第8話 毒
翌朝、まだ陽が昇る前にユーリは目を覚ました。聖力はともかく身体の疲労はある程度まで回復している。身支度を整え、そのまま小屋の整理に手を付けたユーリは、自分に注がれる物言いたげな視線を無視することにした。
「……手伝う」
「不要だ」
ようやく口にしたスイの申し出を一蹴して、薬草入れの中身を確認する。
「あはっ、駄犬に手伝いは任せられないよね」
起きた時には姿を消していた魔王が現れて、楽しそうに軽口を叩く。ユーリはちらりと視線を走らせたが、こちらも構わないことにした。魔王の動向など気にしたところで無駄だと判断したからだ。
「これあげる」
放り投げられた何かを反射的に受け取れば、小ぶりのアンズが2つ手の平に収まった。栄養価が高く疲労回復にも優れている果物だが――。
無言でスイに渡すと、受け取ったもののどうしていいか分からないようでユーリの反応を窺っている。
「その辺りに生っていた果物だよ。嫌い?」
(毒入り、というわけでもなさそうだな)
スイに頷いてみせると、少し眉をひそめたもののアンズにかぶりついた。
「……酸っぱいが、毒はないようだ」
「へえ、甘い匂いがしていたのに美味しくないのか。じゃあ駄犬が全部食べていいよ」
魔王はあっさり興味をなくして、そばにあった陶器に薬草を入れてすり潰しはじめた。
仕方なさそうに口に運ぼうとしたスイの手からアンズを奪ってかじると、懐かしい酸味が口の中に広がる。蘇る記憶とともに浮かぶ感情をユーリは果肉と一緒に飲み込んだ。
荷造りと小屋の片付けがあらかた終わったところ、来訪者が現れた。遠慮がちに叩かれた音で誰が訪ねてきたのかすぐに察したユーリは、無言で扉を開ける。集落の長は見慣れない二人の姿に目を留めたが、それについては何も触れないことにしたようだ。
「朝早くに済まんな」
「いいよ、もう終わったから。世話になった」
ユーリの言葉に集落の長は悲しげに目を伏せた。
「ユーリのお陰で多くの命が救われた。それなのに薄情な真似をして申し訳ない」
「別に、長が謝罪することじゃない。そろそろ頃合いだった」
いくらユーリが手を尽くしても犠牲者がいなかったわけではない。集落の中にはユーリが森で魔物を殺したせいで、人里まで下りてきたと主張する人間が出てくるだろうと予測していた。恐らくは昨夜のうちにそんな声が上がっていたはずだが、翌日まで待ってくれたのは長の配慮だろう。
「大したものではないが、これを。お前が助けた者からだ」
袋に包まれたそれを受け取ると、ほのかな温もりが伝わってきて食事を包んでくれたのだと分かった。礼を言って背嚢の一番上にしまい、小屋の外に出る。
集落を通らず雑木林を抜けて街道に行けるため、他の人間と顔を合わせなくて済むのは有難かった。
当然のように付いてくる二人に声を掛けることなく、ユーリは今後の方針を考えた。
(クラウドに報告するには時期尚早か)
ユーリが祓魔士見習いとして認められたのは、後見人であるクラウドの存在が大きい。変わり者と有名なクラウドだが、聖力の研究分野では第一人者であるためそれなりの地位についており、聖女や祓魔士の育成に大きく貢献している。
放任主義でもあるがユーリの希望を聞き入れ、祓魔士になるための聖力の使い方だけでなく戦い方全般を学べるよう手を回してくれた恩人だ。魔王の目的が不明確な状態で、存在だけを知らせれば無駄に不安を煽ることになるだろう。
「ねえ、どこに向かうの?」
無邪気な口調の魔王だが、内心を読まれたようで胸がざわつく。
「魔の森だ」
現時点で人口の多い街へ行くのはリスクしかない。自分が人を殺すとは思わないが、魔王がどういう行動に出るか分からないため安全を優先する。
(それにもっと強くならないと)
今の自分では魔王に勝てないと思い知った。強くなるために鍛錬が必要で、生きて帰ることが難しいと言われる魔の森を選んだ。
「しばらく行ってなかったから、どうなってるかな。ところでユーリ、それ捨てないの?」
何の話だと目で問えば、魔王は荷物を指して楽しそうな声で告げた。
「さっきもらった毒入りの食べ物だよ。もしかして気づいてなかったのかな?」
背嚢を下ろして包みを解けば、干し肉とチーズを包んだ薄いパンが出てきた。まだ温もりが残るそれを半分にちぎって匂いを確認すれば、香辛料の他にいつもと違う香りが混じっていることに気づく。
(アンズの匂い…)
アンズの種はごく少量なら薬として使われるが、多量摂取すれば致死率の高い毒薬となる。スイに渡すとすぐさま意図を察して魔力を使った炎で燃やせば、炎の色が変わり毒物が含まれていることを示唆していた。
蜘蛛の魔物に襲われていた顔見知りの女性の顔が浮かんだ。ユーリを心配して時折食べ物を届けてくれていた女性。幼い子供の無事を喜び、感謝の言葉を告げる優しい彼女を最後に見た時、その綺麗な顔は傷つき真っ赤に染まっていた。もうすぐ結婚するのだと教えてくれた時の幸せそうな笑顔は記憶に新しい。
「魔王――」
いつ気がついたのか、そんな質問を口にする前に魔王は言った。
「ナギだよ。僕のことも名前で呼んで」
少年のような見た目だが、その顔には酷薄な笑みが浮かんでいる。それを見てユーリは質問を飲み込んだ。
たとえどんな理由があっても、そこに誰かの入れ知恵があったとしても、毒を仕込んだのは彼女自身なのだろう。
アンズに関する嫌な記憶が増えてしまった。もう二度と食べないと心の中で決めて、ユーリは目的地に向かって歩き始めた。
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