第9話 善良と醜悪
なるべく人が密集している場所を避けながら移動しているものの、必要な物資を買い足す必要がある。不安要素はあったがこればかりは仕方がないことだ。
ユーリの心配をよそに立ち寄った先々で、少年の姿をした魔王は常に好意的に受け入れられるのだったが、これがユーリを憂鬱にさせる原因の一つとなった。
「ユーリお姉ちゃん、お菓子もらったから一緒に食べよう?」
人前では弟のように振舞う魔王を邪険に扱えば、悪者扱いされるのはユーリなのだ。一度見知らぬ女性たちから懇々と姉弟の大切さを諭されてからは、人目を気にせざるを得なくなった。
金色の目をユーリと似た琥珀色に変えたせいか、顔立ちが似てなくとも姉弟だと認識されてしまう。そこまで計算した外見なのだと思うと恐ろしい。
「いらない。……ナギがもらったものだろう」
名前を呼ぶことに未だに抵抗を覚えるが、魔王と呼ぶわけにはいかないので仕方がない。
「ユーリお姉ちゃんと一緒がいい」
姉に甘える無邪気な弟を見守る周囲の視線を感じて、ユーリは折れることにした。彼らは善良であり、親切心からの助言を無視すれば物資の調達がしづらくなる。
ここで断れば更に面倒なことになるのは前回立ち寄った村で経験済だ。
少し距離を保って付いてくるスイに視線で合図すると、僅かに頷く。必要なものは事前に伝えていたので、ユーリの代わりに不足分を準備してくれるはずだ。ナギと同じく目立つ容貌のスイは、濃い色付きの眼鏡で瞳の色を隠し大人しくしているため、騒動を起こす心配はないだろう。
差し出されたナギの手に気づかなかった振りして、ユーリは人気がない細い路地へ入った。
「はい、どうぞ」
口元に差し出されたクッキーを奪い取るように手でつかむ。ユーリの態度にくすくすと忍び笑いを漏らす様子は子供のように純粋でどこか歪だ。
愛玩動物に餌を与えるように、ナギはユーリに食べ物を与えようとする。だがそこにあるのは愛情ではなく獲物を弄ぶ猫のような純粋な悪意があり嫌がらせの一環だった。
(何か混じっているな)
クッキーを食べずにポケットにしまったユーリを見て、ナギは残念そうな顔をしているものの本心はどちらでも良いのだろう。
表面上は無邪気な子供だが人を魅了し誑かすことに長けている。
魔王に魅入られた者は男女問わずユーリを羨むと同時に妬み、攻撃的な視線や言葉を投げつけられたのは一度や二度ではない。それを分かっていてナギは煽るような言動を選ぶのだから、本当に質が悪いとユーリは内心ため息を吐く。
「何が入ってるんだ、これ」
ナギに好意を持つ人間が渡した菓子に害を為す物が入っているとは考えにくい。にもかかわらず良くない物が混入しているという直感があった。
独り言のように呟いた言葉にナギが反応した。
「媚薬だよ。僕には効かないけどね」
平然とした様子でクッキーを口に放り込むナギを見て、ユーリは眉をひそめた。中身はどうあれ見た目が10歳ほどの少年にそんなものを仕込むとは、人の醜悪な欲望を見せつけられたようで気分が悪い。
(これも嫌がらせのうちか)
わざわざ不快な内容を告げるナギは人の感情の機微に長けているのだろう。ユーリの内面を見透かしたように少年は満足そうな笑みを浮かべていた。
7日ほどかけて魔の森に到着したときには、これで人と関わらずに済むと逆に安堵を覚えたほどだった。
境界線のように闇を溶かしたような重い雰囲気は人や動物を遠ざけている。
静寂の中に時折不気味な遠吠えが混じるが、ユーリは一向に気にせず森を分け入っていく。
「ユーリ、奥に行き過ぎるな」
行きたい場所があったユーリはスイの忠告を受け流す。方向は間違っていないはずだと思いながらも不安を覚えた頃、ようやく目的の物が現れた。
木を組み合わせた粗末な小屋は以前と変わらずひっそりと存在している。
「存在を知っている者にしか見えないよう幻術が使われているのか。面白いね」
興味深そうに小屋の周りを観察するナギを放置して、扉を開けるとこもった空気が流れ出た。空っぽの部屋に僅かな食器、変わらない室内は懐かしさすら覚える。
修行の場として魔の森を訪れたのはおよそ2年前のことだ。
『1ヶ月後に迎えに来るから』
何の説明もなくクラウドに連れて来られて、そのまま1人置いていかれた。
小屋より先に行くと危ないよという注意と、数日分の食糧のみ残して去っていたクラウドに、当初は捨てられたのかと思ったほどだ。それからクラウドが迎えに来るまで食糧を現地調達しながら、魔物を倒す日々を過ごす中でユーリは確実に成長した、と言えば聞こえはいいが、そうでなければ死ぬしかない状況だった。
何しろ迎えに来たクラウドの第一声は「良く生きていたね」だ。
色々大変だった記憶しかないが、強くなるには最適の場所だと思っている。倒す対象が傍にいる中で、手の内を晒すリスクもあるが力の底上げが最重要事項だ。
(今世は絶対に生き延びてやる)
明日からの過酷な鍛錬に思いを巡らせながらも、ユーリは己への誓いを心に刻んだ。
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