【9】意外な来客

辺境騎士団団長であるギルベルトは、ザクセンフォード辺境伯の屋敷に呼ばれていた。


「よぉ、ギル。久しぶり。メライ大森林の魔獣調査、ご苦労さん」

執務机に着いて気安い口調でそう言ったのは、ユージーン・ザクセンフォード辺境伯――国内有数の軍事力を有し、北の国境を守る有力貴族だ。


ギルベルトは、主人であるユージーン・ザクセンフォード辺境伯に礼をした。

「ユージーン閣下。王都での御公務、お疲れ様でございました」

「あぁ、公務な……クソ面倒くさかったぜ」

気だるそうに生あくびをして緋色の髪を搔きながら、「……ねみぃな」と毒づいているユージーンは今年で35歳。だらしなくて頼りなさそうに見えるが、その実、ユージーンは頭の回転が異常に速い。『しごと』と『プライベート』で完全に態度を切り替えるタイプの人間である。


「公務っても今回は、王太子の結婚式だぜ? 王太子クソガキと頭悪そうな女が、チヤホヤされて調子乗っててさぁ。全然興味ねーよ、オレ」

「結婚式?」

ギルベルトは眉をひそめた。


「……王太子殿下は、ご結婚されたのですか」

「そーだよ。お前知らなかったっけ? 結婚相手が土壇場で変わったから、俺ら臣下はみーんなビックリよ」


結婚相手が変わった? ギルベルトは、表情もなく主人の話に耳を傾けた。


「クローヴィア家の長女エリーゼ嬢が死んだらしくて、次女のララ嬢が王太子妃になったんだ。ついでに大聖女も、ララ嬢が就任してた」


――エリーゼが亡くなった? 公爵家は、エリーゼを死んだことにしているのか? と、ギルベルトは疑問を胸に口をつぐんでいる。


「エリーゼ嬢の死因は事故らしいが……暗殺とかかもしれねぇよな。まぁ、オレら臣下には王家のご事情なんざ存じ上げねぇけどよ。あのララ嬢って女、絶対、頭空っぽだぜ? あんな女に、王太子妃が務まるのかねぇ……」

辺境伯は、不謹慎極まりない発言を吐き出し続けた。だが、この話題に飽きた様子で、身を乗り出して次の話題を切り出した。

「そんなことよりさ、ギル。……お前、女できただろ?」


にやりと笑って主人が唐突に言ってきたので、ギルベルトは眉間に深いしわを刻んだ。

「……閣下。不愉快です」

「ってことは、図星だな? お前、無表情ぶってるけど、何かソワソワしてるからすぐ分かった」

あはははは、と陽気に笑っている主人を、ギルベルトは無言で睨めつけていた。


「今までいろんな令嬢に言い寄られても、無視し続けてたお前がなぁ。……で、どこの女よ? 長年、親代わりでお前の面倒見てきた俺としては、かなり興味あるね」

「見当違いも甚だしい。俺のような醜悪な容姿の男に、好意を持つ女性がいると思いますか」

「醜悪な容姿ねぇ」


ユージーンはじろじろとギルベルトを眺めた。

「醜悪だと思ってるのはお前だけかもしれねぇよ? 魔狼に似てるのと、醜いかどうかは別の話だ。……実際、お前モテるじゃん」

「俺に言い寄る令嬢たちは、ただ辺境騎士団との繋がりを得たいのでしょう。俺の私情など、捨て置いていただきたい。俺は閣下の雑談の相手をしに来たわけではなく、メライ大森林で大量に発生している魔狼の調査報告のために来たのですが?」


「はいはい」

ギベルトの報告を聞きながら、ユージーンは(こいつもまだまだガキだねぇ……)とでも言いたげな顔でニヤついていた。


   ***


(……いつまでも病人気分でいる訳にはいかないわ)


ギルベルト様のお屋敷でかくまってもらって、1週間が過ぎた。私は今日、初めて客室から出てお屋敷を歩き回っている。ギルベルト様からも『屋敷から出なければ好きに過ごしていい』と許可をいただいておいた。


