第10話 修行
「ユーリ」
短い呼び掛けに答えることなく無言でタイミングを図る。飛びかかってきた魔物を一閃するが、僅かに踏み込みが浅く致命傷には届かなかったようだ。小型の猫科の魔物は遠吠えのような鳴き声を上げると、茂みの奥に消える。
「駄目だよ、ユーリ。フェリーデは仲間が傷つくと群れで反撃する習性があるんだ。何匹集まるか楽しみだね」
仕留めそこなったところに余計な情報を告げるナギの言葉に苛立ちが増す。
「鍛錬にはちょうどいい」
負け惜しみだと分かっていながら呟くと、楽しそうな笑い声が返ってきた。
「ユーリ、構うな。来たぞ」
気遣わしげなスイの声にも苛立つが、呼吸を整え目の前の魔物に集中した。
フェリーデは俊敏なうえに跳躍力があり、小柄な体躯は逆に仕留めづらいため思いの外、ユーリは手こずる羽目になった。スイは基本的に剣を使うが、時折ユーリを護るように魔術を使っている。背後で焦げた匂いと獣の叫び声を聞きながら、ユーリは複雑な思いのまま目の前の魔物を屠った。
「スイ、お前がいると修行にならない。午後は別々に動くぞ」
「……単独行動は危険だ。手を出さないから付いて行く」
喉を潤し携帯食をかじりながら宣言すると、スイはナギを一瞥してから拒否した。確かにナギの行動は読めないし、魔物とナギ両方を気にしながら戦うのは難しい。それでも護られながらの戦いは成長の妨げになる。
「僕は誰かさんと違ってユーリに危害を加えたりしないよ?僕の可愛い聖女さまが傷つかないよう見守っているだけだしね」
何もない空間からティーセットを取り出し、優雅に紅茶に口を付けるナギはにこやかな笑みを浮かべている。
「こいつは誓約があるから私を殺さない。それ以外で死ぬようなことがあれば、それは私が力不足だっただけのことだ」
生き延びるつもりはあるが、強くなるために魔の森に来たのだ。それで命を落とすのは自業自得、祓魔士を目指した時からその覚悟は出来ている。
我慢できないのは前世と同じ結末を迎えること、魔王の望みを叶えることだけだ。
「小屋で待っててあげてもいいよ?ユーリの怪我を僕に手当させてくれるならね」
怪我をする前提の申し出に猜疑心が芽生えるが、ナギを気にせず魔物退治できるのは正直精神的に楽だ。
(食べ物の次は手当か…)
薬草や包帯を使って怪我の手当てをしているところをナギは興味深そうに眺めていた。自身が治癒魔術を使い、怪我をしても治りが早い魔族とは異なる点が面白いらしい。
調合は得意だと言うナギだが、得体の知れない素材を煎じているのを見ているため断り続けていた。相手の望み通りに動くことも癪だが、ナギが自分に付きまとっていてはスイも別行動しないだろう。下僕だと自分で認めた割にこういうところでスイは頑としていう事を聞かない。
「……妙な素材の薬は使うなよ」
ユーリの言葉に素直に返事をしたナギはさっさと小屋の方向へ戻って行った。
これで文句はないな、と視線で問えばため息が返ってくる。
「分かったから、これを持っていてくれ。あまり離れすぎると効かないが、危険な状況になったら呼んでくれれば分かる。俺のことは生き延びるための道具として使え」
そう言って渡されたのは鎖を通した錆びついたコインだった。不意に込み上げる懐かしさにかつて祓魔士として使用されていたものだと思い至る。
「魔に堕ちた俺が持っていて良いものではなかったが、人であった頃の、お前との関わりを失いたくなくて捨てられなかった」
スイが過去について話すのは再会した時以来だった。過去の出来事にわだかまりを抱えながらも、あえて互いに避けていたのだ。話してしまえば今の曖昧な状態を保てなくなる。
そう思ったからユーリはそれを無視することにした。
「一応持って行く。――ついてくるなよ」
それだけ伝えるとスイの視線を感じつつ、ユーリは森の奥へと入っていった。
視線を感じなくなって、ようやくユーリは詰めていた息を漏らした。周囲への警戒を怠るつもりはないが、久しぶりに一人になった解放感でずっと気を張っていたことに気づかされる。
頼れるのは自分だけ、そう思って生きていたせいか他者が常に一緒にいるという状況は思いのほかストレスになっていたようだ。
(たった10日、いやもう10日というべきか?)
