第4話 Good Morning → Declaration of Determination

 岩に覆われた無機質な視界が、1歩進むごとにだんだんといろどりを取り戻し、ついに光に包まれる。

 岩の質素な匂いは消え、陽気な日差しと共に草木の新鮮な鼻腔を通って空気が肺に充満する。

 この世界に落ちてもう3日目──気を失っていたことを考えると、実働は2日と少しになるが──。自分でも驚いているのだが、俺はこの生活に適応しつつあった。恐らくその要因の多くは、ポンタの存在だと思っている。

 彼女はもともとここに生息する生物であり、生態系においても上位種であると一緒にいて感じていた。彼女のおかげで少しは安心して生活できているのかもしれない。

 俺は両手を天に仰ぎ、大きく伸びをし、満面の笑みを浮かべて一言。


「……クッソ、体痛てぇ……」


 この世界に来てから、睡眠をとる場所は洞穴の地面。今まで柔らかなシーツの上で眠っていた日本人の俺には、たった2日の睡眠だけで体が悲鳴を上げていた。

 こんなに敷布団のようなものを願ったことは生涯で一度もないだろう。


「はぁ……なんでもいいから敷くもん欲しいなぁ……」


 どうにもならない望みを漏らしながら、俺は動的ストレッチをしていた。


「全く、人間ってのはどうしてこんなに脆弱なんだー?」


 洞窟から欠伸あくびをしながら人間姿のポンタが出てきた。


「お前基準でしゃべんな、ボケ」

「はいはい。それでー、今日はどうするんだー?」

「とりあえず、もっかい『ことの探し』やな。今日見つからへんかったら、明日にでもこの草原離れればええやろ? その前に、あのクソ馬野郎にリベンジやけどな!」

「ういー。まぁ、ディボエラは縄張り場所に行けばいるだろうし、いつでもいいだろうなー……ふあぁ……」


 ポンタはさっきよりも大きな欠伸をする。

 ストレッチをして、体は十分温まった。その場で低く数回ジャンプし、地面の感触を確かめる。これで準備万端だ。


「っしゃ! 行くぞポンタ! ボケてる暇あらへんで!」

「……はぁ、なんでお前は朝からそんなに元気なんだよー……」


 俺は元気に駆け出し、そのあとを気だるそうについてきていた。



 ◇◇◇



 どれほど歩いただろうか。

 果てしない草原を進み続けた俺たちは、いつの間にか知らない森の中へと入りこんでいた。

 視界を邪魔する葉っぱをかき分け、どんどん奥に進んでいく。


「なぁー、さすがにここまでは来ないんじゃないかー?」


 すごく機嫌悪そうにポンタは問う。

 内心、俺もそう思っていた。

 草木が鬱陶しいし、虫が耳元をかするとイライラする。できることなら、この場所をいち早く離れたかった。だが、可能性として1パーセントでもあるのであれば、探す理由としては十分だろう。



「あと、10分! あと10分だけ探そ!」

「はぁ……言ったからなー」


 ポンタをこれ以上、俺のわがままに付き合わせるのは申し訳ない。10分経たずとも、見切りがつけられそうなら、早めに切り上げよう。

 俺は木の根で隆起した足場の悪い地面を踏みしめ、さらに奥へと進む。

 大木に手をつき体勢を安定させながら、約50メートル。ついに開けた場所へと出た。


「おぉ、一気に開けたなぁ……なんやここ?」

「これだから、森は好きじゃないんだよなぁー……お?」

 なにか異変に気づいたポンタが、短く声を漏らす。


「なんやポンタ、なんかあったん?」

「……あそこの木の実。見たことないやつだなぁっと思ってなー」

「木の実?」

「そー。ほら、あそこ」

 ポンタは青空に伸びる大木の先を指さした。

「どこや……」

 指先の方へ目を凝らすと、確かに木の実が複数あった。しかもかなり大きい。かなり高所にあるのに、直径握りこぶし2個分ぐらいある。

 俺はさらに目を凝らし、その実を熟視する。どうも見覚えがあったのだ。完全な球体とは言えない独特な形。そして、真っ赤に染めあがった表面。


「……あれ、リンゴじゃね?」

「りんご?」

「おん。元の世界うちのせかいにあった果物や。まさか見れると思わんかったけど……にしても、デカない? あんなやっけ?」

「ほぇー、そんなのがあるんだなー。どんな味がするんだー?」

「すげぇシャキシャキしてんねん! そんでええやつやったら、真ん中に蜜が溜まってなー。それがクソ美味いねん! 俺もこの世界で見れると思てへんかったなぁ……あのデカさは、さすがに初めてやけど」

