【書籍化】氷の公爵令嬢は魔狼騎士に甘やかに溶かされる【カクコン8受賞】
越智屋ノマ@魔狼騎士2重版
【1】婚約破棄と大聖女の証明
「エリーゼ・クローヴィア。君との婚約を破棄する」
王太子に一方的に宣告されて、私は微かに眉をひそめた。
ここは、私の父・クローヴィア公爵の執務室。部屋にいるのは王太子殿下と私、そして父の3人だけだ。殿下と父はいくつかの事業を共同で営むパートナーなので、殿下が執務室にいらっしゃるのは珍しいことではない。……とはいえ、急に呼びだされて『婚約破棄』だなんて予想外だった。
私は静かに淑女の礼をして、殿下に問いかけた。
「アルヴィン・ヴェルナーク殿下と私との婚約は、王命にて幼少時より定められていたものです。それを破棄とは、いかなるご事情でしょうか? 仔細の説明をお願い申し上げます」
「それだよ、エリーゼ。君のその取り澄ました態度が、不快でたまらないんだ。君には、人間的な温もりがない。色の薄い金髪も、冬空のような碧眼も、白磁の肌もすべて造り物めいている。君みたいな不気味な女を、妻にしたくない」
アルヴィン殿下は端正な顔立ちを不快そうに歪めて、銀灰色の髪を掻き上げる。言葉を失う私のことを、実父のダリウス=クローヴィア公爵が意地悪な顔で眺めていた。
「わかったか、エリーゼ? お前は不愛想で高慢だから、殿下に愛想を尽かされてしまったのさ。少しは反省したらどうだ?」
血のつながった父の言葉とは思えない。父が私を愛していないことくらい、昔から知っていたけれど……。無言になる私を見て、アルヴィン殿下は冷たく笑った。
「これだけ非難されても、涙のひとつも見せないとは恐れ入ったよ、エリーゼ。やはり君のように冷たい女は、王太子妃としてふさわしくない。僕に愛されるべきなのは、『彼女』のような女性だ。――おいで、ララ!」
アルヴィン殿下が声を投じると、義妹のララが晴れやかに笑って入室してきた。ララの後ろには、ララの実母――クローヴィア公爵夫人が控えている。
「アルヴィンさまぁ!」
ララは17歳だというのに、幼子のような態度で殿下に甘えて抱きついた。殿下は、ララの蜂蜜色の髪を愛おしそうに梳いている。
1歳年下の妹ララと私は、血のつながらない姉妹。私の母が亡くなった直後に、父は平民階級の女性と、連れ子のララを公爵家に迎えた。……どうやら私の母が生きていた頃から、父はララの母と深い関係にあったらしい。ララたち母娘を溺愛する一方で、父は常に私を冷遇し続けてきた。
「アルヴィンさま。本当にわたしをお妃さまにしてくれるの?」
「もちろんさ」
ララは愛らしい顔にとろけるような笑みを浮かべて、殿下の胸に抱かれている。そして彼女は、勝ち誇った目でちらちらと私を見ていた。
――なんなのかしら、この茶番は。
完全な孤立状態だったけれど。私の頭は、むしろ冷静になっていた。
「婚約破棄を受諾してくれ、エリーゼ。君のご両親も、僕とララの婚約を切望している」
「理解できません。私が王太子妃の座を辞退するのは構いませんが。しかし、私の『
私はアルヴィン殿下の婚約者であると同時に、『大聖女』となる運命が定められている。
左胸に聖痕を持って生まれた私は、大聖女内定者だ。この大陸では、各国家に数十年にひとりの頻度で聖痕持ちの女性が誕生する――女神アウラの代行者である『聖痕持ちの女性』は、各国家の大聖女として民を支えることが義務付けられているのだ。そしてこのヴェルナーク王国では、聖痕持ちの女性……つまり大聖女内定者は、王太子妃になる日に大聖女に就任するよう定められている。
「もちろん大聖女の座も、ララに譲ってもらうよ?」
「……っ!?」
私は、戸惑いを隠せなかった。
「何を言っているのです? 私の胸に宿ったこの聖痕を、殿下は無視するのですか。それに、大聖女は国の治安に関わる重要な職務です。お遊びで務まるものではありません!」
「なにを大げさな。大聖女なんて、ただのお飾りじゃないか。中央教会で祈りを捧げて、民の精神的な支えになるだけの簡単な仕事さ。魔獣討伐も瘴気の浄化も、実務はすべて下位の聖女たちが行っているんだから!」
アルヴィン殿下とクローヴィア家の家族たちは、声を立てて嘲笑していた。
「殿下、あなたは本気でそんなことを言っているのですか?」
どうやら、この人たちはとんでもない誤解をしているらしい。この国を支える大聖女の座は、絶対に私が守らなければ……
私は自分の左胸に手を当てた。この聖痕は、大聖女となる者の証。私の、たったひとつの存在意義。
「私は絶対に、大聖女の座をララには譲りません! 聖痕を宿した女が大聖女になり、王太子妃となる――それがこの国のルールです。アルヴィン殿下の一存で変えられるものではありません!」
「そう。その聖痕とやらのせいで、いろいろと面倒なんだ。だから、
――聖痕を、譲る? 肌に宿った聖痕を、どうやって他人に譲れというの?
