酒に酔って化け猫を拾う

砂上楼閣

第1話

「……どうして、こうなった?」


男の一人暮らしなりに綺麗に……物がないともいう……していたプライベート空間が、仕事から帰ると見るも無惨な様相へと成り果てていた。


まるで空き巣、いやこの部屋にだけ局所的に旋風が起こったが如くのひどい荒れようだ。


椅子は倒れ、洗濯物は散らばり、小物が部屋中に転がっている。


心当たりは、ある。


というか犯人は間違いなく¨あいつ¨だ。


「クロ、大人しくしとけって言っておいただろう…」


「(ぷいっ)」


「ぷいっ、じゃないよ…」


それはとても小柄な犯人。


小さな体に合っていないぶかぶかなシャツを着た、というか朝起きて脱いだままにしていたシャツに潜り込んだ真っ黒な毛玉。


小さくて、可愛らしい、元気過ぎて正直手に負えない、マイペースな同居人、いや、同居猫だ。


「自分関係ありませんからって顔してんじゃないよ?」


「み〜」


「み〜、じゃないよ…」


こちらの言葉なんてなんのその、微風のようにすました顔で毛繕いなんかしているのは、数日前に拾った、黒猫のクロだった。


耳の先から尻尾の先まで全部が真っ黒な黒猫。


金色の瞳だけがまるで夜空に浮かぶ月のように目立っている。


「お前ね、散らかすにしても限度があるよ」


倒れた椅子などを元の状態に戻しながらクロに話しかける。


「そのちっこい体にどんだけエネルギーがつまってるんだか」


この小さな黒い毛玉は見た目以上のパワーを持つ、生きたゴム毬みたいなやつだ。


まだ片手に乗るくらいちんまいのに、一度一人(一匹)運動会を開けば辺り一面ぐちゃぐちゃにして満足するまで終わらない。


厄介なのは運動会が開催されるのは仕事に出ている間だってこと。


せっかく買ってきたゲージも、入れようとすると大暴れして手に負えないから使えない。


今では嵩張るだけのインテリアだ。


不幸中の幸いと言ってはなんだが、トイレだけはすぐに覚えて汚さないのだけが救いと言える。


あと夜はなんやかんや大人しいのも。


ただ胸の上で丸くなって寝るのは夢見が悪くなるからやめてほしい。


寝返りが打てなくてちょっと首と背中も痛いし。


「ティッシュティッシュ……って、全部バラバラに散ってるじゃないのよ。うわぁ綿棒も……新しいの買ってくるか」


どこか満足そうな顔でこちらを見てくるクロ。


まるで、どうだすごいだろう!と自慢しているようだ。


「楽しそうだね、お前さんは」


「み〜」


「み〜、じゃないよ、まったくね」


片付けは少し、いや物凄く大変だし億劫だが、どうしてだか笑えた。


言葉は通じないが、なんとなく理解し合えているような不思議な感覚。


思い通りにはしてくれないけれど、お互いそれが¨分かってる¨。


ほんの数日程度、一緒に暮らしているだけで随分と馴染んだものだ。


そう、ほんの数日。


ちょっとした偶然からクロを拾ったんだった。


…………。


数日前。


「……み、水」


頭がズキズキと痛む。


喉が渇いてカスカスだ。


立ち上がるのも億劫で、頭の働きがものすごく鈍っているのを感じた。


普段まともに仕事しないくせに、酒を飲む時ばっかり一丁前な上司に延々と飲まされた帰り道。


酔い潰れて寝て、閉店時間に店から追い出されて。


都会で水を求めて彷徨い歩くダメ大人ゾンビと成り果てて数十分。


どうにか自販機で買った水を一気に半分くらい飲み干したのは、風が気持ちいい橋の上。


「くぅ……、やっぱなんやかんや、水が一番美味い……」


なんておっさん臭いんだろう。


しかしこの一杯のために酒を飲んでいるのかもしれない。


なんて馬鹿なことを考えつつ時計を見る。


すでに時計の針は天辺を越え、またつまらない明日が名前を変えて今日になった。


仕事は休みだがやることもなく、どうせ二日酔いに苦しむだけ苦しんでまた月曜日を迎えることになるのだろう。


このまま若い頃のように日の出まで起きてはしゃいでパーリナイ!なんてしていられたらいいが、この年になるとカフェインも取らずに徹夜は厳しい。


それに下手したらいい歳してお巡りさんと夜通し熱く語り合うことになる。


いい歳してお説教されるのも、いい歳して駆けっこするのも勘弁である。


さっさと帰ることにしよう。


と、思ったがここはどこだろう。


自販機を探して普段とは別の道に来てしまったらしい。


というか家までの帰り道に川なんてないから、おそらく無意識に橋を渡ってしまったのだろう。


あたりを見渡せば自販機なんていくらでもあるのに、なぜ橋を渡ってまで水を買おうとしてるんだか。


……まぁ、美味いもんな水。


…………。


「さて、そろそろ帰るかね」


水を飲んで多少マシになってきた。


とりあえず眠気が来て道端で朝チュンしないためにも意識があるうちに帰らないと…


「っと、あー……」


