08 チューリップが教えてくれる(1)
ドルレアン公爵令嬢から紹介されて行ったその家は街の外れにあった。メイドが玄関ドアをノックすると非常に美しい水色の髪の中背の男が現れた。
メイドは男を見て呆けたようになって、公爵令嬢から頂いた紹介状を男に両手で差し出したまま固まった。
「失礼しました。こちらに黄金の魔女様がいらっしゃるとドルレアン公爵令嬢エメリーヌ様に教えていただき参りました」
アニエスはメイドの無調法を詫びて用件を伝えた。
「わたくしはアニエス・ド・ヴォークレソンと申します」
「はい、どうぞ」
男はぶっきらぼうに言ってドアを開いた。
通された応接室はこじんまりとしていたが明かるい光に溢れていた。花とハーブの匂いが漂っていて、部屋にはたくさんの乾燥植物が吊り下げられたり、花瓶に活けられている。
そして、目の前に黄金の魔女がいた。黄金の魔女は美人だとエメリーヌ様に聞いていたけれど本当に驚いた。緩やかに波うつ美しい金の髪。ややつり気味の緑の瞳は猫の瞳のように好奇心に満ちている。
魔女は気まぐれだと聞く。興味を持ってもらえたのだろうかと、かすかな希望を抱いた。
魔女ユーディトに促されて願いを口に出す。
「私は婚約破棄されたのです。もう一度、時間を巻き戻って、人生をやり直したいのです」
しかし、ユーディトの返事はつれないものであった。
「無理ですわ、時間は巻き戻せませんの。たくさんある別の世界に行くだけですわ。そこに居る方々は似ていても別の世界の方ですの」
アニエスは唇を噛んで俯く。
「違う世界の方とやり直したいのなら、そちらにお送りしますわ」
「もう一度考えてみます」
緩く首を横に振って答えた。
ユーディトはアニエスをじっと見ていたが聞いた。
「どう言う理由で婚約破棄されたかお伺いしてもよろしくて?」
アニエスは少しためらったが、折角聞いてくれたのだ、覚悟を決めて立ち上がり羽織っていたローブを脱ぎ落す。
「ご覧になって」
アニエスは愛らしい顔をしていて、すっきりとスレンダーな身体つきをしていた。その身体は妖精を思わせる。
「胸が無いんですの。世間では扁平胸と言うそうですわ」
成程、ドレスで隠されている胸元を寛げて押さえてみせると、そこには非常につつましい、在るか無きかのふくらみのようなものと胸のぽっちが透けて見えた。
「婚約者はお前は女ではない、騙されたと怒って……、婚約がダメになって……」
アニエスの唇が震える。今にも泣きだしそうであった。
魔女ユーディトはフムフムと頷いた。
「あなたはとても大変な目に遇ったのね」
水色の髪の男がお茶を入れてくれる。柑橘系の香りがして気分が少し落ち着いた。
「世の人の半分は男ですわ」
ユーディトはきっぱりと言う。
「人の姿かたちは様々です。中身も様々です。胸の大きさも様々ですし、男の好みも様々です」
それは分かるけれど。
「胸の大きさも好みがあるの、大きな胸が好きでない方もいるのよ」
「でも、そんな方がどこに居らっしゃるのでしょう」
彼女がそう聞くとユーディトはにんまり笑った。
「無いものはどうしようもないけれど、在るものだったら表せますわ。お薬を差し上げましょう。そうね、あなたの容姿が相手の方の好みに合えば頭に花が咲くのはいかが? どんなお花がお好きかしら」
「チューリップが好きです、ピンクの……」
「まあ可愛らしい」
ユーディトはしばらく別の部屋で作業をしてから戻って来た。
「そう、夜会の前に飲んで下さる? 二時間ほど効くようにしました。そうね、ラッキーセブンで行きましょう」
小さな瓶をアニエスに渡した。瓶には錠剤が七つ入っている。
「きっと、あなたの男にお会いになれますわ」
そう言ってにっこりと魅惑的な微笑を浮かべて隣を見る。それでこの魔女のお相手はその横にいる水色の髪の綺麗な男だと分かった。
男がにこりと笑う。とても綺麗な幸せそうな笑顔だ。
(私にもそんな方が現れるだろうか)
アニエスはそんなことを考えながら、瓶を手に持って魔女の家をあとにした。
⚘ ⚘ ⚘
魔女に貰った薬を持って帰った。心配して待っていたヴォークレソン伯爵家の家族に説明すると、早速出席できる夜会の中から手頃なものを両親が見繕って準備を整えてくれた。
夜会に行く前に薬を飲んでみた。ドレスを着て家族の前に出ると、父のヴォークレソン伯爵と弟の頭にピンクのチューリップの花が咲いている。
「まあ」
お母様はスレンダーな方でお父様はそれが好きなのね。弟も親に似てスレンダーな人がいいのかしら。アニエスはとても微笑ましい気持ちで家族を見た。
しかし、夜会会場ではそうもいかない。
