第3話 朝の登校

 明智さんとは家が近所だった。中学も同じだし当然と言えば当然。

 俺は朝早く起きて歯を磨き、寝癖をしっかり治して、ここからさらに香水を付けて、と普段なら数分で終わらせる身支度に三十分もの時間を掛けた。


「沢人君。おはようございます」

「おはよう」


 駅の駐輪場で明智さんは俺を待っていた。こういうのって彼氏が先に待っているもんなんだけどなあ。なんか情けない。言い訳すると、遅刻したわけじゃないし、なんなら十分前に駅に着いた。


「早いね。いつもこの時間?」

「いえ!沢人君と初めて一緒に登校するのが楽しみで!」


 マフラーで顔を隠しながら照れる明智さん。やっぱこうして見ると可愛い。学校じゃ話題にならないのが不思議だ。


「沢人君。手を繋いでもいいですか?」

「うん」


 手を繋ぐ。女子と手を繋いだことは何回かあるけども、自分を好きでいてくれる子と繋ぐのは初めてだ。そう考えると意識する。手ちっちゃくて冷たい。つるつるしてる。


「あの…沢人君。覚えてますか?」

「え?」


 明智さんは地元の小さい駅の改札付近にある、古いポスターに目をやった。輝ける明日と書いてあって、グラビア女性がビールを手にしている。酒造会社の宣伝広告だった。


「私たち、ここで一度会ってるんです。ちゃんと目と目を合わせて会話して」


 まじか。覚えてない。この地元駅は中学の時にも利用してたけど、友人と一緒に登下校してたからな。そっちの記憶に引っ張られるし、そもそも友人以外と話す機会なんてなかった気がする。


「沢人君がグラビア見て、おっぱいでかいなって言ってたんです」

「すんません!」


 俺は頭を下げた。それは言ってた気がするし、なんなら今見ても思います。絶対に口に出さないけど。


「あ、そうじゃなくて…まあ咎めたい気持ちもあったんですが…」


 明智さんは手を振って否定した。咎めたい気持ちはあったのね。


「私、その時が中学初登校で。小学校は遠いとこで、その引っ越してきたばかりで。あの、入院してたから」


 そうだったんだ。今まで知らなかった。

 明智さんのことを俺は全然知らない。ドラマや映画のような運命的な出会いは瞬間風速なだけで、その時に至るまでの過程はどこにでも転がっている高校生の突発的恋愛そのもの。一年続けばいい方だし、俺もそう思ってる。

 

「初めての土地でわかんなくて、不安で、で、その、沢人君が私に言ったんです。おっきくなれよって」


 うん。最低だな、俺。中学のたぶん一年だよな?小学校上がりという若気の至りがあったにしろ、ポスターのグラビア女性と同級生を見比べて、そんなこと言うなんて。


「わかんないですけど、私。なんだかおかしくて笑っちゃって。不安な気持ちが吹っ飛んだんです。あの桜の下が私と沢人君が付き合った記念の場所なら、ここは私が沢人君が出会った記念の場所です」


 クソ。そんなこと言われると、この色が落ちて剥がれかけたボロい広告ポスターもエモく見えるじゃないか。

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