元聖女は生き延びたい

浅海 景

第1話 裏切り

この世界は女神ディミアスにより創造されたと言われている。偉大なる女神は豊かな大地に動物や人間を生み落としたが、その時に生じた苦痛により魔物と呼ばれる悪しき存在も同時に派生してしまったのだ。


力を持たない人間たちが魔物に蹂躙されていく様子に胸を痛めた女神は、それに対抗できるよう人間に聖なる力を授けることを決める。だが人間は既に女神の御手を離れており、その恩恵を全ての人間が享受することは叶わなかった。


それゆえに、女神より聖なる力を与えられて生まれてきた者は特別な存在として扱われる。力を正しく行使すべく女児は聖女として男児は祓魔士として教会で育てられ、魔物に対抗すべく鍛錬を積む。

特に聖女は魔を祓う力が強く、魔王を滅ぼすことが出来る存在だと言われていた。



「ユーリ!」

勢いを増す激しい炎に耐えかねて割れるガラスの音に混じって、遠くから自分を呼ぶ声が聞こえる。彼が生きていることへの安堵が胸を満たす。今すぐ彼の元へと駆けつけたいのに目の前の存在がそれを許さない。


「ふうん、まだ生存者がいるんだね。意外としぶといな」

「っ、狙いは私の命でしょう!さっさと殺せばいいわ」

他の聖女たちよりも強い聖力を有していたユーリだが、まさか魔王自ら命を奪いに来るとは思わなかった。


期待されていたとはいえ聖女として正式に任命されるのは18歳からだ。16歳になったばかりのユーリは聖女としては見習いという立場である。

この教会には正式な聖女や優秀な祓魔士たちがいたのだが、現実は伝承のようにはいかず魔王の襲撃を受けた教会は今まさに壊滅寸前状態で力量の差は歴然としている。


もう少し時間があればと悔やんだところでどうしようもなく、ユーリに出来ることはこれ以上犠牲を重ねないよう、自らの命を魔王に差し出すことだけだった。

(怖くないといえば嘘になるけど)

大切な存在が脳裏をよぎる。誰よりも大切で愛しい人を守れるのなら、これ以外に道はない。


「僕は君を奪いにきたが、殺すわけではないよ?絶望に染まった君の魂ごと僕の物にしたいからね」

黄金の瞳が細められて歪な笑みが浮かんでいる。捕食者に狙われた獲物のようにユーリの身体から力が抜けていく。

魔王の言葉を完全に理解したわけではなかったが、ただ殺されるだけよりももっと酷い目に遭うのだと本能的に悟った。


敵わないと知りつつも女神に祈りを捧げつつ、浄化の光を紡いだのは何とか一矢報いたいとの思いからだった。そんな必死のユーリの術は完成すると同時に魔王が無造作に手を払う仕草だけで呆気なく霧散する。


「まだ抵抗するだけの気持ちが残っているんだね。じゃあこうしよう」

逃げ場をなくすように燃え盛っていた炎がたちどころに消え、崩れ落ちかけていた扉がけたたましい音とともに弾けとんだ。


「ユーリ!!」

聞きたくて聞きたくなかった声にユーリは魔王の意図を理解し、強張った身体を必死で動かした。魔王がユーリに絶望を与えたいのなら、格好の人物が現れたからだ。


「スイ、逃げて!」

身を投げ出すようにスイの前に立ち、最大限の聖力を込めて防御壁を展開するも、魔王からの攻撃を受け止めると同時にそれは簡単に砕け散ってしまった。


その様子を見たスイの息を呑む音が聞こえた。攻撃力においては祓魔士であるスイのほうが優れているのだが、純粋な聖力だけであればユーリの方が上なのだ。

「魔王の目的は私の魂、だからスイは引いて」

「ユーリの命を犠牲にして逃げ出せと?!そんなことできる訳がないだろう!」


スイが自分に好意を抱いてくれていることは気づいていた。こんな絶望的な状況でもユーリを守ろうとするスイの言動は涙が出そうなほど嬉しい。だからこそスイには生きてほしいと願ってしまう。


「ふふ、心配しなくても彼女は殺さないよ。ただ永遠に僕の所有物として傍においておくだけだから。そのためには君に死んでもらわないとね」

「ユーリが魔王の所有物に……」

小さな呟き声は感情がそぎ落とされたような響きがあった。


魔王が一歩踏み出すのを見て、ユーリは最後の力を振り絞ってスイを逃すため転送を試みようとした。成功率が低く今のユーリに出来るかどうかは賭けだったが、スイだけは守りたいと願ったから――。


「ユーリ、ごめん。愛している」

その言葉を喜ぶ間もなく胸に灼熱感が走ったかと思うと、今まで経験したことのない激しい痛みに襲われる。視線を落とせば左胸から刀が突き出ていて、ユーリの思考は混乱と疑問で埋め尽くされた。


(背後にはスイしかいなかったのに、どうして……?)

スイの姿を求めて振り向こうとするが、力強い腕に背後から抱きしめられて身体が動かない。急速に熱を失っていく身体にその温もりだけは心地よく感じられた。


「――お前、邪魔だ」

魔王の冷たい声とともに衝撃を受けて視界がかすむ。目の前に見慣れた色と身体に伝わる感触で床に叩きつけられたのだと分かった。

「せっかくあと少しで僕のものになるはずだったのに…」


冷ややかな口調の中に激しい怒りを感じ取って、ユーリは必死にスイの姿を探すが、身体が言うことを聞かず、呻き声が漏れるだけだ。

「祓魔士が聖女を手に掛けるなんて、想定外もいいところだ。お前にはそれ相応の報いをうけてもらおう」


(そんな……私を刺したのはスイなの?)

無意識に考えから除外していたが、冷静に考えればあの状態でスイ以外にそれができるはずがなかった。

頭を殴られたような衝撃に最早何も考えられない。


切り裂かれるような胸の痛みと全身を襲う激痛を感じながら、ユーリの意識は暗闇へと落ちていった。

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