部屋に籠っているばかりでは、お役になんてたてるわけがない。……ともかく、できることを探さないと。どんな些細な雑用でも構わないから、あの方の役に立てることを。


ナイフで掻き切ってしまった髪も、肩の長さに切りそろえた。幼女みたいな髪型は少し恥ずかしいけれど、バラバラで乱れているより清潔感があるはずだ。


(これからどう生きたらいいか、まだ全然わからないけれど。ひとまず、ザクセンフォード辺境伯領について、きちんと勉強しておかなきゃ)


そう考えて、書庫室に向かった。辺境伯領の地理や歴史の知識を増やしておきたいと思ったからだ。知識は力になる……この先、もしもギルベルト様が私を必要としてくれたとき、何かの役に立つかもしれない。


時間が経つのも忘れて、日が暮れるまで書物を読み漁っていた。窓から差し込む日の光が夕焼け色になって文字が見えづらくなると、光魔法で手元に光を灯して読書を続けた。


「――お嬢様。失礼いたします」

背後から声を掛けられた。振り返ると、執事服を着た男性が礼をしていた。


「お食事の準備が整いました、お嬢様」

「ありがとうございます」


にこにこ笑う執事服の男性は、三十代半ばほど。でも、執事の方はもっと年配だったはずだけれど。……こちらは補佐の方なのかしら? 少し違和感を覚えたけれど、気にするほどのことでもないかと思い直した。


「……お食事はギルベルト様がいらした後でいただきたいです。待たせてもらっても、いいですか?」

「旦那様は急用で、今日はお戻りになりません。お嬢様にお食事をお召し上がりいただくよう、仰せつかっております」

「……そうなのですか」


執事服の男性に導かれるまま、私はダイニングへと通された。ひとりで食事をする最中、妙な視線を感じた――さきほどの執事服の男性が、こちらを監視し続けている。


(あの方、何者なのかしら……ちょっと怖いわ……)

心の奥の不安を顔に出さないようにしながら、私は食事を続けていた。その男性が紅茶のポットを持ってこちらに近づいてくる。

「お茶のお代わりはいかがでしょうか、お嬢様」

「…………頂戴します」


人当たりの良い笑顔で、男性は紅茶を注いでくれた――しかし、次の瞬間、

「……んん??」

と、男性が不思議そうに呻いて、私の顔を覗き込んできた。


「オレ、あんたの顔どっかで見たことある気がするなぁ……。どこで会ったんだろ?」

「な、なんですか、あなたは……!?」

「んーと……」

紅茶のポットを持ったまま、首をかしげて考え込んでいる男性。私は恐怖感を覚えて席を立ち、ダイニングから逃げ出そうとした。


そのとき。


「ユージーン閣下! 何をしてらっしゃるんですか!」

という怒鳴り声が響いた。険しい顔をしたギルベルト様が、ダイニングに踏み込んでくる。


「ギルベルト様!」

私は助けを求めるように、ギルベルト様に駆け寄った。

「……エリィ」

ユージーン閣下と呼ばれた執事服の男性は、びっくりした様子で叫んだ。

「エリィ? あぁ!! そうだよこのお嬢さん、クローヴィア公爵家のエリーゼ嬢じゃねぇか! ……てか、なんでギルの屋敷なんかにいるんだよ!」


いきなり正体を暴かれて、私は言葉を失っていた。ユージーン閣下? 私は、ようやくこの男性のことを思い出した。……ユージーン・ザクセンフォード辺境伯閣下だ。宮廷の晩餐会で数年前に一度だけ会ったことがある。


「ちょっと変装して、お前の女を見てやろうかと思ってたんだが。……とんでもない事になってやがる。……やべぇだろ、なんで拉致ってるんだよ!? そもそも、エリーゼ嬢は死んだんじゃなかったのか!?」


