【32+α話】枯れた花弁と咲く想い
人質にされていたミアは首尾よく救出できたのだが、一方でエリィを連れ去った賊を取り逃がしたのは痛手だった。
賊は周到な準備の末、馬を乗り継いで逃走したようだ。捕らえた者たちに尋問を重ね、エリィを攫ったのがクローヴィア公爵の手の者であることが明らかとなった。カインは、即座に団長ギルベルトのもとへ早馬を飛ばした。ギルベルトは今ごろ特務隊の騎士達とともに、クローヴィア公爵領の内情を探る任務に当たっているはずだ。
団長代理の役目を預かっているカインは、騎士団本部から離れることができない。祈るような心境で、カインは団長がエリィを救出してくれることを信じた――
*
エリィ救出に成功し、昏睡状態にあったエリィが無事に意識を取り戻したという知らせが騎士団本部に届いたのは、彼女が攫われてから2週間後の夜のこと。カインは執務室で、ギルベルトからの書簡を読んでいた。ギルベルト率いる特務隊がクローヴィア公爵邸でエリィを救出したのだと、書簡には記されている。
「……どうやら、これでひと段落のようだな」
カインは安堵の息を漏らしたが、気持ちは晴れない。団長の留守を預かっていながら、エリィを奪われるという大失態を犯してしまったのだから。
(やはり私は、ギルベルト団長の足元にも及ばない。私のように未熟な者に「お前は伸びる」と言ってくれた団長の期待を、裏切ってしまった。団長が本部に戻ったら、やはり私は責任を取って騎士団を辞するべきなのではないだろうか……)
カインのそんな気持ちを見越しているかのように、ギルベルトからの書簡には『今回の件について、カイン・ラドクリフ副団長には一切の責を問わない。今後も引き続き、騎士団を牽引するように』と記されていた。
『女々しい態度は、封印しておけ。もっと堂々と振る舞わなければ、他の騎士たちに示しがつかない』
前に言われたギルベルト団長の声が、カインの頭の中で響いた。
「……そうだ。私は団長代理として、ふさわしい立ち居振る舞いをしなければ。ギルベルト団長は、私が団長代理を勤め上げることを望んでおられる」
ならば団長代理にふさわしく、堂々と振る舞わなければ――自分自身にそう言い聞かせ、カインは執務室を出た。
*
カインは食堂に向かった。夕食をとっていた騎士たちに、明るい声で呼びかける。
「皆、良い知らせだ! エリィさんが無事救出された!!」
わぁ、と沸き返る騎士や雑役婦たちのなかに、幼い少女――ミアの姿もある。アンナ・ミア母子の保護と身柄確保を兼ねて、この2週間ずっと騎士団で暮らさせていたのだ。ミアはニコニコ笑ってカインに駆け寄り、嬉しそうな顔で尋ねた。
「カインさまー、『きゅうちゅつ』ってなにー? なんか、みんなすごく嬉しそうだね!」
「それは――」
カインが言葉を選んでいると、他の騎士が陽気な顔で割り込んできた。
「ミアちゃん、救出っていうのは、助けてあげることだ! お前さんもこの前、俺たちに救出されただろ?」
「そうだっけー? ミア、きゅうちゅつされたっけ? いつ?」
「覚えてないのかよ。まぁ、ミアちゃんはずっと寝てたもんなぁ。怖い目に遭わなくてよかったな!」
「うん。よく分かんないけど、なんか気がついたら『きしだん』にいたの! 毎日、みんなといっぱいお話できて楽しいよ? お掃除のお手伝いとかやると、おばちゃんたちがほめてくれるし!」
幼いミアは、騎士団の面々とすっかり馴染んでいるようだ。
「……ミアが騎士団で暮らすようになってから、ずいぶん長い時間が経ってしまったね。村が恋しいだろう?」
「ううん、だいじょうぶだよカインさま。ミアは毎日たのしいもん! お母さんも、おへやから出てきたらいいのにね!」
カインは膝をついて、ミアと同じ高さに視線を合わせた。
「お母さんは、今日も部屋に籠りっぱなしだったのか?」
「うん。すごく悲しそうな顔してるのー。ミアがしゃべっても、ちっとも笑ってくれないし……どうしたんだろ」
「そうか」
カインは立ち上がり、彼女の頭をそっと撫でた。
「私が、アンナに話をしてみるよ」
***
アンナがひとりで籠っていた部屋のドアを、誰かがノックした。
「………………どうぞ」
アンナは掠れた小さな声で、ドアに向かって呼びかける。入ってきたのは、カイン・ラドクリフだった。彼は心配そうな表情で、問いかけてきた。
「アンナ。今日も部屋から出なかったそうですね。独りぼっちでふさぎ込んでいたら、心を病んでしまいますよ?」
「どうしてですか……カイン様」
アンナは責めるような口調で訴えた。
「あたしは罪人なんですから、ちゃんと牢屋に入れてくださいよ! ……どうしてお部屋なんかを用意してくれるんですか? ミアに良くしてくれるのは、嬉しいです……でも、あたしはきちんと罰してください。食事もいりません。このまま死にたいくらいです」
「それは絶対に認められません」
カインの声は、穏やかだった。
「さきほど連絡が入りました。エリィさんは無事です」
「! 本当に……?」
アンナの顔に喜びの色が浮かんだが、カインの話を聞くうちに、再び表情が硬くなった。
「アンナ。あなたの処遇についても、団長からの手紙に書いてありました」
「…………はい」
目を固く閉じて、アンナは深くうつむいた。たとえエリィが無事だったとしても、エリィを攫った罪は消えない……だから自分は、どんな罰でも受けなければならない。
だが、カインの話は予想外の内容だった。
「あなたの身柄を自由にするようにと、ギルベルト・レナウ団長からの命令です」
「え?」
「エリィさんを誘拐したことに関しては、一切不問とのことでした。良かったですね」
「そんなはずがないでしょ……?」
「いいえ。団長命令です」
「おかしいです! ……あたしが仕出かしたのは、絶対に許されないことでしょ? きちんと、裁きを与えてください」
カインは柔らかく笑いながら、アンナをなだめるように言い足した。
「エリィさんが、あなたを自由にするようにと望んだそうです」
「…………エリィちゃんが?」
――こんなに酷いことをしたのに。どうしてあの子は、あたしを許してくれるんだろう?