けれどやはり酔っ払い。


多少はっきりしたとはいえ、軽く記憶があやふやなくらいになった直後だ。


段差もないのに地面につまづいて、その拍子にペットボトルが宙を舞う。


まだ半分近く残っていたペットボトルは、橋の下に落ちてがさりと草陰に消えた。


「あー……くそ、めんどいなぁ」


めんどくさい。


実にめんどくさいが、ゴミを捨てるのはダメだ。


酔っ払った頭でそんなことを考えて、気が付けば土手を降りて橋の下にいた。


酔っ払ったあるある、思った時には実行してた、なんて。


幸い手入れがされた後だったのか、草もそんなに伸びていなかったし、ペットボトルはすぐに見つかった。


けれど…


「…………」


「おいおい……、まだ酔ってるのか……?」


橋の下には、何かどでかい黒い塊がいた。


大きさは、そう、軽自動車くらいか?


まさかこんな街中で熊と遭遇したか、なんて残ってた酔いが一気に覚めた。


無意識に一歩後ずさって…


「うわ、いてっ!」


真後ろにすっ転んだ。


まだまだ酔ってたのか、それとも緊張で足がもつれたのか。


とにかく起き上がって、改めて前を見たら…


「あれ?……くそ、幻覚見るくらい酔ってたのか?」


目の前にいたはずの真っ黒な塊は居なくなっていた。


…………。


そして代わりのように、小さくてか細く鳴く黒猫の赤ん坊がいたってわけだ。


それで何を思ってか酔っ払いはその仔猫を拾って、持ち帰って今に至ります、と。


ちゃんちゃん。


…………。


あの日のあれは夢だったのか、酔っ払って見た幻覚だったのか。


とりあえず現実として、二日酔いの頭痛に呻きながら目を覚ますとクロがいて、それから慌しく猫用品を取り揃えたり、予防接種の代金やらに絶望感を味わったりしながら今に至る。


この数日で随分と図太くなったのか、それとも最初からそんな性格なのか、いつの間にか膝の上を占領して丸まるクロ。


お陰で座ったまま起き上がれやしない。


ほんと、たった数日で慣れたもんだ。


「ほら、クロ。どいてくれ」


「(ぷいっ)」


「ぷいっじゃないよ。てかやっぱり起きてやがるな?布団敷くから一旦どいてくれ。今日は運動会禁止な」


「(ぷいっ)」


「そこは¨み〜¨だろうよ…」


まだまだ両手どころか片手で持てるようなサイズのクロをそっとどけて布団を敷く。


今日も色々あって疲れていたし、帰ってからも片付けやらでさらに疲れたはずが、不思議と気分は良かった。


「……ん?なんだ、今日はこの中で寝るのか?潰さないか不安になるからこっちで寝ろよ」


「(ぷいっ)」


毛布をかき分けて布団の中に侵入しようとしてくるクロを捕まえる。


「ったく。……ほら、これでいいだろ?」


枕の横にクロの寝床を持ってきて、そこにそっと移動してやる。


不服そうにクロはしばらくもぞもぞしていたが、仔猫らしくすぐにすやすやと眠ってしまった。


「おやすみ、クロ…」


明日も仕事だ。


クロがこれ以上物を倒したり壊したりしないよう、今度の休みにでも仔猫用のオモチャでも買ってやるか…


そんなことを考えながら、耳元でクロの寝息を聞きながら。


あっという間に意識は遠のいていった。


…………。


「……嘘、だろ?」


そして迎えた翌朝。


起きて早々、酔ってもいないのにとんでもない幻覚を前にして思考がフリーズしかけていた。


簡潔に言おう。


朝目が覚めたら猫耳と尻尾の生えた小さな子供が布団の中にいた。


というか寄り添うように一緒に寝ていた。


これはタイーホな案件じゃなかろうか?


いや、待って欲しい。


まだだ、まだ慌てるような時間じゃない。


本当に、これは現実か?


まだ寝ていて、夢を見ているんじゃないか?


なんて頬をつねったりありきたりなことをしていると、すやすやと寝ていた猫耳尻尾な幼児が目を覚ました。


「んぅ?おはよ、ご主人」


そう言って背中をそらして伸びをする。


尻尾がピンとして、鼻先をひくつかせる。


その姿は…


「もしかして、クロ…?」


「んー?そうだよー」


我が家の同居人(猫)だった。


どうやら、あの日拾った仔猫はいわゆる化け猫の類だったらしい。


…………。


この日を境に、いや、数日前からつまらない人生は一変してしまっていたらしい。


化け猫クロの自由奔放さに振り回されたり。


裏の専門家集団との関わりを持ったり。


他の化け物と知り合って保護したり。


これまでの退屈な人生はなんだったんだってくらい慌ただしい日々。


それでもあの日、酔っ払ってクロを、化け猫を拾ったことを後悔したことはない。


今日もまたクロは自由気ままに生きている。


きっと明日も退屈しない日々が待っているのだろう。


最高じゃないか。

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