第3話 翠のダブルネーム
黒の色鉛筆でスケッチブックに線を描く。
まるみを帯びた線形からほどなくして人の目が浮き上がる。
「あなたは絵を描けばいいんじゃない?」
いつしかのどこかに置き忘れた途切れた記憶のページに鮮明にその音声が残っていた。髪がなびく―そう女神の瞳をその時、僕は独占した。女はその後さっとその場から立ち去り他の子どもに愛想をしにいったが、僕の得たその特別は忘れもしない永遠だった。
如月(きさらぎ)四都葉(よつば)、それは僕のイラストレーターとしてのペンネーム。雁井なずなが黒飛法華に戸籍ごと変えた異様な事件とは違い、ただのプロに与えられた異称に過ぎない。
でも、僕は何年も前に知ってしまった。同じような言葉を、彼女は別の人に伝えたことに。
「それは挨拶なんだよ。」
雄図 《ゆうと》は、言った。
ああ、そうか、今日は雄図が同席してたっけ。
ここは都内の貸しオフィス。そこで仕事のイラスト作成に集中していたが、そういえば、ホストの雄図も呼んでいたっけっかな。
ってえ?
「は?僕、雄図さんになにか話しかけましたっけ?」
「ハハハ。」
雄図さんは笑った。誤魔化してもくれなかったが。
雄図との出会いはその・・・
「俺、呑むの好きなんだ。」
「いや、お前呑み過ぎだよ。」
「な~に、ホストなんてジャンジャンバラバラ飲みまくってんよ、キャバクラの嬢ちゃんもね。」
「お前、呑むと口でかくなるな。」
「そんな俺に合わせて口汚くなる如月さんも大したもんだよ。」
「いや褒めてないよ。」
スッと
僕は真っ白な地味な名刺を望んでいたからちょっとがっくりした。
「世の中、あそんじゃいなよ、幸不幸も不平等なのが味なんだよ。」
「は?蜜の味?いい加減…!」
「人んちの敷居でつまんない喧嘩やめなよ。」
キリッとした眼差しの派手な名刺の中からやってきた、雄図がそこに立っていた。
「確かに僕の職場は歌舞伎町だけど、東京都内はもちろん同業のことはわかっているんだよ。」
当たり前のことだという風な顔でまたキリッと顔を整えて、今日、雄図は言った。
「あ、あの酔っぱらっちゃった日の、出会った日の話の続きですか?」
出会ったあの日は、なんだか、突然、最新のノートパッドとiPhoneとゲーム機を持ち出して来て、もう、
「そうだよ、変な揉め事を特に呑み屋なんかでされたら行っちゃうよ、まったく、仲が良いんだか悪いんだか、持ちつ持たれつな奴らめ。」
「僕、
「なに?なずなちゃんのこと?」
「僕にだってファンレター欲しかったです。」
「なずなちゃんの推しからのお願いメールが?」
雄図は、どうしようもないなっという顔をしてまた続けた。
「まぁ、結局カッコいいよね、
「僕だって誰かの人生の、ひとつの、そう道しるべになりたかったです。」
雄図くんはさっと人差し指をのばした。僕は慣れ始めていた。苦手な先輩三明さんが時々僕の前で綺麗な指先で心を搔き乱すことがよくあったから。
そのスケッチブックは新しいね。以前の古いスケッチブックの続きかな、
コマが回っているね。ほら、ほら
如月は、脳裏に覚えている自分の絵の過去作のページをめくり始めた。
それは、何かに触れて、突然、点、点、と炎が灯っているような精気を感じて変わり始めた故郷の野原の風景から、絵にならないといけないと専門家意識を持ち始めて描き直した建物があり、生活するための道具などを描いて街にした風景や、更に描き足したその中で住まう人や人や、猫、鳥、
ズームアップして描いた虫たちとそれを囲み共生する草原の絵、
それから空を背景にした雄大な大自然の絵、
描くほどに躍動を感じ、そして、
いくつかの夜を越えたある日、
それは、目標とした地球に優しいオーガニック化粧品のラベルデザインに僕のイラストが採用された日。
それは絵だけで何かの物語を綴り続けそして今日の最新のツヅキが、
今日の真新しいスケッチブックの輪郭と目と補助線だけ書き終えたこれから出来上がる女の子の絵。
「て、え?今なんかしゃべった?雄図さん?」
クスっと雄図さんは笑った。
「結実ってさ、終末ってさ、おのおのが持っているんだよ。」
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