第2話 きっかけ

薄暗い森の中、静寂を切り裂くような絶叫が響き渡った。絶望と恐怖に塗りつぶされた悲鳴は徐々に小さくなり、水が滴るような音や咀嚼音だけが残る。

仲間の無残な最期を見て、残された少年は目を逸らすこともできずただ固まっていた。

魔物たちが食事に夢中になっている間に逃げ出さなければ自分も同じ末路を辿る。頭では分かっていても動いた瞬間、その鋭い牙や爪が自分に向けられるのではないかと思うと恐怖で身体が竦んでしまう。


びちゃりと湿った音を立てて少年の前に落ちたのは人肉の欠片。それに死を強く意識させられたせいか、気づけば森の中を駆けていた。荒い呼吸は自分のものか、それとも獲物を狙う魔物のものか分からない。ただ足を止めれば死ぬのだということだけは理解していたため、必死で足を動かしていたが――。


「うわっ?!」

太い幹の根に足を引っかけてしまい、盛大に転んでしまった。起き上がろうとする少年の前に獰猛な狼に似た魔物が鋭い牙を見せて立ちはだかっている。

「ひっ、あああ…」

「動くな。そのまま伏せていろ」


突如聞こえてきた声に従って額を地面に押し付けると同時に、何かが叩きつけられるような音と複数の魔物の唸り声が聞こえてくる。怯えながらも目をきつく閉じて身を竦めていた時間は生きた心地がしなかった。辺りが静かになったころ、地面を踏む小さな音が聞こえて頭上から声が降ってきた。


「もう頭を上げていい。怪我は?」

恐る恐る顔を上げると、そこには凜とした佇まいの美しい少女がいた。蜂蜜のような柔らかな髪色と意志の強そうな琥珀色の瞳に思わず見惚れていると、少女から信じられない言葉が飛び出した。


「おい、そこの阿呆。耳と口が付いているならさっさと答えろ。でないと置いて行くぞ」

まるで男のように粗野な言葉遣いと威圧感に少年は必死で謝罪し、自分の命を救ってくれた少女——ユーリの問いに答えたのだった。



少年を集落まで送り届けたユーリは、ひとまず自分の小屋へと戻ることにした。長へ報告する前に自分が感じている懸念について確認したいことがあったからだ。

納屋のような簡素な小屋に戻ると、すぐさま乱雑に積み上げられた本の一冊を抜き出して頁をめくる。

その手が止まったのは先ほど退治した魔狼について記された部分だ。


(やはり魔物の動きがおかしい)

元々魔狼はこの地域よりも北に生息している魔獣だ。そして群れを成さず単独で行動するはずの魔狼が、同じ場所で複数匹存在していたのは異常な事態だと言ってもいい。単体行動を好む魔獣は縄張り意識が高く、領域内に同胞の存在を許さないのが一般的だからだ。


可能性としては生息地にいられない理由が発生したと考えるのが自然だろう。南下を強いられた理由が餌とする獲物の減少や気候の変化などの自然的要因ならまだいい。自衛は必要だが、それ以上警戒する必要がないからだ。


問題は居場所を追われた原因が他の脅威によるものだったとすれば、話は変わってくる。生息地からの移動は基本的に危険を伴う。獣と同程度の知性しか持たない魔獣であっても、本能的にそれを知っているのだ。

そんな危険を冒してまで住処を変えたのは、魔狼達が身の危険を感じたからではないだろうか。

つまり自分たちよりも強い魔物が現れて撤退を余儀なくされたというものだ。


魔物の活性化、それがユーリの懸念事項だった。少し前からその兆候を感じていたが、今回のことで自分の予想が概ね正しいのではないかという確信が増す。


教会の見解では魔物は弱体傾向にあると言われている。聖女や祓魔士だけでなく傭兵による退治が可能であると証明されているからだ。またその数も年々減少しているそうだが、ユーリはそれについて懐疑的だった。傭兵を戦力に数えるのはいいとして聖女は祓魔士が減っているのであれば、退治する側の全体的な数は変わっていないはずなのだ。


人里に出てくることが減っただけで、森や山の奥など人が立ち入らない場所に魔物が潜んでいないとどうして言い切れるのだろう。退治された形跡のない上位の魔物が姿を見せないことにもユーリは不安を拭えない。

そんな考えを他人に告げれば一笑に付されるか、考えすぎだと諫められるだろう。

それでもどこか予兆のようなものを感じているのは、ユーリのもう一つの記憶のせいかもしれない。


本を閉じるとユーリは小さくため息を吐いてから机へ向かう。それから後見人であるクラウドへ報告をするために手紙を綴り始めた。

変わり者ではあるが他に相談する相手も頼る伝手もない。


両親はユーリが5歳の頃、魔物に襲われて亡くなった。

すぐに戻ってくると言った両親は一晩経っても返ってこず、翌朝近所の男性から二人の死を知らされたのだ。遺体は無残な有様で子供には見せられないと言われたが、制止を振り切って両親の元へ向かったのは信じたくない気持ちからだったのだろう。


どす黒く変色した血にまみれ、辛うじて顔の形が分かる二人の姿を見たユーリは強烈な既視感を覚えると同時にその場に倒れ込んでしまった。

そうして意識を失っている間に、ユーリは前世の記憶を思い出すことになったのだ。



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