【17.6話】平民になっても構わない

ギルベルトが『勘違い』でカインに決闘を申し込んだ日の夕方。ザクセンフォード辺境騎士団の本部基地に、4,5歳くらいの少女が訪ねてきた。身なりや振舞いからして、近くの村の子のようだ。


「お父さんいますかー?」


赤いガーベラの花束を抱えたその少女を見て、門番は首をかしげた。

「お父さん?」

「うん。このお花をお父さんに返してこいって、お母さんに言われたのー」

「へぇ……。なんか訳アリっぽいな」


赤いガーベラは、男が女に愛を伝えるときに贈る花だ。その花を母親が、子供を仲介して父親に突き返そうというのだから『訳アリ』なのは間違いないだろう。


「よし、わかった。おじちゃんが、お前さんの親父さんを呼んで来てやろう。親父さんの名前は、なんていうんだい?」

「カインさまですー」

「ん? ……カイン、様?」


父親に『様』づけとは、奇妙な話だ。しかも、カインというのはこの騎士団の副団長の名前では……?

「ミアのお父さんはね、『ふくだんちょう』のカインさまなんだよー?」


えっへん。と胸を張ってそう言った幼い少女を見つめながら、門番は「えぇえええ!?」と声を荒げた。


   ***


「………………はぁ」

その日の夜。

食堂の丸椅子に背中を丸めて座り込み、一人でやけ酒をあおっている男がいた――ザクセンフォード辺境騎士団の副団長、カイン・ラドクリフだ。


「はぁー……。……あぁああ」

死人のような顔色で、すがるように酒瓶を抱えて無茶苦茶な飲み方をしているカインを見かけて、団長のギルベルトは眉をひそめた。



「おい、カイン。……何をやっているんだ」

「やけ酒を飲んでおります」

「見ればわかる」

ギルベルトは溜息をつきながら、カインの向かいの椅子に腰を下ろした。


「おや、……団長も飲まれますか?」

「貰おうか。だが、お前はそろそろ止めておけ。そんな飲み方をしていると、明日の仕事に響くぞ」

「酒くらい自由に飲ませてください……ぁぁ」


うなだれてクヨクヨしているカインの姿は、まったく騎士らしくない。


「カイン、その女々しい態度はやめろ。俺の身に何かがあれば、お前が団長になるんだぞ? もっと堂々と振る舞わなければ、他の騎士たちに示しがつかない」

「はい……明日より精進いたします。はぁ……」

「今日の夕方、お前のが騎士団本部に来たらしいな。雑役婦たちが、お前の噂に花を咲かせて楽しそうに喋っていた」

「ぶはっ!!」


カインは、口に含んでいた酒を盛大に吹き出した。ギルベルトは身を逸らして飛沫をかわすと、カインをじろっと睨みつけた。


「……堂々としろ。みっともないぞ」

「だ、だだだ団長、誤解です。あの子の母親に花束を拒絶されたのは事実ですが、決して断じてあの子は私の隠し子などではありません……!!」

「分かっている」


へ? と戸惑うカインを見やって、ギルベルトは言葉を続けた。


「その『隠し子』は5歳だそうだが、お前が他領の騎士団からザクセンフォード辺境騎士団へと移籍してきたのは4年前だ。計算が合わない。……移籍前に父親になっていたのなら、俺は知らんが」


「父親になるような真似は一度もしていませんよ……。どういうわけだかあの子は私に懐いてくれて、父親と呼びたがるんです。……まぁ、あの子の母親は私を避けているのですけど」

「お前の想い人、『農婦のアンナ』とやらが既婚者だったとはな」

「……既婚者といっても、未亡人です。よこしまな想いを抱いたりはしていません」

「そうか。……いや、お前の私情に踏み入るつもりはない。俺は別件で、お前の話を聞きに来た」


言いながら、ギルベルトは一通の書簡をテーブルに置いた。


「今日の昼、お前の父親であるラドクリフ男爵から俺あてに届いた書簡だ。お前をザクセンフォード辺境騎士団から除隊させたいという内容だった」

「私の父が、そんな手紙を?」

カインは、これ以上ないくらい不愉快そうな顔をした。


「カイン・ラドクリフ。俺はお前から、除隊の希望など一度も聞いていない。お前は騎士団を去るつもりだったのか?」

「団長、私は騎士団を抜ける気などありません! 団長にお伝えしていなかったのは、父に従う気がなかったからです」


父は、いつも勝手に私の身の振り方を決めつけるから困ったものです――と、酔いが回ったカインは眉をしかめて毒づいた。


「父は私に縁談を押し付けてきました。騎士団を抜けてコニエ伯爵家の婿養子になるよう命じてきたのですが……従う気などありません。私はザクセンフォード辺境伯閣下の騎士として、生涯を送る所存です」

