07 その記憶消して下さい(2)
「失礼いたします。冒険者のセルジュ様でしょうか?」
ふたりがプラプラしていると声をかける者がいる。身なりは平民のなりだが物腰は騎士のそれである。
「セルジュはオレだが」
騎士らしき者はセルジュの顔を見るとぱっと顔を赤らめた。
ローブの中には、緩くウェーブした水色の髪の、女にも見紛う綺麗な顔があった。体つきも華奢である。騎士は固まってしまった。
「おい」
「あーあ、相変わらずだな、セルジュよ」
後ろから若い男が声をかけて、騎士の硬直は解かれた。
「お前、帝国のやんちゃ坊主──」
「待て、馬車に行こう。話はそれからだ」
帝国のやんちゃ坊主らしき男は、慌ててセルジュを止めた。
若い男は、二人を無紋の立派な馬車に案内した。まだ学生くらいに見える男は、黒髪に黒い瞳、浅黒い肌の非常に美しい男だ。セルジュとユーディトを前に嬉しそうな顔をしている。
「こちらの御婦人は?」
「オレの嫁だ」
腰まで届く長い金色の髪に、ちょっと猫目の緑色の瞳の美しい女性であった。
「へえ、ほお」としばらくユーディトを見た男は聞く。
「蕁麻疹治ったのか?」
「治ってないぞ。こいつだけ大丈夫なんだ」
「あら、それだけで結婚したんじゃありませんわよ。私達、愛し合っているのよ」
ユーディトが渡さないとばかりにセルジュを抱込んで、男を睨む。
「オレの嫁、ユーディトだ。こいつは帝国の皇太子イェドリク・イシュトヴァーン」
「覚えにくい名前ね、イェドリク殿下。私、魔女のユーディトですわ」
「何と、あの黄金の魔女を落としたのか。いや、これは失礼した。私はイェドリク、今はこちらの学園に留学しているのだ」
「へえ、ほお」とセルジュがやり返している。
「コホン」と咳払いして、イェドリクが聞く。
「いや、お前らそこのドルレアン公爵邸から出て来なかったか?」
「あーら、ほお」
今度はユーディトがまねをする。にっこり笑って続けた。
「エメリーヌ様は、今お心が空っぽなのです。ひたひたと満たして差し上げるには、今をおいてありませんわ」
ユーディトの悪戯っぽい笑顔。
「そうか、分かった」
黒髪の皇太子はニヤリと笑う。
「なるほど、黄金の魔女は素晴らしい。私からもお礼をしよう。これは祝いもかねてだ、セルジュ良い嫁を娶ったな」
皇太子はずっしりと重い金貨袋を差し出したのだ。
「またな」と言って皇太子とセルジュは別れた。実にあっさりしたものであった。
ユーディトは金貨袋を手に、もっとほくほくになって、セルジュとふたり王都の街を豪勢に観光して帰った。
***
さて、エメリーヌは王太子の事を忘れてしまったので、もちろん王宮での王太子妃教育にも行かない。
次の日、のんびり学園に向かった。
学園の車止めで見も知らぬ男がいたが、知らない男なので無視した。何か言っているようだが、知らない男と話す気はない。男の側にピンクの髪の女がいる。
男が頭に来て、エメリーヌの肩を持って引き留めようとした。
「何をなさいますの!」
エメリーヌは鋭く咎めて、男の手を振り払った。キッと睨みつけて言う。
「何処のどなたかは存じませぬが、無礼な振る舞いはおやめくださいませ」
そしてツンと顔を逸らせると、さっさと行ってしまった。
王太子クロードとその恋人ファニーはあっけに取られて見送った。
エメリーヌの取り巻き達はびっくりしたが、日頃の鬱憤が溜まっていたため、痛快であったので口々に褒めた。
「さすがエメリーヌ様ですわ」
「キリリとしてかっこよかったですわ」
「でも、殿下にあんな事をして大丈夫でしょうか?」
令嬢のひとりが心配する。
「わたくし、あのような方は存じませんもの」
その時は、令嬢方は冗談か何かだと思った。
しかし、エメリーヌの態度は変わらなかった。