「おー、シャキシャキかぁ……」


 俺はリンゴを眺めて、唾を一気に飲み込んだ。

 そのゴクリッという音が、同時に隣からも聞こえてくる。

 瞬間、俺とポンタは顔を見合わせた。


「よぉ、ポンタ。お前、リンゴ食いたいんやろ?」

「そういうお前こそ、久しぶりなんだろー? 無理しない方がいいんじゃないかー?」

「そうやんな? は良くないよなー! っしゃあ! なら、取りに行くでー!」

「……とはいってもよー」


 俺たちふたりは上を仰ぐ。


「あの高さ、どーするよー?」

「……確かになぁ」


 前述どおり、リンゴ──と思われる──の木は顔を真上にするほどの高さ。もちろんだか、ジャンプして届くような高さではない。登ってみせようかとも考えたが、それは【高層マンション】を地上からクライミングするような挑戦だろう。

 石を投げる、何かものを使うなど現実的じゃない案が浮かぶ中、俺の頭に天啓が降りる。


「ポンタ。お前、元の姿に戻って俺がお前の背中乗ったら、行けるくね?」


 間違いない、これは名案だ。そう思ってドヤ顔を見せるが、残念ながらポンタの顔は渋かった。


「ヤダよ、疲れるしー」


 その発言には不明なところが多々浮かび、眉間を寄せる。


「なんでやねん。そもそもその体、元の体ちゃうやろ? そっちの方が絶対疲れるやん」

「1日も経てば慣れるんだよー。逆に戻る方が魔力使うからなー」

「そんなワガママゆうて……お前は、あのリンゴ食べたくないんかっ!?」


 俺は身振りを大きくつけて熱弁するが、彼女には響かず首の裏に手を当てていた。


「食べたいんだけどなー、そんなに労力使いたくはないんだよなー……他に案ないかー?」

「お前さぁ……ほんなら1回自分でも考えろやー!」


 何でもかんでも後ろ向きなポンタに憤り、声を荒らげるが、彼女は反省の色を見せず、それどころか頭をかいて口をへの字に曲げていた。


「はぁ、何をイライラしてんだよー。そーだな……」


 ポンタが考えること僅か数秒、「あー」と一言漏らしてこう続ける。


「……じゃあこの木へし折るかー」

「……は?」


 俺が惚けていることを気にかけず、ポンタは両手をパーカー突っ込んだまま、その大木の右に立つ。


「……よいしょっ」


 気合いのない声と共に彼女が大木に軽く回し蹴りを入れると、ズゴーンと激しく崩壊する重低音と周囲にいたであろう鳥達が飛びたつ羽音が響きわたる。激しい衝撃波が俺を襲い、前のめりになって耐える。