「お前は本当にそれでいいのか?」

ギルベルトが静かに問いかけると、カインは首を傾げた。


「……それでいいのか、とは?」

「こう言っては何だが、お前は男爵家の三男だろう? ほかの貴族に婿入りしない限りは、お前は貴族であり続けることができない。婿養子となればコニエ伯爵家の相続権が渡る訳だ。外交に強いコニエ伯爵家とのつながりを得るのは父君にとって利益が大きいのだろうが、お前にも悪い話ではないように聞こえる」


カインが騎士団に義理立てして出世の機会を逃すのであれば、それはギルベルトにとって不本意だ。手塩にかけて育てた部下カインが抜けるのは痛手だが、彼自身の人生を邪魔立てする権利はない――と、ギルベルトは考えている。


「平民で結構です」

カインは、きっぱりと答えた。

「ザクセンフォード辺境騎士団には、平民階級の騎士も多くおります。辺境伯閣下のご意向により騎士としての能力とこころざしのみを重んじ、出自は一切問わない――という騎士団の方針が、私は好きです。私は貴族令嬢とは結婚しません。平民として生きます」


「お前の腹が決まっているなら、それでいい」

お前が今後も騎士団を支えてくれるのならば、俺も助かる。――と呟くと、ギルベルトは酒瓶から酒をグラスに注いであおった。


「貴族から平民に落ちることを忌避する者も多いが、お前は好んで平民になるのか。……奇特だな」

淡々とした口調だが、ギルベルトがカインに寄せる視線は温かいものだった。


「団長は、私が平民であろうが貴族であろうが、お気になさらないでしょう?」

「当然だ。――俺自身が、だからな。家柄や血筋など、気にかけてみても仕方ない」


さらりと答えたギルベルトの声を聞いて、カインは驚いたような顔をした。


「……奴隷?」

「お前は知らなかったか? 俺は異民族奴隷との混血だ。敢えて言わなくても、瞳の色を見ればすぐ分かると思ったのだが」


言いながら、彼は自分の瞳を指さした。トパーズのような金色の瞳は、北の国境を越えた山岳地域に住まう異民族――ミゼレ人の特徴である。獣のような身体能力と特有の呪術を扱うミゼレ人は、この国では『蛮族』として蔑まれている。


「す、すみませんでした、団長。お話しにくいことを……私などのために」

「別に。隠す気もない話だ。……奴隷の子である俺に言わせれば、家柄も血筋も本当にくだらないモノだと思う。自分の意思と力だけで生き方を選んだり、欲しいものに手を伸ばしたり出来たらどんなに幸せだろう……しかし、現実はなかなか難しいな」


自嘲気味につぶやいて、ギルベルトは苦笑した。彼が欲しくてたまらない、愛しい人――エリーゼ・クローヴィアは高い身分と大聖女になりうる実力を持つ高貴な女性だ。だからどんなに近くにいても、身分不相応なギルベルトは、エリーゼを求めることができない。


「だが、もしも自由を選びうるなら、全力で自由に生きればいいじゃないか。お前にとっては身分を保証してくれる貴族の女より、のほうが価値があるんだろう?」


いきなり恋路の話題に振られて、カインは目を白黒させていた。


「だ、団長……、彼女のことは関係ありません……!」

「そうなのか?」


カインにとって実家と揉めるのは気苦労も多いのだろうが、縁談を断るのは自分の意思次第でなんとでもなる話だ。農婦との恋路だって、カインの努力次第では成就できるかもしれない。


「いろいろと前途多難なようだが。手に入れたいものがあるなら、せいぜい頑張ることだ。女々しい態度は封印しておけ」


慌てふためくカインを見て、ギルベルトは笑っていた。

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