09 チューリップが教えてくれる(2)
アニエスは領地に帰るヴォークレソン伯と一緒に帰った。
「ここの世話をするかい?」
「はい、お父様」
以前父に聞いた食べられる花はナスタチウムといって、丈夫で夏から秋まで涼しい場所だと赤やピンクや白い花が次々に咲く。
父が試験的に導入した畑の一角でせっせと世話をして、花や葉を収穫する。
「お父様、葉を乾燥してお茶にしてみました」
「ほう、香りがやわらかくて、ほんのり甘いお茶だ」
「他のお茶と混ぜるといいかもしれません。ケーキを焼いたので一緒に召し上がれ」
ヴォークレソン伯は、いそいそとお茶を入れチーズケーキを出す娘を目を細めて見る。こんな所で腐らせておくのは勿体ないと思うのは親の欲目だろうか。
「そういえば今度、花と野菜の品評会があって参加するんだ。お前も行かないかね」
「そうですわね、色々見てみたいですわ」
「じゃあ、一緒に行こうか。あの薬はまだあるのかい?」
「え」
「魔女様から頂いた薬だよ」
「まだありますわ」
「じゃあ、いろんな方がいらっしゃるから、その時に飲んで行きなさい」
「はい」
多分無駄だと思うけれど、チューリップは好きだから咲いていたら嬉しいかしら。
花と野菜の品評会は王都にある市場で開催する。
父と花の品評会に行って、大きなテントの中に並べられている色んな花を見た。
「この薔薇はとても綺麗だけれど食べられたらいいのにね。サラダに散らしたらとても美味しそうだわ」
「なるほど、美味しそうだね」
じっとピンクの薔薇を見ながらブツブツ呟いていたら返事があってビックリする。
彼女はその場を立ち去ろうとしたが、男が手を取って引き止めた。
「実は、君を探していた。私の話を聞いてくれないだろうか」
「いえ、でも……」
振り切ろうと男を見る。背の高い男だ。見上げると男の頭が見えた。花が咲いている。ピンクのチューリップの花だ。
アニエスはピンクの花を見て立ち止まってしまった。
男が真摯な表情で語りだす。
「その、この前の夜会で君たちの話を聞いてしまった」
「まあ、恥ずかしい」
この前の夜会とは元婚約者に罵られたあの日だろうか。誰かが助けてくれて逃げ出したのだった。アニエスは誰が助けてくれたのか知ろうともしなかった。あの時のお礼も言っていなかった。恥ずかしいのは誰だろう。
「いつぞやは助けて下さってありがとうございます。逃げてしまって──」
アニエスの謝罪を遮って男は言う。
「私は当たり前のことをしただけだよ。それより聞いてくれるね」
アニエスが頷くと男は語る。
「私には妻がいたが合わなくて、どこもかしこも肉感的な彼女を持て余していたら、妻は男と逃げたのだ。彼女とは離婚したが、酷い噂をたてられて社交界から遠ざかり、しばらく隣国に行っていた」
男の話が胸に突き刺さる。アニエスも酷い噂をされて社交も夜会も出なくなってしまった。
「最近帰国した所だ。かの国ではたくさんの花を育てて国外にも輸出している。私はこの国でも花を育てて売ればいいと思っているんだ」
アニエスはぼんやりと彼の頭に咲いたピンクの花を見ていた。
「チューリップが……」
「ああ、これかい?」
彼は頭に咲いた花ではなく胸ポケットに挿した花を見た。何とそこにも可愛らしいチューリップの花があったのだ。とても地味な赤とグリーンの色味だ。
「昔は物凄い高値を付けていたらしいが、今は普通の花だよ」
彼は胸ポケットから花を取って差し出す。
「可愛いレディに」
「まあ、ありがとうございます。私はチューリップがとても好きですの」
アニエスは貰った花と彼の頭で揺れている花を見た。
「私も好きだな、とても可愛い。君みたいだね」
少女のはにかんだ笑顔に彼の顔もニコリとなる。
「私はベルナール・ド・フォントネルという」
「まあ、フォントネル公爵様の──」
そういえばあのお髭の立派な方と奥方様は見たことがあった。
「失礼いたしました。私はアニエス・ド・ヴォークレソンと申します」
「ヴォークレソン伯の? アニエス嬢、よかったらあちらで話でも」
「はい」
ベルナールとは何度か会って話をして、やがてお互いの両親に紹介して婚約した。彼の両親のフォントネル公爵夫妻も喜んでくれた。
⚘ ⚘ ⚘
ある日、セルジュとユーディトの暮らす家に贈り物の荷物が届いた。
「アニエス嬢が婚約したそうだ。お礼に花を贈って来た」
「まあ、ガラスの容器に入っているわ」
ガラスの覆いのある植木鉢にはチューリップが植わっている。一緒に送られてきた箱には、手紙と一緒に割れないように厳重に包装された瓶がふたつ入っている。ふたり宛であったのでセルジュは手紙の封を切って読んだ。
「このガラスの入れ物だと新鮮なままで送れるそうだ。花は食べられるのか」
「チューリップには毒がありますのよ。普通は食べられませんわ」
「隣国では食用のチューリップの栽培をしていると書いてある。こっちは球根のシロップ漬けだ。ガラスの容器に植わっている方は花が食用になると書いてある」
手紙をユーディトに渡し、セルジュは瓶の蓋を開けて中身を無造作に口に放り込む。
「甘いぞ、食べるか?」
ユーディトが口を開けるとセルジュが口に入れる。
「んー、甘い」
どちらが甘いのやら、ふたりでのんびり花を観賞している午後であった。
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