ザクセンフォード辺境伯は血相を変えて、ギルベルト様の胸ぐらを掴んでわめき散らした。ギルベルト様の方が長身だから、辺境伯がギルベルト様を見上げるような形だ。


「説明しやがれ、ギル! クローヴィア公爵家のエリーゼ嬢が、どうしてお前の屋敷にいるんだ!?」

ギルベルト様は、眉をしかめて黙り込んでいた。

「てめぇ! 黙秘とか絶対認めねぇぞ、おい! 訳わかんねぇよこの状況、王家にバレたらどうすんの!? 事と次第によってはオレの首まで飛ぶぞこれ!!」


顔色を赤くしたり青くしたりしながら、辺境伯は混乱しきっている様子だ。混乱していたのは、私も同じだった。ギルベルト様のもとでの暮らしが……ザクセンフォード辺境伯の乱入で、唐突に終わりを迎えてしまったのだから。


言い逃れなんてできない。これでおしまい……ギルベルト様にこれ以上ご迷惑をかけてはいけない。そう思った私は、2人の会話に割り込んだ。


「ザクセンフォード辺境伯閣下。どうか、レナウきょうをお咎めにならないでください」

辺境伯の前に進み出て、淑女の礼を執る。

「彼は私を救ってくれました。処罰を与えるべきは、私ひとりです」

ギルベルト様は、とっさに私の前に立った。

「閣下。これは俺の独断行動です。エリーゼ嬢に非はありません」


互いを庇い合おうとするような形になった私たちを眺めて、ザクセンフォード辺境伯はげんなりとしていた。

「は? ……なにこの悲恋モノの歌劇みたいな展開。オレ、悪役領主みたいな配役?」

頭を掻きむしりながら、辺境伯は私たちに言った。


「お前ら、ちゃんと説明しろ。……処遇とかを考えるのは、そのあとだ」


  ***


屋敷の応接室で、私は閣下とギルベルト様にすべてを打ち明けた。


「は? 王太子に婚約破棄された?」

ザクセンフォード辺境伯が、素っ頓狂な声を上げている。

「……はい。私の人格に欠陥があるため王太子妃として不適合だと、アルヴィン殿下はおっしゃっていました。私ではなく、次女のララを愛したいのだと」

「なんだそりゃ。あの王子、自由恋愛主義かよ! モダンだな……」


ザクセンフォード辺境伯は、奇抜な言い回しが好きらしい。数年前にお会いしたときには、標準的な振る舞いをしていたように思うけれど……


「けどよ。王太子妃ってのは、惚れた腫れたで選ばれるものじゃねぇだろ? 大聖女の資格をもって生まれた女が王太子妃になるはずだ……その資格があれば、平民でも異国人でも構わないって法律だよな? つまり、エリーゼ嬢は生まれつき「資格」ってやつを持っていたんだろ」


「……はい。その「資格」を、聖痕と言います」

私は、自分の左胸にそっと触れた。


「私は、左胸の肌に聖痕を宿して生まれました。……ですが、ある日突然その聖痕が消えてしまったのです。失われた聖痕は、なぜか妹のララに宿っていました」

「聖痕って、要するにアザだろ? 消えたり他人に移ったりするモノか?」

私は、返事に困って首を振った。

「……分かりません。でも、事実です」


「ホントに消えたのか? よし、オレがちょっと見てやるから、取りあえず脱いでみ」

と辺境伯が軽い口調で言いかけた瞬間、ギルベルト様が殺意を噴き上げた。

「…………閣下、お命を頂戴致したく存じます」

「怖ぇよ、ギル! 冗談、冗談だって」

騎士と主君の間柄であるはずだけれど、ギルベルト様とユージーン閣下はとても仲が良さそうだ。


「まぁ、いいや。ともかく分かった。エリーゼ嬢は聖痕を失くして大聖女兼、王太子妃から外された。で、聖痕を宿した妹君が、あんたの立場に取って代わった。一方のあんたは厄介払いされて追い出されたけど、道中の馬車が魔狼に襲われた。で、居合わせたギルに拾われて現在に至る……みたいな話で、合ってるか?」