 何が起こっているのだろうか。まだ俺は困惑していた。

 俺が記憶しているのは、ポンタが大木に向かって当て感を測るような軽い回し蹴りをしていた様子。だが次の瞬間には、木の幹がえぐられるように割けていたのだ。


「えぇ……」


 単音を零すことしかできず、ただ流れる光景を眺めていた。

 その間もガガガガガガッ、と大木がゆっくりと轟音を立てて倒れつづける。

 音は徐々に激しくなり、最後には地面を打ちつける爆発音が俺の鼓膜を襲撃した。

 再び突風が吹き荒れ、砂ぼこりで視界が完全に奪われる。

 気管に砂が入ったからか、息ができないほどむせ返る。しばらくして砂ぼこりは治まり、隠れたポンタのシルエットが鮮明に見えた。

 彼女は両腰に手をおいて、一息つく。


「どうだー? これなら、届くだろー?」


 咳が治まってようやく呼吸が落ちつき、俺は大きく息を吸って

「このドアホッ! それでリンゴ潰れとったらどないすんねん!!!」

 と怒鳴りつけた。


「あー、それもそうかー」


 ポンタは、口を丸くして右手に拳を打ち付けた。

 この世界にきて初めてフルーツが食べられると思ったのに、これで潰れてたら洒落にならない。


「とにかく見に行くで! これで潰れてたらお前1人で探しに行けよ!!」

「はぁ? ……それは勘弁だなぁ」


 俺は急いで木が倒れた先の方へと向かい、ポンタもそのあとをついてきた。

 進む先を阻む木々を避け、全速力で走りつづけること約10秒──俺の体感時間だが──で先端部分へとたどり着く。

 走ることをやめるや、呼吸するたびに気管支が痛くなる。まさか木の大きさを自身の体力を持って証明する羽目になるとは思っていなかった。


「はぁ、はぁ……どこや……りんご……」

「お、リクト。あそこだ、あそこ」

「あ゛ぁっ?」


 必死に空気を取り入れながら、ポンタが指さす方へ顔をむける。倒れた大樹を支えるように生い茂る木々の隙間から、真っ赤な丸いシルエットが見えた。残念ながらダメになってしまったものもあったが、食べられそうなものは、俺の視野に入る限り衝撃で木から落ちたものも含めて5個。それだけあれば、十分だ。

 なにせあの果実、見上げていたときのサイズよりもかなり大きい。例えるのであればそう。これは……


「……バスケットボールやん。あのデカさ」

「はー? なんだそれー?」

「別に知らんでもええ。とりま大丈夫そうやし、持ってかえるで!」

「お、そうだなー」


 俺たちは早速リンゴの収穫をはじめる。少し歩いた先に落ちていた巨大りんごを両手で持ちあげる。重量は見た目から予想できる範囲で、片手で抱えられるほどだった。

 ということはつまり、1人で2個は持てるため、俺とポンタで計4個は持って帰ることができる。2日連続で食べた肉も絶品だったが、やはり油ばかりでは重たい。

 だが、このリンゴさえあれば、焼き肉のサラダのように口の中をさっぱりさせてくれて、無限に肉を食べることができるだろう。


「うへへ……今晩の飯が楽しみやなぁ……」


 口腔から漏れでる唾液をすすりながら、2個目のりんごを取りに行こうとした瞬間、黒い影が俺の目の前を横切る。

 今のは何だろうと不審に思いながら気をリンゴを戻すと、それはなくなっていた。


「え? あれ? リンゴは⁉」

「あ、なんだー? どこいったー?」


 近くにいたポンタも同じように首を傾げていた。周囲を見渡すと、俺が持つりんご以外跡形もなく消え去っていた。

 突如として姿を消したリンゴたちに不信感を抱いたところで、周りの木々たちが騒がしく音を立てる。

 ガサガサといった、葉のこすれる音。だが、ここに強風が吹いたわけではない。

 今のは間違いなく外的なによって起こされるものだった。それも1回にとどまらず、あらゆる場所から不規則に聞こえてくる。

 これを不気味と思わないやつはいないだろう。

 俺はりんごを右脇で抱えながら、左手に昨日拾った剣を顕現させる。速まる心臓の鼓動を落ち着かせるように深呼吸をして、腰を低く構えた。


「おいポンタ、これ……」

「あー、多分囲まれてるなー。どんなやつかまでは見えねーけど」


 当然ポンタも警戒態勢をとっていた。

 周囲の音は鳴りやむどころか増しはじめ、加えて木の上に黒い影が数多く見えるようになっていた。

 目星をつけようにも、木の葉や枝のせいで何もわからない。

 相手の様子がわからない以上、下手に手を出すべきではない。今は好機を伺うしかないだろう。

 ジリ貧な状況が続く中、急に今までとは違う音が耳に入る。

 俺の後方にある木から「グアァオッ」という獣の鳴き声と木が激しく揺れる音がした。

 俺とポンタはすぐさまその方へと体を向ける。すると、木から白い生物が転げ落ち、背中を地面に打ちつけていた。

 しばらく唸り声をあげて、その生き物は自分の背中を抑えていた。

 それによく目を凝らすと、とても既視感のある生き物だ。


「え? ゴリラ?」


 思わずその言葉を零れる。だが、まだ確証を持てなかった。その生き物は、俺の記憶上のゴリラとは一部異なっているからだ。

 誰もが知るゴリラは黒くて体つきがいいという印象だが、目の前にいるそれは体毛がまず白かった。それに異様に腕だけが発達していて、片腕だけで成人男性の肩幅はある。

 あの腕でラリアットでもされたぐらいなら、ひとたまりもない。

 そんな不均衡な体つきで、いかにも木登りが得意そうなこの生き物が、木から滑り落ち、動揺している光景は、自分が想像していた以上に滑稽であった。

 