クロード殿下は徹底的に無視された。そればかりでなく、なんとエメリーヌは恋をしたのだ。
相手は同学年の留学生。帝国の皇太子イェドリク・イシュトヴァーンだった。
彼は黒い髪、黒い瞳に浅黒い肌の非常に美しい男だった。しなやかな動きでいつの間にかエメリーヌの側にいる。
低い声で「やっと私の方を向いてくれたね」と嬉しそうに囁く。
「わたくしはヤキモチ焼きなの。浮気なんかされたくありませんの」
「君だけだよ、エメリーヌ。可愛い天使」
とても甘い言葉を惜しげもなく紡ぐ。
そこに王太子が邪魔をしに来た。
「エメリーヌ! 僕という婚約者がありながら」
「わたくしあなたを知りませんわ。それに、公序良俗に反するようなことは、何もいたしておりません」
「そうだよ。私達は今の所、仲の良いオトモダチなんだ」
ニヤリと笑うイェドリク皇太子はとても腹黒そうであったが、エメリーヌはそんな彼が好ましい。
「許せん! きさまは婚約破棄だ」
思わず口走った王太子に、エメリーヌは嬉しそうに笑った。
「あら、あなたと婚約した覚えはありませんが、何だかそんな話は聞いたような気がしますわ。じゃあそういう事で」
エメリーヌはイェドリク殿下とさっさと行ってしまった。
「どういう事なんだ?」
「殿下ー!」
キョトンとしたクロード殿下の腕に、ファニーが嬉しそうにぶら下がる。
「やっと婚約破棄して下さったのね。私、嬉しい!」
「え? いや、どうなっているんだ?」
公爵家の屋敷にイェドリク殿下を伴って帰って来たエメリーヌは、父ドルレアン公爵にイェドリク殿下を紹介した。
ドルレアン公爵はクロード殿下の娘に対する仕打ちを知っていて、内心苦々しく思っていた。婚約破棄の後、すぐにイェドリク殿下に求婚されたと嬉しそうに告げる愛娘にほおが緩む。
ちょっと婚家が遠いがと思っていると、イェドリク殿下が言い出した。
「この前、この国の黄金の魔女が転移の魔法陣を作ってくれてな」
「あら、あの方は素晴らしい方ですわ」
エメリーヌが嬉しそうに言う。イェドリク殿下がその肩を抱き寄せて聞く。
「そうか、こちらの国に設置したいと思っているのだが」
「それはぜひ我が領地に。王都から近いうえ、風光明媚で観光地もたくさんあり、港もあり交通の要衝でありますぞ」
「なるほどそれは良い」
もはや王家そっちのけで話がまとまりつつあった。
***
ミュンデ伯領の領都のギルドにクロード王太子は来ていた。
「それで黄金の魔女はどこに居るのだ」
ギルドの職員タデウスは、応接室で王太子を相手に頬を掻いてため息を吐いた。
「魔女のユーディトは旦那のセルジュと一緒に、海外に行っているのです。依頼がありまして、セルジュにも、ユーディトにも」
「いつ帰るんだ?」
「それが、新婚でしばらく仕事を休んでいたものだから、向こうの討伐が溜まっていて、こっちの依頼も溜まっていて、いつ頃になるか分かりません」
「エメリーヌの記憶を返してくれ!」
「私におっしゃられても」
タデウスが憮然とした表情で返す。
その時、応接室のドアを開けてファニーが入って来た。ギルド職員が止めたようだが聞きはしない。
「殿下、こんな所に」
「ファニーか、もう君とは付き合わない」
「私と別れてもダメですよ。エメリーヌには帝国の皇太子がいるんですからね」
「ええい、うるさい」
クロード王太子とファニーは、ギルドの応接室で喧嘩を始めてしまい、とうとうタデウスに追い出されてしまった。
その後、王太子とその恋人がどうなったのか、他国の依頼をこなす傍ら新婚旅行を楽しんでいるセルジュとユーディトは全く知らない。
三話 終
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