第7話 その、夜
「吉祥寺にマンションなんて、すごいです!」
「そうでもないですよ。運がいいってだけですから」
金曜の夜。
私は新宿で会った女の子と二人、吉祥寺方面に向かう電車の中にいた。
時刻は夜の九時過ぎ。まだ車内に酔っ払いの数は多くない。車外に行けばいくらでも見つかるかもしれないが、彼らが電車の中での主役になるのはもう少し遅くなってからで、今は飲み会などをパスしてきたサラリーマンの舞台になっている。
その中では、女二人というのは目立たない端役でしかない。だから視線は集めない――というわけでもない。
今、隣にいる女の子はそれなりにかわいいが、そうではなく、そのファッションや大きなキャリーバッグで視線を集めている。どこの田舎から出てきたばかりのお上りさんか、という感じだが、彼女は生粋の埼玉県人であるらしい。
もちろん、ちょっと誘ったらほいほいと家に着いてくる――私が同性であることを差し引いても簡単だった――、その感性はまだ子供だからだろうが、あまりにも都会慣れしていないように感じるから、本当は田舎から衝動的に飛び出してきたのかもしれない。
気合の入ったメイクや服に、キャリーバッグ。
つまり、そういうことをしている女の子だろうと思ったが、私は別に綺麗で純粋でなければ価値がない、なんて思わない――好きになったのであれば、どんな経歴であろうと構わない。愛してしまえば、そんなものは些事に過ぎないからだ。
「憧れなんですよ、吉祥寺に住むって。簡単じゃないよね?」
すぐに敬語が崩れるのは、子供らしさの証明だ。メッセージアプリでは二十歳を越していると言っていたが、おそらくは十八歳程度だ。高校を卒業しているとは思うが、その後の人生は恵まれなかったからここにいる。あるいは、恵まれ過ぎているか、だ。
「ええ。でも、本当に私は運が良かっただけですよ」
「けど、その若さでってすごいよ! 私には、無理かなぁ……」
「そんなことないですよ。誰にだってチャンスは平等にあるものです。ほんの些細なきっかけで、人生なんて変わるものなんですから――あなたも、大丈夫ですよ」
真剣に、彼女の瞳を見て告げた。私は、偽り恋はしない。一瞬で消えるとしても、間違いなく本気の恋をしているから、声にも力がこもる。
それが、馬鹿な男たちの軽い声しか知らない女の子にはよく効く――と、ベッドの中で何度か聞かされた。私のことを本当に真剣に考えてくれたの、あなただけだよ、とかなんとか。その視界の狭さこそ、私が彼女らに恋をする理由だ。
広い世界を知っている相手では、私との一夜の関係の不毛さに気づいてしまう。言ってしまえば、私との関係はホストと客よりも浅いものでしかないのだ。私は本気だが、相手か、あるいは時間というものの前では、恋も愛も冷めるものでしかない。
達観しているようで、自分を笑いそうになるのをこらえる。どれだけ言葉を重ねてみても、私は性的に奔放な女でしかない。それに気づかれると、私は捨てられる。だから、一夜の関係しか選べないことは自覚している。
隣に座る少女は、あわよくば吉祥寺のマンションに住みつこうと思っているだろう。理解はできるが、許容はできない。私の家ではないのだから、それは当然だ。夫婦のものなら共有するべきと思うなら、それはいくらなんでも都合が良すぎる。夫婦といえども、明確な線引きは必要になる。
つまりそれが、損得勘定なのだろう。先生はその世界を生きているし、私も知らない間にそういう生き方をしている気がする。一夜の関係に必要な愛情よりも計算だ。
「でも、いいなぁ。吉祥寺だもん。あとね、下北沢とか、高円寺とか、阿佐ヶ谷とか――あと、全然違うけど、自由が丘とかいいよね。東京って素敵な街がたくさんあるもん」
「あなたの故郷は、素敵じゃなかったですか?」
「……うん」
たぶん、それが語りたいのだろうと、メッセージアプリを介した交流でも理解できた。だから私は話を聞くことにする。女の悪癖は、自分の話を誰だって聞いてくれる、と信じ込みやすいことだ。
「私の家はね、埼玉なんだけど、埼玉ってすごい田舎もあるのね、だから、そういう……なんて言うのかな、田舎っぽさがあちこちにあって、私、それがすごく嫌で――」
似たような話は何度か聞いている。誰も持っていない個性や過去なんてものは大抵の人間は手に入れられない。どこか似通った話になるし――今はSNSなんかで共感が得られたり、妄想の種をもらえるから、ある種の共同幻想が生まれてそれに憑りつかれる女の子というのは珍しいものではない。
あぁ、この子も、そういう子だ。
大好き。
私は訥々と語るその子を見る。自分がどれだけ無意味なことを語っているか、彼女はわかっていない。それは彼女の独自の感性から生まれた言葉ではなく、誰かの経験を自分の経験だと信じて――誰かの想いに雁字搦めにされているだけの、悲しい現実を語っているだけでしかない。
そんな狭い世界の住人になる。
その快楽を、先生は知っているだろうか――彼女らは私の存在を永遠に等しい時間、胸の内に記憶する。そうなるように、私は言葉と技術を身につけた。断言するが、これから私が彼女に与える以上の快楽を、この子はこの先の人生で感じることはない。
女だから、同じ女の快楽を知っている――なんていう、生易しいものではない。私は実際に女と関係を持ちながら、必死に学び取ってきた。女は、快楽を感じている演技が得意になるものである。その嘘を超えるだけの技術を持つ男は、そうはいない。
私は、あまり女とは関係を持たない。それは、面白くないからだ。どれだけ快楽を与えても、彼女らはその無意味さを知っている。知った上で、私と関係を持つ。金を引き出す分には彼女らを相手にするべきだが、誰かの心に残ろうと思えば、女は適切ではない。
だから私は、女の子を――少女を求める。年齢が二十五より下ならば、私の中では女の子になる。世の中を知らないで、女にならないでいられるのはそこまでだ。それより上になれば、現実と向き合うしかなくなる。たまに、四十を超えて女の子の感性に戻る手合いもいるが、それはただの堕落だ。
――なんてことを考えていると知られれば、私は軽蔑されるだろう。
だから誰にも言わないし、気付かせない。もしかしたら先生には見抜かれているかもしれないが、彼がそのことを指摘するメリットはない。だから、何もしない。であれば、私の本心は誰にも見抜かれない。
「そうですね」
少女の話がひと段落したところで、私は言った。
「あなたは、とても立派ですよ――綺麗です。だからこそ、あなたは辛い思いをしているんです。それはとても、悲しいこと……」
嘘は吐いていなかった。私は私なりに彼女の本心を重く受け止めていたし、その事実を忘れないだろう。
私は、私を誰かの心に残したい。だからこそ、私はその可能性のあるすべての彼女たちを心に残し続ける。もはや恋ではなくても、愛がなくても、絶対に忘れない――別に、それで私のやっていることが善になる、なんて思ってはいないのだが。そこまで楽天家でも、夢想家でもない。
少女は、はにかむように笑った。理解者を得た、とでも言うように。私は彼女を理解しているし、愛している――夜が明けるまでは。
私は悪い女なんだろう。だが、これが私で、私は私にしかなりたくないのだから、他に生きる道はなかった。
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