「……ブッ!」


 俺は耐えきれず、息を噴きだしてその生き物を指さす。

 

「ハハハハッ! 待って! あのゴリラ、あの見た目で、木から落ちてんねんけどぉ~! クソだせぇ~! ハハハハ」

「ブクククッ! 間違いないなー。あれは……クククッ」


 ポンタもツボに入ってしまったようで、腹を抱えて笑う。

 背中を抑えていたゴリラは、しばらく何が起こったかわかってないのか、周囲を見渡す素振りを見せていた。


「アハハハハ! ……あ、アカンなんであいつ、『何かありました?』みたいな動きしてんねん……! おもろいって! 俺ら笑い殺す気やんっ……!」

「リクトやめろ、フフフッ……お前が何も言わなかったら、オレの笑い治まってたのに……イヒヒヒヒ……」

「いや、無理やろ! あんなん。ハハハハハッ……ハァ、死んでまう……」


 一度は笑い死にそうになったが少しずつ収まり、改めてゴリラの方に目をむけると、あるものが目に飛び込んでくる。ゴリラの後ろに隠れていたから見えなかったのだろう。隙間から見える赤い物体……あれは


「あーっ! ちょっと待って! あいつ、俺らのリンゴ持っとるで!」

「え? あぁ、ホントだなー」


 俺たちが大木をへし折って手に入れようとした果実を、この生き物は横取りしようとしているわけだ。

 俺がどれだけ楽しみにしているかすら知らないくせに、いい度胸だ。


「おい、そこのゴリラみたいなお前! そのリンゴ返せ! 俺のやぞ!」

「フゥ゛ンッ!」


 相手は言葉の意味を理解したのか、後ろのリンゴを抱えて威嚇してきた。


「はぁっ!? お前、この木誰が倒したと思てんねん!」

「いや、オレだけどなー」


 ゴリラに説教するが、納得するどころか唸り声を上げ続けていた。


「……上等やボケ。お前がそういう態度で行くんやったら」

 俺は奥歯を噛みしめながらそう唱え、左手に持つ剣先を相手に向ける。

「力ずくで奪い取ったるわっ!!」


 そう叫ぶと、それに答えるようにゴリラは咆哮した。

 次の瞬間、周囲の木々が激しく音を立てはじめ、そこから仲間たちが木から飛び降り、地に足をつけた。

 眼前に降り立ったその数、ざっと見て約50……いや100匹はいるかもしれない。ついさっきまで見た森の景色が、一瞬にして白い体毛の生物に視界が埋められてしまった。

 俺は深く息を吸い、少し心を落ち着かせてから一番最初に浮かんだ言葉はこれだった。

 ──え? 流石に多すぎん?