でも、殿下たちは意味深な笑みを浮かべている。その沈黙が、怖かった。この人たちは、いったい何を考えているの? 恐怖に一歩後ずさった私のことを、唐突に父母が取り押さえた。
「な、なにをするんですか、放してください。お父様、お義母様!」
「暴れるなエリーゼ」
「そうよ、殿下の儀式が終わるまで、じっとしていなさい」
――儀式?
妹が、可憐な顔を狂気に染めて私の目の前に立った。
「お姉様の聖痕を、わたしに頂戴? いいでしょ? いつもなんでも、わたしに譲ってくれたんだから」
「何を言っているの!?」
妹は、私の襟に手を掛けた。そのまま強引に、私の胸元を開こうとする――
私は羞恥に身をよじろうとした。しかし、父母がそれを許さない。きつく両腕を抑え込まれ、身じろぎ出来なくされていた。
「何をするの、やめなさいララ!」
「お姉様って、こんなときでもエラそうなのね。……わぁ、ほんとに胸に、バラみたいな赤いアザがある。そのアザがなくなったら、お姉様ってどうなっちゃうのかなぁ……あはは。楽しみ! アルヴィンさまぁ、お願いします」
ララは一歩さがってアルヴィン殿下に声を掛けた。
素肌を晒された屈辱感と、何が起こるか分からない恐怖。常軌を逸した状況に、私はすっかり混乱していた。そして、殿下の手に不気味な短刀が握られているのを見て、さらに大きな恐怖に飲まれた。
「……っ、殿下!?」
殿下の手の中で、深紅の刃がぎらりと光る。アルヴィン殿下は嗤っていた。
「殺しはしないよ。ただの魔道具だ――古王家の墓地に遺されていた秘蔵文書を解読して再現した、僕のお手製の古代魔道具さ」
ひぅっ、と恐怖でひきつった私の喉に、殿下はぴたりと刃を突きつけた。
「この短刀は、邪狼の骨から削り出して、バジリスクの血を吸わせた研磨布で仕上げた物だ。大聖女の聖痕を奪い取り、ほかの女性に移譲することができるらしい。どうやら今も昔も、不適格な大聖女から聖痕を回収したいと願う人間がいたようだね……君には、実験台になってもらおう」
殿下はそのまま、すぅっと切っ先を胸元へと這わせていく。肌は裂かれなかったが、吐き気のするような濃密な魔力が魔道具から流れ出ているのが分かった。
――怖い。やめて。誰か、助けて。
いろんな言葉が喉の手前でぐるぐると渦巻くばかりで、一言の悲鳴も漏れなかった。抗いたくても抗えない。もし「助けて」と叫んでみても、絶対に誰も助けてくれない。
やがて『儀式』とやらが済んだらしく、アルヴィン殿下は短刀を私から離した。殿下の指示を受け、父母が私の戒めを解く――私はがくりと脱力して、その場にうずくまっていた。
「えぇ~、もうおしまいなの? このまま殺すのかと思ってたのに!」
無邪気な口調で残酷なセリフを口にする妹の声を、私は虚ろに聞いていた。
「これが、この短刀の正しい使い方なんだよ。さぁ、この短刀はララに預けよう。聖痕が君に完全に移動するまで数週間はかかるから、肌身離さず持っておくんだ」
「わぁ、嬉しい! アルヴィンさま大好き」
ララは、プレゼントを受け取ったみたいにはしゃいでいた。一方の私は、どんどん意識が暗く沈んで……姿勢を保っていられずに、そのまま床に倒れ込んだ。
「ララ。エリーゼから聖痕を奪ったことは、誰にも言ってはいけないよ? この技術は、古王家の秘蔵文書に遺された特別なもの。僕だけが解読に成功した、唯一無二の古代魔道具なんだ。……だから、父上も教会関係者もこの技術を知らない。もし口外すれば、僕らの身の破滅を招くことになる。分かったね?」
「はぁい! 絶対に内緒にしま~す」
「クローヴィア公爵、エリーゼの処分を頼む。古代魔道具の効果で『今の出来事』はすべて忘れてしまうから、命までは奪わなくても良いが。面倒事を避けるためにも、世間から遠ざけておいてくれ」
「かしこまりました。大聖女の力が
悪夢のような会話を聞きながら、私の意識は闇の中に沈んでいった……
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