第5話 邂逅

平穏な日常など簡単に覆されることをユーリは知っていた。

だから集落に魔物が押し寄せてきたことを知っても、動揺したり悲嘆に暮れることもない。ただ残念だと思う諦めの気持ちだけが一瞬胸に去来して、ユーリは殲滅のため駆け出した。


逃げまどう人々の姿や悲鳴を耳にしながら、目の前の魔物から順に屠っていく。男たちもまとまって魔物に挑んでいるが、劣勢なのは明らかだ。


昆虫や獣の形をした魔物は統制が取れた様子はないのに、何故同時に集落を襲うのか。

そんな疑問が頭の片隅で浮かぶが、今はそんなことを考えている場合ではないと意識を切り替えて剣を振り下ろす。聖力が込められた剣はユーリの筋力を補うように魔物に致命傷を与えていくが、如何せん数が多すぎるのだ。


一ヶ所に集められれば一気に祓うことも可能だが、この状態では範囲が広すぎる。

すぐそばで甲高い悲鳴が上がり、顔見知りの女性が蜘蛛の魔物に絡めとられていた。鎌状になった鋏角が目前に迫っている。


「光あれ!」

辺りが光に包まれ、目が眩んだ魔物の一瞬の隙をついて脳天へと剣を叩きつける。女性に絡みついた蜘蛛の糸が剥がれ落ちたことを目の端で確認して、ユーリは次の標的へと向かって駆け出した。


祓魔術を使いすぎると聖力が尽きてしまう。術よりも剣に聖力を纏わせて使うほうがはるかに消費量の節約になるためユーリは剣を振るうことを選んだ。しかしそれでも体力には限界がある。

頭上が暗くなり、とっさに身体を横に転がすと鋭い爪が掠めた。


(猛禽類か!)

翼をもつ魔物は厄介ではあるが単体であれば対処できる。しかし目の前にいる魔虎を相手にしながら戦うには分が悪い。せめて森の中なら空からの攻撃は制限されるが、そこにたどり着くまでにはやや距離がある。

(引き付けて聖力で焼き尽くすか、いやそれだと後がもたない)


判断する前に魔虎が飛びかかってきて剣を構えるが、突如青い炎がその身を包んだ。

絶叫とともにのたうち回る魔物に目を見張ったものの、まだ他の魔物が残っている。炎に怯んだ鷹に似た魔物を一閃し、忍び寄る魔猫を片付け終えると、焼け焦げた魔物の残骸があちこちに散らばっていて、生きている魔物の姿は見当たない。


肩の力を緩めたユーリだったが、背後からの視線に警戒を高めた。姿は見えないが、森の中から様子を窺っているような気配を感じる。

逡巡したのは一瞬で、ユーリは用心しながら森へと足を踏み入れた。



「いい加減姿を見せたらどうだ」

視線の持ち主はユーリが近づくと一定の距離を保っていた。森の奥へと誘導されているのは分かったが、集落の近くであれば住人に被害が及ぶ。そう判断してある程度までは付き合っていたが、そろそろ良いだろう。

「……危害を加えるつもりはない。だけど……お前に危険が迫っている」


忠告とも警告とも取れる言葉だが、信用するつもりは欠片もない。何故なら声の持ち主は恐らく魔族だからだ。

普通の魔物と違って人型を取ることができる力の強い魔物。

先ほどの青い炎もこの魔族によるものだろうとユーリは予測している。助けた振りをして油断を誘うつもりか、それとも別の目的があるのか。


「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ。話す気がないなら口を割らせるまでだが」

正直余力はないが、相手に気取らせないようわざと好戦的な口調で告げる。

「ユーリと戦う気はない」

自分の名前を呼び木陰から姿を現した男を見て、心臓に刺すような痛みと衝撃が走る。

そこにいたのは前世で自分を殺した男であり祓魔士であったはずのスイだった。



あの頃と変わらない姿のスイの全身を素早く観察する。成年直前だった頃より成長しているようにも思えたが、それでもほんの2、3歳程度。あれから60年近く経っているというのに変わらないなど普通の人間ではあり得ない。そして何より深い海のような青い瞳の色が血のように紅く変わっていて、目の前の男が魔族であることを確信する。


ユーリは迷うことなく一歩踏み出して、そのまま重心を載せて目の前の相手に切り掛かった。

「ユーリ、俺は敵じゃない!」

「魔物は殺す」

それ以上のお喋りは不要だとばかりにユーリは鋭い太刀筋を繰り広げる。

「くっ、記憶がないのか」

スイはユーリと大きく距離を取ると、必死な様子で訴え始めた。


「俺はスイ、元祓魔士だ。60年前、聖女であるユーリと一緒に魔王と戦ったが、お前は命を失い俺は魔物に変えられた。俺は今度こそユーリを守るために――」

「光の檻よ」

不可視の結界がユーリとスイの周囲に張られ、閉じ込められた形になる。結界内において魔物は弱体化するが、人型の魔物の力をどれほど削ぐことができるか分からない。聖力の消費も大きく、短時間で仕留める必要があった。


「ユーリ、俺の話を聞いてくれ!魔王が再びお前を狙っているんだ。俺たちが争っている場合じゃない、っ!」

スイはユーリの攻撃を躱すが、結界に阻まれて思うように距離が取れず焦りの色が浮かんでいる。一向に攻撃を仕掛けてこないが、だからと言ってユーリが攻撃の手を緩める道理はない。


「ユーリ!」

「煩い。二度も殺されてたまるか」

その言葉でスイの目が大きく見開かれた。冷静で大人びた彼のこんな驚愕した表情を見るのは初めてだと頭の片隅で思ったが、その隙を逃すほど愚かではない。振りかぶった剣がスイの左肩を貫いて呻き声が上がった。


地面に膝をついたスイに止めを刺そうとした瞬間、強い魔力を感じて身を躱したのは反射的な行動だった。先ほどまでびくともしなかった堅固な結界が、崩れ落ちるように消滅した。肌を刺すような威圧感に嫌な汗が背中をつたう。


(よりによって今か!)

度重なる戦闘で疲弊した状態で相対することになったことが悔やまれる。

「ああ、邪魔をしてしまったかな。早く君に会いたくて我慢ができなかった。ごめんね?」

楽しそうに告げる軽やかな声がして、足音もなく姿を現した男の姿に嫌な予想が当たったことを知った。


忘れることの出来ない金色の瞳と暗がりでも淡く輝く銀色の髪。

ユーリが前世で命を落とすきっかけとなった魔王は、以前と変わらない姿で微笑んでいた。

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