私がうなずくと、辺境伯は深いため息をついていた。

「なんか色々、奇妙な話だな。まぁ、どうでもいいや。オレ、疲れたから帰るわ」

「…………え!?」

辺境伯は自分の肩をもみながら立ち上がり、早々に立ち去ろうとしていた。


「お帰りになる……のですか? 私の処遇は……?」

「放置でいいよ、オレ関係ねぇもん。知らないフリしとくから、上手いことやっとけ?」


はい?? と、私とギルベルト様は呆気にとられて辺境伯を見つめた。

「……いや、だってさ。もしエリーゼ嬢が王太子の正規婚約者で、ギルが無理やり奪ってきたなら大問題だと思ったんだよ。……王家と喧嘩するのイヤじゃん? でも、聞いた話だと色々違うみたいだから」


気怠げな態度で、話を続ける。


「要するに、エリーゼ嬢は王家とクローヴィア公爵家の両方から厄介払いされて、捨てられたわけだろ? 行方不明なのに、まともな捜索もされずに死亡扱いされたってことは、エリーゼ嬢は「捨てられたゴミ」みたいなもんだ。廃棄物の拾得は、この国じゃ違法でも何でもない。……だから、拾ったもん勝ちだ」


ギルベルト様が、低い声で呟いた。

「閣下。……正気ですか」

「オレは割といつも正気だよ? お前が拾った女なんだから、お前がきちんと面倒見てやれ。王太子と公爵家が、ゴミと宝石の区別も付かないような屑で幸運だったな」


皮肉っぽい口調でそう言うと、辺境伯はふらりと屋敷を出た。私たちも、辺境伯を追いかけるように外にでる。辺境伯は屋敷の前に停めていた馬車に乗り込んで、ニヤニヤしながら手を振っていた。


「……と言うことで、オレはまたギルに貸しを作った訳だ。せいぜいオレに感謝して、崇めたてまつれ。馬車馬のように働けよ、ギルベルト団長? それでは、さらば」


唖然としている私たちをその場に置いて、辺境伯の馬車は去っていった。嵐の去ったあとのような、静けさだけが残っている。


「……昔から、ああいう方なんだ。ユージーン閣下は」

長い沈黙のあと、疲れた様子でギルベルト様が呟いていた。


「ギルベルト様……」

私は不安を拭いきれず、彼を見上げた。


「私は、どうなるのでしょうか」

「閣下は君への不介入を決めた。……自由に生きろと仰せだ」


どういう意味かよく分からず、私は首を傾げた。

「つまり。王太子がエリィを捨てて死者扱いしたのだから、身分を伏せて暮らせば良いと」


「これからも、あなたの近くにいてよいのですか!?」

うっかり声を張り上げてしまい、恥ずかしくなった。

……私は、なんて厚かましい女なんだろう。ギルベルト様に迷惑ばかりかけているのに、「そばに居させてほしい」だなんて。


ギルベルト様はなぜか、返事に困った様子で息を詰まらせていた。

「エリィが拒まないのなら」

「……拒みません」

「ならば幸いだ」


やっぱりこの人は、優しい人だ。役立たずでお荷物みたいな私に、居場所を与えてくれるなんて。


彼はそっと、私の髪に触れた。

「髪を切ったのか?」

「えぇ、……子供みたいな髪型で、おかしいでしょう?」

「おかしくない。……よく似合っている」


今が夜でよかった、と私は心の底から思った。……真っ赤になってしまった顔を、見られずに済むのだから。


「屋敷に戻ろう、エリィ」


私は無言でうなずいて、彼に続いた。

……我ながら、愛想がない。嬉しすぎて、感謝の言葉が出てこなくなってしまったのだ。


もし私が感情表現の豊かな女性だったら……ギルベルト様に、きちんと感謝を伝えられるのに。

ふがいない自分に恥じらいつつ、彼と一緒に屋敷に入った。

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