アンナはその場にうずくまり、ごめん、ごめんよ、と泣きながら謝り続けていた。
アンナが落ち着いたころ、カインは彼女にそっと視線を合わせて話しかけた。
「あなたとミアは、これで自由の身ですね。明日の朝にでも、村まで送ります」
「……ありがとうございます、カイン様」
にこり。と小さく笑う彼に、アンナは何を言ったらいいかわからなかった。――命を救ってもらったのに、お礼の言葉のひとつさえまだ伝えていない。ミアのことも、何度も助けてもらったのに。こんなに、良くしてくれてるのに。
「アンナ。これからは何にも
「気持ち悪くなんか、」
アンナは言葉に詰まって、視線をさまよわせた。
「…………ひとつだけ、教えてくれますか。カイン様」
おずおずとそう尋ねると、彼は口元に小さな笑みを浮かべてうなずいてくれた。
「どうしてカイン様は、……あたしに何度も告白してくれたんですか」
「好きだからです。告白は、好きだから行うものです」
きっぱりと。当たり前のように彼は答えた。……やはりこの人はよく分からない。
「……カイン様は、あたしをからかうのが楽しいんですか? 騎士様が農婦を好きになるなんて、どう考えても普通じゃありません。信じられるわけないでしょう?」
「からかう……」
カインはがっかりしたような顔をして、首を振っていた。
「私は一度もからかっていません。本当の本気で、あなたに妻になってほしいと願っていました。アンナのどこが好きかと言われると、一番好きなのは、『母親なところ』です」
「……母親なところ?」
「はい。あなたがミアと一緒にいるときの、『母親の顔』を見ていると、私は胸が高鳴ります。飾り気のない態度も好きでし、表情も声も話し方も顔も好きです。「なぜ好きか」と問われても、それ以上は自分でもよくわかりません」
理論的でなくて、申し訳ない。――と、マジメ腐った顔で謝罪してくる彼を見て、アンナは思わず笑ってしまった。
「……物好きですね、カイン様。こんな汚らしい女に。しかも、あたしのほうが年上ですよ?」
「アンナは汚らしくないし、なぜ年上だとダメなのか理解できません。……もしかしてアンナは、私のような女々しい若造はお嫌いですか?」
カインの深刻そうな顔が、なんだか可愛らしく見えた。
「いえ、全然……死んだ亭主も年下だったし、ひ弱でしたよ。でも……副団長さまとあたしなんて、どう見ても不釣り合いでしょう?」
「私は貴族籍にはないため、身分の上では釣り合っています。世間からは「非常識」と揶揄されるかもしれませんが、法的な問題は見当たりません」
「本当にカイン様は、変わった方ですね……」
肩の力を抜いて笑いながら、アンナはポケットから枯葉のようなものを取り出した。カインがそれを見て、首をかしげる。
「それは……」
「カイン様にいただいた、ガーベラの花ですよ。花束はすぐミアに返させましたけど、少しだけ花びらが落ちていたんです。掃いて捨てようと思ってたのに、なんだか捨てられなくて。枯れてしおれた花びらを、未練がましく持っていたんです。……おかしいでしょ?」
目を見開いている彼に、アンナは気恥ずかしそうに笑いかけた。
「カイン様の花束を、今さらですけど……受け取ってもいいですか」
「――光栄です」
カインは彼女の手を取って、掌にそっとキスを落とした。
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番外中編、お読みいただきありがとうございました!
実はこの番外中編に出てくる【副団長カイン】【農婦アンナ】は、書籍版には出てきません!!!
彼らは【見習い騎士カイン】【雑役婦アンナ】という十代半ばの少年少女に生まれ変わりました……!!
ぜひぜひ、そのあたりの読み比べも楽しいかと思いますので、書籍版をお手に取っていただけますと幸いです。
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