第4話 いまを過ぎる

 昨日もすぐ寝付けなかった。

頭が重い。・・・・・・。


パシャッ。突如何かに腕が触れた

モノがなぎ倒される。

クッションのついた・・・椅子の上にソレは落ちる。


 はっ!


 法華は、我に返る。

(あ、ペットボトルが、お茶が…。)

ペットボトルを慌てて椅子から拾い上げる。

ペットボトルを凝視する。泡立ってるか水の波を確認する。

そして、何事もない顔で机に戻そうとした。


 「え?」

 突如背後から男性の声が聞こえた。

 「あ。」

 法華は手に持っていた消毒用のペーパーをぽとりと落とした。

 「ごめんなさい、ごめんなさい、わざとじゃないんです。すみません。」

 思いっきり屈んで謝った。とりあえず、机の前からよけようと動くと、その瞬間に肘が思いっきり机の上のペットボトルに当たり…

びっくりした反動で法華はよろめいた。そしてそのまま床に尻をついて倒れた。


 「何してるの?大丈夫?」

 法華の面倒をいつもみている女性の社員さんが、事件に気付いて近づいてきた。

 「あの、掃除中にペットボトルを落としてしまって。

  そしてまた転んでしまって。」

 「大丈夫ですか?お茶のことなら気にしないで。」

 真也は、そういって、法華の肩に触れた。

そしてペットボトルを拾い上げると、アルコールを湿らせたペーパーで拭い、キャップを開け、飲むと、さっとその場からいなくなった。

 「大丈夫?気をつけようね。机の上は大事なモノ…書類とかパソコンもあるわけだから。」

 「すみません。」

 「少し目の下、クマができてる?」

 いつの間にか課長がやってきていた。

 「最近どうかな?少し話す?」

 課長は更に話を続けた。いつもその表情にブレはなくっていつもなんでも想定内。そんな感じがした。


 打合せ室。15分ほどで終わりにしなきゃって緊張する法華の心配を物ともせず、いつもすぐに終わっていた。

 「最近はどうですか。眠れていますか?」

 冒頭の質問をされ

 「いえ、あの、その…。」

 と言葉が濁る。ペットボトルを二度も倒し、転んでしまったあとで、

いつものなぁんにもないです、の格好はつけられない。

(しどろもどろ、そんなのしてる暇はない。)

 「会社で働けて充実してるんです。」

 「え?それは良かった。」

 「だから楽しくってつい、帰宅後に色々したくなってしまうんです。

  それでいつの間にか寝る時間がきてしまって、少しだけ寝る時間が遅くなってしまって。」

 「そうなの。楽しいのはいいけど、でも、寝ないとね。」

 「すみません。本当に健康管理きちんとしないとですね。真也さんが優しくてありがたかったです。本当に申し訳ないと思ってます。もうしません。早く寝ます。」

 課長は持っていた大きな手帳を開き一瞥すると、

 「病院の先生には眠れてないと相談してますか。」

 と尋ねた。

 「いえ、ここ数日のことですし、まだ通院日まで日数があって、なにもいってません。」

 「薬の調整もそうだけど、話したら、いいアドバイスをもらえるんじゃないのかな。」

 課長は、打合せ室の、まあるい、時計の針を見つめ、そしてこちらに向かい、

 「また、通院したらお話をきかせてください。」

 とにこりと笑った。

 

 法華は、退勤時間になり、時計の針に目を落とし、そして改めて事務所全体を眺めた。数秒の時間、法華の瞳の中に部屋全体がすっぽり覆われそして、瞬きをした。

 「お疲れさまでした。」

 女性の上司の久礼和くれなさんが、こちらに振り向いた。

 「お疲れ様、気を付けて帰ってね。」

 平常通りに務めていても少し心配そうに言った。


 帰り、どうしても喉が渇いた。障害者雇用で働きはじめてから、いつも寄り道などあまりしないようにし始めたのに、こんな日にどうしてもコンビニに立ち寄ってしまった。

 (コーヒーにしようかしら。)

なんて、また夜、目が冴えちゃう。

すると、唐突に射るような視線を感じ、駐車場を見渡した。

(あ。)

男性がこちらに近づいてくる。

(わたしの目を見てる見てる!)

 「こんばんは。」

 (…挨拶ちゃんとするんだ?)

 「え、あ、こんばん…えっと知り合いでしたっけ?」

 「いや知らない。この間、コンビニで君を見たよ。」

 「え?」

 おかしいなずっとコンビニなんて言ってなかったのになぁ。

と、(あ!!!)

 「は?え?わたしわたしわたし、誰かと一緒でした?」

 「うん、キスしてた。」

 (赤の他人には関係ないでしょ!)と言おうとした瞬間、

その暗色の瞳に何も言い返せないでいた。

 「アバンチュール?火遊び?」

 「は?あなたには関係ないでしょ。」

 かなり憎しみのこもった声色になった。

今日はついてない……。

 「なんだ、ちゃんと好きだったんだ?」

 「は?ぁ?」 

 「ここ、“会社”の近くでしょ?もっと欲を抑えないと。」

 ビクッとなってコンビニ全体を見渡した。駐車場にも傍目にも知り合いはいなさそうである。

 「あの、あなたは誰ですか?」

 「あはは、関係ナイよ。」

 そう言って男は、法華より15cmは高そうな背を、膝を曲げて顔を覗き込んだ。

 「こうした瞬間もヒトはなんて見てるんだろうね。」

 「私、ずっと人生がうまくいってなくって友達も恋人もいなくって、

  今の会社以外ないんです。やっと順調に働けるようなったんです、だから。」

 「この間の人に『好き』って言える?もしくは別の誰かに『愛してる』って言える?」

 「“からかってるんですか?”」

 「まぁ、君は、ゲームの世界のセリス将軍じゃないし、

  カッコなんてつかないよ。」

 「は?」

 「もう帰りなね。よく休んで。応援してる。」


 沈むように落ちたベッドの中で、なぜか今日はすぐに意識は遠のき、法華は解き放たれた自分だけの世界で、

“好き”だとか“とりとめのない”とか理性を超えた煩悩の海の上をぷかぷかと浮かんで、深く、深く、身を任せていた。

 

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