第6話 賭け
「今度こそ僕の所有物になってもらうよ、聖女さま」
「私は聖女じゃない」
圧倒的に不利な状況で少しでも時間を稼ぐために、ユーリは魔王の言葉に反論した。強くなったと自負していたが、力の差は未だに圧倒的で魔王を倒すことよりも何とかこの状況を切り抜けて生き延びる手段はないかと必死で頭を動かす。
「ふふっ、君は僕の聖女さまだよ。60年待たされたけど、その甲斐があったね。今も昔も君の魂はとても美しい」
「人違いだろう。当代の聖女は王都にいる」
減少したとはいえ、聖女も祓魔士も存在しているのだ。そして聖女の中でも枢機卿に認められるほどの力を持つ聖女は時代の聖女に選ばれて、死後その名を歴史に残すことになる。前世ではユーリはその候補に挙げられていたが、任命される前に命を落とした。
「ん、あれには興味ないよ?だけどもし王都の聖女を手に入れようとすれば、大量の血が流れるだろうね。今なら君一人の犠牲で済むよ。だから大人しく僕の元においで?」
「一度犠牲になったんだ。次は別の奴で我慢しろよ」
終始笑みを浮かべていた魔王だが、ユーリの発言を聞いて驚いたように目を瞠った。
「え、聖女なのにそんな発言……。そもそも僕自身は君に手を出していないのに」
「きっかけはお前だ。分かったら他を当たれ」
ユーリはまるで犬を追い払うような仕草をして、嫌悪感に満ちた表情を崩さない。
「まあいいや。今回は前回のような過ちは犯さない。僕の城に連れて帰ってゆっくり壊してあげるから」
(監禁されるのも殺されるのもごめんだ!)
ユーリが祓魔士を志したのも、厳しい修行に取り組んだのも全ては生き延びるためだった。前世のような短い人生で終わりたくない、その生存欲求の強さは他の欲求をはるかに上回っている。だからユーリは躊躇しなかった。
「スイ、いつまで座っているんだ。私を守ると言ったのは嘘か?」
つい先ほど自分が傷付けた相手であっても、生き残るためなら利用する。視界の端に映ったスイは呆然とした様子であったが、ユーリは気にしない。動けるならさっさと動け、ぐらいしか思わなかった。
「君を殺した相手を頼るの?おまけに僕が罰として魔物に堕としたから、聖女とは敵対関係にある立場だよね」
「他に手持ちがないからな。スイ、こいつを何とかしろ。できれば100年ぐらい私の前に姿を見せないようにしたら許してやる」
願望をそのまま言葉にすると、魔王はさらに楽しそうに声を立てて笑った。
「あはは、酷いね。そんな面白い性格になっているとは予想していなかったよ」
満面の笑みを浮かべながら魔王が一歩踏み出すと、スイはユーリの前に立って庇うような素振りを見せた。
「……100年は無理だが何とかする」
左肩からはまだ血が流れているにもかかわらず、そんなことを口にするスイにある感情がよぎったが、ユーリは黙殺することにした。
「おや、大した忠犬じゃないか。その傷は聖女さまから付けられたものだろうに。僕とやり合えば5分と持たないよ?」
スイは魔王の言葉に構わず姿勢を低くして攻撃の機会を窺っている。その間もユーリは魔王から逃げる方法を考えていたが、有効な手段が何も浮かんでこない。
(魔王に隷属させられれば、永遠に囚われる。くそっ、今世も死ぬしか方法がないのか)
前世の最期を思い出すだけで胸に痛みが走る。
「おい、1つ教えろ。何で私なんだ?」
聖女だから狙われたのかと思っていたが、何故か自分に固執する魔王の言動が分からない。魂が清らかな心と同義であるならば、今の自分の聖女だった頃に比べると随分穢れているはずだからだ。
「何故かと言われても僕には分からないよ。ただ本能的に惹かれる存在として選ばれたのが君なんだろう」
「ふん、理由がないならただの錯覚、勘違いだろう。いい加減諦めろっ!」
聖力を込めて投げた短刀はあっさり弾かれるが、それと同時にスイとユーリは動いた。青い炎が魔王を包みその上からユーリが結界で閉じ込めようとした瞬間、視界が真っ白に染まる。
木に叩きつけられて息が詰まって弾き飛ばされたのだと分かった。轟音で一瞬耳がやられていたらしく、目の前に人影が落ちたことで顔を上げると魔王と目が合う。
あの日と同じ金色の瞳はどれだけ口元に笑みを浮かべていても、感情の読み取れないガラス玉のようだ。恐怖よりも悔しさが込み上げるなか、魔王がゆっくりと手を差し伸べる。
「ふふっ、諦めるのは君のほうだね」
「お前だよ。どうやったってお前の求めるものは得られない」
確信があったわけではない。魔王の言動を振り返って直感的に口にした言葉だった。目を瞠った魔王の様子に思いつくままに言葉を重ねる。
「私を手に入れたところで同じだ。そもそもお前自身が欲しいものが分かっていない、そうだろう?」
その刹那、ガラスと金属がぶつかり合うような澄んだ音がして、ユーリは体勢を立て直した。魔王に切り掛かったスイは結界に阻まれたが、すぐさま攻撃に転じるのを見てユーリも後に続いた。
どことなくぼんやりとした様子の魔王に剣を振るうが、不可視の結界で魔王を傷付けることができない。
浄化の力で強制的に解除させることも不可能ではないが、魔王の結界ともなれば膨大な聖力が必要だろう。残りの聖力を叩きこんでもその後に攻撃が出来なければ終わりだ。判断に迷っていると結界が消えて、警戒するユーリに魔王がにこやかな笑みを浮かべる。
「ねえ、僕と賭けをしよう」
眉をひそめるユーリを気にすることなく、魔王は言葉を重ねる。
「君が1年間、人を殺さなければ君を解放してあげよう。だけどもし君が人を殺したら、僕の所有物になってもらうよ」
奇妙な提案としかいいようがない。このまま無力化して連れ去るなり、魔力で無理やり人形状態にすることも可能なはずなのに、何故そんな賭けをする必要があるのか。
そもそも賭けの内容そのものがおかしい。ユーリは魔物を殺しているが、人を殺めたことなど一度もない。
「それは私が存在するせいで人が死んだときも含まれるのか」
今回もユーリが魔物を倒したせいで、村が襲われたという見方もできる。中にはユーリのせいだと非難する人間もいるだろう。
「いや、君が殺意を持って人を殺した場合だけだよ」
「ユーリ、やめろ!それも誓約の一種で受けてしまえば絶対的なものになる」
唆されるなと戒めるスイの声を無視して、ユーリは賭けの内容を吟味する。この提案を受けなくても、どのみち強制的に奪われてしまうだろう。たとえこの場で自害したとしてもまた転生してしまえば魔王に狙われてしまう可能性が高い。
「その期間、お前も人を殺さないのか?」
「うーん、そうだね。僕に危害を加えない限り手出しは控えてもいい。もちろん君も殺さないよ。他には?」
条件が破格過ぎて怪しいのだが、恐らく選択の余地はない。
「その条件でいい」
「ユーリ!!」
「煩い犬は処分してしまおうか」
剣呑な気配を漂わせる魔王にユーリは間に入った。
「勝手に人の下僕を殺すな。ああ、私の物に手を出すのも禁止だ」
「分かったよ。まだ賭けが成立する前で命拾いしたね」
魔王の目の前に誓約書が現れユーリは二度、三度目を通して頷く。
こうしてユーリは魔王と誓約を交わし、スイを下僕として扱うことになったのだった。
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