第4話 秋と冬の間で
季節は冬の手前だ。
だから、夕方になればだいぶ暗くなる。吉祥寺に限らないが、都内は端の方に行かない限りは、どこだろうといつだろうと灯りに溢れているからあまり実感は湧かないとしても、空の色は確かに陰りを見せている。
私と先生はそんな空を、喫茶店の店内から見ていた。窓際のテーブル席で二人、コーヒーを飲んでいる。
吉祥寺にある小さな喫茶店。そこは先生が小説のアイディアをまとめる時に利用していて、週に最低でも三度は訪れる店である。つまり、先生はこの店の常連というわけだ。
個人店でコーヒーの味がいいとはいえ、今日日、Wi-Fiが通っていない喫茶店では若者受けしないのではないか。私のそんな感想を裏切るように、店内は若者――と言っても私と同じくらいだろう――がそれなりにいる。
先生はアイスコーヒーを飲みながら、ノートにせっせと何か、書き込んでいる。私はといえば、次の休みに会う女の子とメッセージアプリでやり取りをしていた。家にいるくらいなら、お金をもらってワンナイトをする、という子は後を絶たないし、その相手が男よりも女であり、私のように顔がいい相手を選ぶ子はもっと多い。
そういう子は、上手く私に取り入ってマンションを常宿にしたがるきらいがあり、今相手をしている子もその類だ。吉祥寺のマンションで暮らしている、というステータスはそういう気持ちをくすぐることもある。
さて。と。私は考える。
先生の不評を買わずに、この子をうちに住まわせるとしたら、どうすればいいか――無意味な思考ではある。なぜって、私は暇潰し以上でそんなことを考えていないからだし、メッセージでは拒否するような文言しか送っていない。
先生に気を遣って、というのももちろんあるが、もっとシンプルに、私はたとえどれだけ好みの女の子であろうと、深い仲になりたくない。一夜を過ごす子はいくらでもいていいが、長い時間を共にするのは、先生のような無欲な人だけにしたい。
身勝手でわがままだと自覚はしているが、私はそれを期待させるようなことは一切していない。たまに、身体だけの関係――それこそ一時間もあれば満たされるような関係――ならどうかと言われることもあるが、それさえもあまり承諾しない。
だから、私を誰も愛せない人だと評する子たちもいた。否定はしないが、しかし私は、彼女らを本気で愛していた――その時間が、ひどく短いだけで。それゆえ情の薄い人だと言われることもあって、そうだろうと認めてはいる。
「先生、今度はどんな話を書くんですか?」
「読者じゃない君に言う理由はないよ」
先生は視線すら私に向けずに言った。まぁ実際、私は先生の本を読んだことがない。
「ついでに言えば、興味ないんだろう?」
「バレてましたか」
「加えて言えば、今メッセージを送っている相手にも、君は興味がない」
「失礼な。真剣ですよ」
「実際に会うまでは真剣にならないんだろう? そして会っても、半日もあればその熱は冷める」
「まぁ、そうですけど」
頷くしかない。が、返す。
「そういう先生だって、同じようなものでしょう――同じ穴の狢ですよ」
「俺は誰も愛さないから、違うと思うがね」
先生は勃起不全ではあるが、それとはまた別の理由で誰も愛さないらしい。夫婦ではあるが、そんな深い話をしたことがないのでまぁ私の予想でしかないが、こういう発言があるのだから的外れでもないのだと思う。
どうして誰も愛さないのか。聞いてもいい関係だろうが――偽装でも夫婦ではあるのだから――、私は何も聞かないことにした。結局、私たちの関係はその程度のものでしかない。相手のことを知ろうと思っても、遠慮が先に来る関係、とでもいうか。
先生はせっせとノートに様々な書き込みをしている。先生は字が綺麗だから、テーブルを挟んでいる私にも字の判別はできたが、内容はよくわからない。先生の作品を読んでいればわかるかもしれないが、今のところ、そんな気は生まれていない。
「私」
つぶやく。
「いつか先生の作品を読みますね」
「来るのか? そのいつかって」
「さぁ。思いついたんで言っただけです」
「ま、読者になるなら満足させてみせるよ。俺はどんな読者にも満足して本を閉じてもらえれば、それでいいからな」
先生の小説かとしてのキャリアは十年を超えている。専業作家として生きていけるのだから、その実力はそれなり以上なのだろうが、先生にとってはそんな評価はどうでもいいものであるらしい。
今、先生が口にしたこと。
それ以外は、先生にとってはどうでもいいことでしかない、と。そんな夫婦でなくてもわかるくらいのことしか知らない、そんな妻だ、私は。
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