も告げずに地面を蹴った。瞬間、藁束に肉薄する。


 レンはその動きを目で追えなかった。残像を見つけたと思うと、既に藁束が裂かれている。断面はなくつややかさを感じるほどに平だ。


 設置された藁束全てが剣の犠牲となる。スイのなめらかで素早い動きは、光の筋としか認識されていなかった。

 光の筋が人に戻ったとき、最後の藁束が切り落とされた。


 スイはレンの心持ちが気になって仕方がない。

 恐る恐る振り返ってみると、レンは木剣をだらんと垂らしながら、無表情で立ち尽くしていた。まさか気に入らなかったか? そんな不安がよぎる。


 その心配は杞憂である。レンに感情が戻ってくると、顔が赤くなり、口元をわなわなと震わせる。


「すっげぇ! 何今の!」

「そんなにすごかったか」


 頭が取れるのではないかと不安になるほど、レンは力強く首を上下に振った。ここまで感動されると、逆に心苦しくなる。


 言えないことだが、スイはちょっとだけずるをした。

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