【2】「お姉様の味方なんて、誰もいないんだから」

私は、自分の部屋のベッドで目を覚ました。


恐ろしい目に遭った気がする……でも、何があったか思い出せない。父の執務室に呼び出されて、王太子から婚約破棄を言い渡されたのは覚えているけれど……


「あら。目が覚めたのね、お姉さま」


唐突にララの声が響いた。彼女は、勝手に私のクローゼットを開けてドレスを物色していた。


「ララ……勝手に私の部屋に入って、何をしているのかしら」

私が低い声でそう尋ねても、ララはドレスを漁り続けていた。


「もうじきお姉さまのお部屋じゃなくなるわ。お姉さまは、この屋敷から出ていくんだもの!」

「私が屋敷を出る……?」

「そう。だって、お姉さまはんだもの。うふふ、可哀そうなお姉さま。片田舎のボロ屋敷で、ゆっくりご静養するのがお似合いね」


あはは、と軽やかにララは笑い出した。


「何を言ってるの、ララ。私は正常よ」

「いいえ。お姉さまは異常。聖痕を失くしたショックで、気が狂ってしまったんだもの。ついさっきのことなのに、もう忘れたの?」


そう言いながら、ララは自分のドレスの襟を解いて左の胸元をあらわにした――ララの鎖骨の少し下あたりの皮膚に、なぜか大聖女の聖痕が浮かんでいた。


「……聖痕!? なぜララに聖痕が……」

「さぁね。お姉さまの聖痕が消えたすぐあとに、なぜか私の胸に聖痕が宿ってたのよ? きっと聖痕も、お姉さまのことが嫌いだったんじゃないかしら」


――そんな。

私は、おそるおそる自分の左胸を確認してみた。


生まれたときから肌にあったはずの聖痕が。なぜか、消え失せていた。


 ***


そこから先は、あっという間。聖痕を失った私は大聖女内定者ではなくなり、同時に王太子との婚約が解消された。


父は「お前のような娘はクローヴィア公爵家の恥だ! 二度と顔も見たくない」と騒ぎ立て、領内の古い屋敷に私を追いやることを即決した。ララの言う通り、『精神療養』という名目だった……私は、精神を病んだことにされてしまったのだ。


私に拒否権なんてない。


どうして私の聖痕は、いきなり消えてしまったの? ――聖痕のことを考えようとすると、頭がぐちゃぐちゃになって吐き気がしてくる。


古い屋敷に向かう馬車の手配が済むまでの間、私は自室で軟禁状態にされた。義妹のララは、何度も何度も私の部屋を訪ねてくる。そして、自分がいかに王太子から溺愛されているか自慢し続けた。


「アルヴィンさまとの結婚式、楽しみだなぁ。アルヴィンさまもすごく喜んでくれていたわ! 冷たくてつまらない『氷の令嬢』じゃなくて、華やかな私を妻にできて嬉しいって」


「……その話は、さっきも聞いたわ。それよりもララ、大切なことを聞いてちょうだい。大聖女の仕事を少しでも理解しておかないと、これから大変よ」


大聖女になる資格を失くした私が、この国のためにできるせめてものこと。それは、少しでもララを教育して、大聖女としての務めを果たせるようにすることだ。


「まずは国内すべての聖女と聖騎士の、能力と魔力特性を把握すること。そして――」


私がララの手を取って、真剣に話を続けた。


「都市部に溜まった瘴気はすぐに発見できるけれど、森の奥に瘴気溜まりができるととても厄介よ。だから――」

「……ふっ」

ララはあざけるように、小さく息を吹き出した。

「みじめなエリーゼ。素直に泣いてくやしがればいいのに!」

吐き捨てるようにそう言うと、ララは私の部屋から出ていった。


   ***


屋敷を出るとき、父と義母が最後の言葉をかけてきた。


「お前には最後まで失望しっぱなしだったよ、エリーゼ。美しいのは見た目だけ。お前はいつも冷たくて強情で、妹やアルヴィン殿下を愛する努力さえしなかった」

「さようなら、エリーゼさん。あなたの氷みたいなお顔を二度と見ないで済むと思うと、とても嬉しいわ」


ふざけないで! と怒って叫びたいような衝動に駆られた。……でも、やめておく。感情をあらわにしたら、きっとこの人たちは勝ち誇ったような態度をとるから。この先の人生に絶望しか見出せそうもなかったけれど、クローヴィア家の彼らと今後会わずに済むのなら、追放も悪くないかもしれない。


だから私は、背筋を伸ばしてこう言った。

「ごきげんよう。お父様、お義母様」



出発の馬車に乗り込もうとした私を引き留めてきたのは、ララだった。


「あら、出発なのね、エリーゼ」

ララは私を「お姉さま」と呼ぶのをやめたらしい。かわいらしい顔に、ねっとりとした敵意を色濃く浮かべているララ。……私は、もう、あなたなんて見たくない。


「ララが見送りに来てくれるなんて、意外ね。もう二度と会うことはないと思っていたもの」

「あら。たまには会いに行ってあげるわよ? ……だって、見たいじゃない? 牢屋みたいなボロ屋敷に閉じ込められて、おばあちゃんになるまで独りぼっちで暮らすエリーゼの姿」


「あなたはこれから忙しくなるだろうから、わざわざ私を眺めに来なくてもいいわ。国母として大聖女として、あなたが国を導けるように祈っています」


そう答えた瞬間、彼女はイライラし始めた。

「……あんたってさぁ! ほんとエラそうだよね。お高くとまるのも大概にしたら?」


ララはいきなり距離を詰めて、私の耳にささやきかけた。

「――みじめな負け犬さん。あんたは、いつも堂々とふるまってるけどさ。本当はいつも、心の中で泣いてるんでしょ?」


ずきり。と。胸を貫かれたような衝撃を覚えて、私は戸惑う。

ララは勝ち誇ったように笑った。


「かわいそうなエリーゼ。あんたの味方なんて、この世に一人もいないのよ? どんなに清く正しく生きても、だーれも助けてくれないの。あんたは、独りぼっちなんだから」


私は、よろめきそうになった。

でも、ここで気弱な姿を見せたら、本当に負け犬になってしまう気がした。


「……ごきげんよう。ララ。お見送り有り難う」


かつり、かつりと一歩を踏みしめ、私は馬車に乗り込んだ。振り返らない、もう二度と、妹にも父母にも会いたくない。


馬車が走り出す。

独りぼっちの馬車のなか。私は、震えが止まらなくなっていた。

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