「まあ、アニエス様よ」
「この前、婚約を破棄された」
「何でもあの方、扁平なのだそうよ」
「んまあ」
「クスクス」
夜会に出席すると心無い噂をされる。傷ついた心が更に抉られる様な気がする。
頭に花をつけた方はいらっしゃったが、結婚している方とか、恋人がいらっしゃる方ばかりであった。
(私のお相手はいらっしゃらないのかしら)
アニエスはがっかりしてしまった。
⚘ ⚘ ⚘
ヴォークレソン伯爵の領地は王都から割と近い。アニエスは暫らく社交を休んで、父親の手伝いをして領地の農園で過ごした。
「お父様、こちらには何を植えられますの?」
「ここには食べられる花を植えようと思ってね」
「まあ素敵ね。私お父様のお手伝いをしてずっとこちらに居ようかしら」
「そうだな。魔女様から頂いた薬はまだあるのか」
「はい」
夜会に出たのは二度ほどだったが、すでに心が打ち砕かれている。後一度だけ、それで見つからなければもう止めようとアニエスは思った。
王都に戻ったアニエスは王家の夜会に出席した。エスコートは弟に頼んでいる。
「姉上、大丈夫ですか」
頭にチューリップを付けた弟が心配する。
「ええ、大丈夫よ。お薬を飲んだし探してみて、いらっしゃらなければ帰るわ」
弟は頷いて自分の友人たちの方に行く。
弟の後姿を見送ってアニエスは目立たない壁際に移動した。カーテンの側に隠れるようにして会場を覗き見る。王宮の夜会会場のホールはとても広くて、入り組んでテラスやベランダも沢山ある。人も多かった。
その時チラリとピンクのチューリップが見えたような気がした。そちらを向くと沢山の人の間に見える。かなり向こう、テラスの方にいらっしゃる。アニエスより少し年上でご一緒の女性はいらっしゃらないようだ。
もっとよく見ようとテラスの方に行ってみた。
しかしテラスの辺りにはピンクのチューリップは見当たらなかった。
見間違いだったのだろうか。アニエスは肩を落とした。
「アニエスじゃないか、こんな所で何をしているんだ」
後ろから男に呼び止められる。アニエスを婚約破棄した侯爵令息のヴィクトル・ド・オリエールであった。彼が腕にぶら下げているのは肉感的な子爵令嬢のマルティーヌ・ド・ポラストロンだ。胸は豊満で腰はきゅっと締まり大きなお尻が続く。どこもかしこもポヨンポヨンとして柔らかくて手触りが良さそうだ。
アニエスとは正反対のご令嬢であった。
「お前にはがっかりした。本当に詐欺ではないか、お前みたいな扁平胸の女は、男色の男にでも嫁くしかないか」
「まあ、おほほ……」
ヴィクトルが嘲笑う。隣のマルティーヌも一緒になって嗤う。
だがアニエスはヴィクトルの言いざまに腹が立った。
「そんなこと、私に対しても、男色の方に対しても失礼ではありませんか」
初めて侯爵令息ヴィクトルに歯向かってしまった。
「ウルサイ、お前みたいな男女、その折角のドレスが泣いていよう」
「ドレスは関係ございません」
「そうだな、お前にドレスは関係ない。さっさとそのドレスを脱いで男か女かはっきりさせて、間違いが起きないようにした方が良い。さあ皆」
ヴィクトルの合図で何人かの男が寄って来た。アニエスの腕をつかまえてどこかの部屋に引き摺ろうとする。
「酷い! 何をなさるの!」
アニエスは驚いて男の手を振り解いて抵抗しようとした。しかし、自分より力の強い男どもが何人もいては勝てる訳もない。ズルズルと引き摺られる。
「止めて!」
「君達、止めなさい。レディにそんなことは失礼だよ」
その時、背の高い男が男達からアニエスを引き剥がした。
「そんな男女がレディであるものか!」
ヴィクトルの罵声が響く。
「君、早く行きなさい」
男に急かされてアニエスはその場から走って逃げた。
涙があふれて前が見えない。走れなくなって柱に寄りかかる。
「あなた大丈夫?」
声をかけられて顔を上げた。立派な中年のご婦人が心配そうにアニエスを見ている。アニエスはハンカチを取り出して慌てて顔を拭いて頭を下げた。
「はい、大丈夫でございます。ご親切にありがとうございます」
「そう、お連れの方は?」
「弟が一緒ですけれど、私は先に帰ることにしておりますので」
「そうですの、じゃあお気をつけてね」
「はい、ありがとうございました」
アニエスが挨拶をすると、ご婦人は迎えに来た髭の立派な男性と行ってしまった。その男性の頭にピンクのチューリップが揺れているのを見て、苦い笑いが込み上げる。ため息を吐いて歩き出した。
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