魔王や元想い人とともに過ごす日々は苦痛というより戸惑いの方が大きい。記憶の中のスイも少なからず変わっている部分もあり、その差異とかつての関係性から居心地の悪い思いをすることもあった。
スイだけを頭から糾弾するのは間違っていると思う一方で、最期の記憶は鮮明でなかったことにはできない。下僕扱いされても従順な態度を示すスイにどう接していいか分からず冷たくあしらってしまう。
(あいつはどうして…)
微かに地面を踏みしめる足音と魔物の気配に、ユーリは物思いを中断し剣に手を掛けた。気づいたことを察知したのかユーリの前に二匹の魔物が現れる。一匹は炎を吐くサラマンダー、もう一匹はサラマンダーに似ているが赤い身体に黒い斑点が混じっていて毒々しい色合いだ。
シューシューと威嚇音を鳴らすと、舌から唾液が滴り落ちて草が音もなく変色していく。
(サラマンダーの亜種で毒持ちか。厄介だが攻撃する前に分かったのは幸いだった)
サラマンダーは以前も倒したことがある魔物だが、属性が違う2体とあれば慎重に動いたほうが良さそうだ。炎と毒を吐き出す相手ならば迂闊に近づけば、こちらの身が危うい。じわりと距離を測っているとサラマンダーが焦れたように炎を吐き出したが、離れていたためユーリは難なく躱した。
「浄化の雨よ」
浄化作用のある雫は魔物にダメージを与えることができるが、致命傷を与えるものではない。それゆえに降り注ぐ雫を身体に受けたサラマンダーの威嚇音が大きくなり嫌がる素振りを見せるが、撤退する様子はない。そのままの状態を維持したまま、ユーリはさらに聖力を込めて新たに詠唱を重ねた。
「氷の刃となりて敵を貫け」
優しく降り注いでいた雫が空中で鋭利な氷柱状に変わり、勢いよく降下した。ギュィィィとけたたましい呻き声が響き、地面をのたうち回る一匹に駆け寄るとユーリは刃を振り下ろす。
もう一方が頭を逸らしたのを見て、瀕死のサラマンダーを勢いよく蹴り上げて距離を取る。仲間の身体に思い切り毒液を吐いた後の無防備な一瞬を狙って首をはねた。
そのまま少し様子を見るがどちらも息絶えており、他の魔物が寄ってくる気配もない。そこでようやく息をつき、改善点を頭の中で整理して次の獲物を求めて、ユーリは森の奥へと向かった。
「……今日はここまでか」
あれから様々な魔物と祓魔術の組み合わせを試しながら倒した。いつもより多く術を行使した結果、集中力を要したため精神的な疲労のほうが大きい。
小屋に戻るまで日は沈まないだろうが、疲労は視覚的な視野を狭めることもあり撤収を決める。
今日の成果は上々だとユーリは思った。普段の戦いでは聖力の消費を抑えるため剣を振るうことが多いが、鍛錬を重ねることで消費量を抑えた状態で祓魔術を使うことが可能になる。
前世の記憶から防御系の術については、問題なく使えるが攻撃系はイメージと集中力の点で同じように行使するにも消費量が全く違う。障壁や浄化も必要な術だが、守りだけでは生き延びられない。
クラウドのおかげで祓魔術の基礎を学ぶことはできたが、女でありながら祓魔士を目指すユーリの存在は浮いていて、共に学んだ祓魔士見習いからも教師役の祓魔士からも快く思われていなかった。必要な事項をわざと教えられないなどの嫌がらせは日常茶飯事で、ユーリの祓魔術は書物と実戦によって身に付けた部分も多いため荒削りの状態だ。
(そういえばあいつも元祓魔士だな。あいつに習えば早く上達するのでは?)
ふと浮かんだ考えを振り払うようにユーリは首を振った。
成り行き上自分の下僕となったとはいえ、今は魔族の男を頼るなど正気の沙汰ではない。
下僕として扱うが信頼はしない、もう二度と裏切られて命を落とすのはごめんだ。そう自分に言い聞かせていると、迎えに来たのか視界に黒髪の男が待っているのが映る。
途端に苛立った気持ちを抑えるように深呼吸をして、ユーリは小屋に戻るため淡々と足を動かした。
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