 実際に見えているわけではないが、俺の顔は今大変なことになっているに違いない。丸くなった目をおどおどとさせ、自然と口をとがらせている感覚があった。

 それに今だけやけに姿勢がよくなっている気がするし、瞬きの回数はいつもの3倍は絶対に増えている。

 俺は尖らせた口のまま、ポンタに問いかける。


「ぽ、ぽぽ、ポンタくん。この数をさ、相手できるかなぁ~?」

「まぁ、できなくはないけど……ダルイだろーな」

「で、で、ですよねぇ~。君もそう思うよねぇ~。てかこれ、もはやいじめですよね? そうですよねぇ? 僕、そういうの良くないと思うんだけどなぁ~」

「そんなことより、どーすんだー? これー」

「いやー、もうそりゃあ……ねぇ」


 俺は機械のようにぎこちなく顔をポンタの方に向け、気だるそうな顔を見つめる。

 彼女に苦笑を見せた直後、白い大群に背を向けて一気に駆け出した。


「お邪魔しましたーっ!」

「まぁ、そうだろうと思ったよー」

「ウオオォォ!」


 後方の大群はものすごい叫び声をあげながら、俺たちのあとを追いかけてくる。


「あいつら、思ったよりもしつこそうだなー」

「いやホンマに……ホンマに、スイマセンでしたああぁあああぁああぁぁっ!!」


 大群に負けないぐらいの叫び声をあげ、全速力で走りつづけた。



 ◇◇◇



 森を抜けてもまだ走り、気がつくともう拠点の洞穴の前までたどり着いていた。

 もう東から月が顔をだし、冷えた風が俺の頬を触れる。その空気が息を吸う度、肺に刺すような痛みを与えてくる。

 息を切らしながら、後ろを振り向いたが、そこに影はなかった。

 さすがにここまで走れば、撒いたにちがいない。

 右脇に抱えるりんごは健在。なんとかひとつは持って帰ることに成功した。


「あ゛ぁー、しんどー……」


 俺は前かがみになりながら、大きく声を漏らす。


「ふぅ……久しぶりにあれだけ走ったなー」


 片やポンタは、右腕で額を拭いて一息つくぐらいの余裕を持っていた。


「お前……なんであの距離走って、息切らさへんねん……」

「あれぐらいはたまに走るだろー? それにお前が遅いから、体力も温存できたしなー」


 と、ポンタは語るが、実際俺が半日近くかけて走る距離だ。一般人が普段走る距離ではないのは、確かである。


「……なら、お前がりんご担げよ……」

「嫌だねー、めんどくさいしー」

 一蹴したポンタが、両手を頭の後ろに組みながら洞窟へと入っていく。


「クソが……」

 覚束ない足取りで続いて俺も入っていった。

 先に入ったポンタが、流れるように魔法陣を展開し、電撃をうって焚き火をつける。

 燃える火は、パチパチと音をたてながら周囲を照らし、暖めていった。


「それで~。その『リンゴ』は美味いのかー?」


 勢いよく腰を下ろしながら、ポンタに質問される。

 ふらふらの俺は開けた場所についた直後、りんごを地面に置いて、焚き火を挟んだポンタの向かいへ倒れこんだ。


「……おん、美味いでぇー……」

「なら、早く食べようぜー」

「あの……ちょっと休憩させてくれませんかねー」

「ホントに弱いなぁー、お前はー。あれぐらいで疲れるかー? フツー」

「ほぉ……言うてくれるのぉ……」


 今日は何だかポンタにバカにされすぎている気がする。

 確かな理由はないがそれが癪で、許せなかった。

 俺はふらふらのままゆっくりと立ち上がり、入口に置いたりんごをとり、再び定位置に戻る。

 左手に青白い粒子を集め、剣を顕現させ一度焚き火で剣先を炙ってから、りんごに振りかざす。

 約0.5秒の誤差の後、りんごが6等分される。

 疲労のせいでかなり狙いはぶれてしまったが、実がそもそも大きいのだから、気にする事はない。

 6等分されたもののうち、少し小ぶりなものを手に取り、ポンタに差しだす。


「ほい」

「おいー、それ小さいだろー?」

「切ったったんやから感謝せぇ!」

「はぁ……まぁいいよー」


 ポンタに渡したのち、俺は中でも大きいサイズのリンゴを手に持つ。

 彼女は相変わらずふて腐れた表情を浮かべるが、それを口に運んだ途端、目を大きく見開いて輝かせた。


「な、なんだこれ! 今まで食べたことのない味だぁー!」

「ほうですかー、良かったっすねー」

 

 欠片の半分を食べ終わった彼女は、耳をピクピク動かしながら頬の筋肉を垂らしていた。

 こんなにうれしそうな顔を見るのは、初めてかもしれない。

 俺も彼女に続いて、「いただきます」と独りで唱えたあと、一口かじる。

 

