第2話 風は吹かない

長い眠りだった。

何も無い空間を私の魂は浮遊していた。

人の死後を知る者はいないがもしこれを伝承する機会を貰った者がいたとしたら、何も書くことがないと頭を抱えていたのではなかろうか。

死人に娯楽などいらない、体もないのだからただ漂っているだけでいいのだ。痛みも苦しみもなくその時が来るまでただ存在するもの。それが死後だ。

やがて時が来ると何かに導かれその魂を望む来世へと進むのかもしれない、が私は新参者なわけでどのくらい待つのかも分からない。

私以外に誰かいる訳でもないから世間話も出来ない。そう思うとこの世界のことを一人深く考えることにした。


いくつかの風を感じた。

風はおそらくどこかに漂っていた魂が来世に旅立つ際に起こすものなんだろう、と私は仮説を立てていた。なんにでも物語性を作り出そうとするのは悪い癖なのだろうが、その方が退屈しないのだから勝手にそうしている。

風はこの何も無い空間に独特な波紋を生み出して消えていく。体が無くなったはずの私がその一瞬だけ震えるのがわかるのだ。

きっと魂の最終的な目標にその風になるというものがあるから、その風に触れることに身震いして今か今かと本能的に期待してしまうのだろう。


風になる条件はわからず色んな方向から伝わってくることから、ランダム性なものなのだろうと私は考えていた。

順々に風になるのならどこからか一方から伝わってくるのではないだろうか、まぁ順番厳守なんて日本人特有の考えがこの空間にあったらの話ではあるが。



しばらくすると風が全く吹かなくなった。

はて、私の仮説は間違っていたのだろうかと頭を抱える(頭は無いのだが)。

いくつかの風を見送ったのは間違いないが、私の順番が来る前に風を吹かす存在は休息を取ってしまったのだろうか。

だとしたら私や私の後に来た魂の送迎はいつになったら始まるのだろうか。

もしやそのまま忘れられてずっと果てしないこの何も無い空間に居るだけの存在になるというのだろうか。


「やぁお待たせ」


何も無い空間に突如声が響いた。

なるほど、この世界の風になる者は皆この声を待っていたのか。新たな情報に物書きの魂は別の意味で震える。


「……それでね、ちょっと複雑なんだ君の場合は、それでこんなに時間がかかっちゃったって訳。君は物書きだったんだね、いい小説を書いている、ボクも少し読んだら引き込まれてしまって全部読んでしまったよ、ハハハ」

それは嬉しいが主に私の出版物を読んでいたから長時間待つ羽目になったんじゃないか?とその声の持ち主のことを訝しげに思った。


「……君を皆のように来世の風に乗せたいんだけどね、その前に呪いを解いてあげないと行けないんだ。死ぬ前に言われなかった?何か」


そういえば、と思い出した。

私を刺した女性の声は死に際はっきり聞こえたものだ。私の殺したキャラクターを救え、と言っていたか。

だけれどそのキャラクターの肝心の名前は聞こえなかった。痛みにもがき苦しんでいる時だったからそこまで頭が回らなかったのだ。

だが私の覚えている限りだと主要人物は死んではいないはずだ、だとすると脇役の誰かだろうか。

そもそも原案は私が書いているがきっと彼女の愛した脇役を殺したのは別の者である、おおよそ作画進行を担当する者とそれに従う漫画家が数コマでそのキャラクターを死んだことにしたのだろう。私は(主に恋愛物語に限るが)、自分の小説の中で主要キャラクターを殺すとすればそのキャラクターの最後を弔って読者の心に残る名シーンになるよう話を必ず構成するのだ。

だがあのWeb漫画はまだ中盤に入るかどうかの場面までしか担当も作画進行させていないはず。この時点で原作ではまだ誰も主要キャラクターは欠けてはいない。

だと言うのに何故私にその重荷を担わすのだ。あんまりではないか、と今更憤りを感じた。


「君の言い分はよくわかってるんだ。けどこの世界は風を吹かす為に魂を軽くした状態にする必要があってね、皆身軽になって天に飛んでいくんだ。だけど君の魂には呪いの鎖が巻きついていて、今飛んでも天ではなく地獄の方に落ちてっちゃうんだよね」


鎖?鎖が私の体に巻きついている?

その姿を見ようにもそもそも魂は存在自体不確かなものだから、確認することは叶わなかった。姿見のようなものはこの空間にはない。けれどこの風を吹かす者が言うのだから確かにあるのだろう。


「……それをね、取るために君には一つ仕事を与えたいと思っているんだ。君は小説家だろう?君は物書きの魂そのままでここを漂っていた、普通の魂はそんなに深く考えずにただここにいるだけだからね。人目でわかったよ。」


……うるさかったのだろうか、私の魂だけ。他の魂は無口だったのだろうか。じゃあ誰もいないと思っていたあの期間実は真横にも誰かの魂がいて、隣人のうるささに耐えていたのだろうか。


「君にピッタリの場所を用意した、だからその呪いの鎖を脱ぐ術を自分で見つけだして欲しい。終わった後に迎えに行くけどそこで永住することも出来るから君に任せるよ。時間が無いからそろそろ――良い旅を」


反論する猶予もなく突如現れた扉の中に吸い込まれていく。あっという間に私の魂は扉の先の得体の知れない光の呪文の中を通り抜けて消えていった――――


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