「……っ!?」


 思わず口を塞いだ。

 美味うますぎる。

 そのあまり、今までの疲労が吹き飛ぶぐらいだ。

 口に広がるは、リンゴの酸味と蜂蜜と勘違いするほどの濃厚な甘み。鼻腔を抜けるその香りは、今まで食べたどのりんごにもない芳醇なものだった。

 昔、ことのの実家で高級リンゴを食べさせてもらったことを思いだす。あのときのリンゴの甘みにも引けをとらないおいしさだ。

 しかも、このリンゴらしきもの──というか、もうリンゴでいいだろう──は、メロンの1欠片と同じサイズの欠片。普段のリンゴよりもより豪快にかぶりつける。

 俺は手に取ったリンゴを口いっぱいに頬張り、一瞬にして平らげた。

 だが、まだ4つ残っている。目線を残りのリンゴの方へ向けると、もう残り2つになっていた。


「んん~っ……」


 犯人がポンタであるのは間違いないが、幸せそうな笑みを浮かべられると、咎める気が失せるというものだ。


「お前さぁ……めんどくさがりな癖に、食い意地はあるよな」

「はぁ? 何言ってんだー、お前ー。食わなきゃ死ぬだろー?」

「いや、そういうことやなくてなぁ……」


 俺は2つあるうちの片方をとると、ポンタは口を開けて悲しそうな顔を浮かべる。


「……お前もうめっちゃ食ってるやん。俺にも食わせろや」

「あ、いや……まぁ、確かになぁー……」


 とは言ったものの、彼女は顔をりんごから逸らしながら、目だけは離せていなかった。

 俺は大きく嘆息をつく。


「わぁった。残ってるそれあげるわ」

「え? いいのか!?」

「食いつきえぐいな……ええよ、お前リンゴ食べたことないんやろ? 俺はぼちぼちあるし、食べーや」

「なら、もらうぜー」


 ポンタはそう言って、最後のひとつを手に取り美味しく頬張る。

 

「……お前さ、せめて『ありがとう』ぐらい言おうや」

「……ん?」


 俺は再びため息をつく。

 思えば彼女は人間ではない。もしかすると、いや、そういった常識がないのかもしれない。


「感謝の言葉や。何かしてもらったら、『ありがとう』。悪いことをしたら『ごめん』。これは人間の中では常識や。お前にはなかった常識かもしれんけどな、それはできるようになってくれ」

 ポンタは頬張りながら、顔をしかめる。


「感謝か……確かに、前にも同じこと言われたなぁ……」


 ポンタは口腔の物を飲みこんで、俺と目を合わせた。


「ありがとな、リクト……これで、いいのか?」

「おん、上出来や……にしても、食い意地張りすぎな、お前」

「だから、食わなきゃ死ぬだろー」


 俺とポンタは互いに吹き出し、笑いあった。

 少し肌寒い空間も、何だか温かい気がした。

 落ち着いたところで、俺は携帯を見る。時間は10:37と表示されていた。


「今日はだいぶ探し回ったし。明日、やるかぁ『ディボエラ』と」

 俺は欠伸して、寝転がりながらそう呟く。


「あー、そいえば言ってたなぁ。そんなにやりたいのかー? あいつと」


 リンゴを頬張るポンタに、そう問いかけられる。


「当たり前やん。あいつに勝てな、俺は前に進めへん!」

「そうかー、しんどい生き方してんなー」

「うるせぇ。ってことで、俺は寝るわー。おやすみー」

「はいよー。じゃあ、オレはでもしてこようかなー」

「は? おい、ちょい待て」


 俺はポンタの言葉で、体をすぐ起こす。


「んー?」

「今、水浴びって言うた?」

「あぁ。そろそろ水浴びしたいからなー。夜ならほかのヤツと会うことも少ないし、今ぐらいしかないんだよなー」


 俺は無言で立ち上がった。

 この世界に来てからというもの、体を洗うということをやっていなかった。正確にはできなかったと言っていいだろう。

 まず、そこまで頭が回らなかったのもあるが、なによりそんな場所どこにもなかったのだ。

 それに今日の活動で、非常に汗をかいた。『水浴び』というワードを聞いてから、体がベトベトして気持ちわるい。

 俺は姿勢を正し、深く頭を下げて大きな声で叫んだ。


「ポンタ先輩! 俺も一緒に同行させてもらってええですかっ!?」

「あー、うるさいなぁ。なんだよいきなり……別にいいけど、お前のペースに合わせたら遠いぞ? いいのかそれでもー」

「はいっ! ご迷惑おかけしないよう、全力尽くすんで! オネシャス!!!」

「……なんだよ気持ちわるいなぁー。じゃあいくぞー」


 ポンタは気にせず、洞穴の外へと向かっていった。


「ありがとうございますっ! 一生ついていきやすっ!」


 俺は媚びを売るように彼女の後を追った。


「……『ありがとう』か、なるほどな。確かにいいもんかもなー」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る