第3話 最近のラーメンの重さについて語らない

 適当な店でランチを済ませて、私たちは吉祥寺の街を散歩していた。

 先生が、ぼやく。

「君は、ああいうラーメンが好きなんだな」

 ランチはラーメンだった。わりと濃厚系の。

「お嫌いですか?」

「でもないが。まぁ俺は、日昇軒のタンメンが世界で一番うまいラーメンだと思っているから、まぁ、苦手ではあるんだろうな」

「チェーン店ですよ、あそこ」

「昔、金がない時な。たまに食うあのタンメンがご馳走だったんだ。まぁそういう想い出抜きにしても、あそこはチェーン展開するだけのポテンシャルがあるよ」

「男の人らしいこだわり、ってやつですね」

「嫌いか?」

「わりと」

 嘘を吐いても仕方ないし、仮に口にしても先生は見抜くだろう。残念ながら、先生は鈍感ではない。

「なんなんですかね、男の人ってしょうもないことにこだわりますけど、正直、女がそれを理解してあげなきゃいけない、なんて理屈はないですよね?」

「当然だな」

「でしょう? そのくせ、理解をしない女を非難するんですもん。嫌な感じ」

「やけに実感がこもっているが、経験があるのか?」

「父がわりとそういう人でしたから。よく母と喧嘩してましたよ――子供ながら、父が自分よりも子供に見えて仕方なかったです」

「ふむ。顔合わせくらいしておけばよかったな」

 私と先生は結婚式はもちろんやっていないし、互いの両親に会ってすらいない。先生はどうだか知らないが、私は一応、はがきの一枚は送った。メールとかメッセージアプリでなかったのは、両親は私の性的嗜好に理解を示さなくて、そのせいで縁を切ったからだった。

 普通の人なら、どうにか仲直りさせようとするだろう。が、先生はそんなことに興味はないようだった。そんなことをしても誰も得をしないことを、彼はちゃんとわかっている。そうでなければ、一緒にはいられない。

「私の両親、大した人じゃないですよ。離婚する勇気も夫婦でいる忍耐もなくて、ただ、習慣で一緒にいるだけです」

「嫌いか?」

「両親を見て育ったから、私、家庭を持つのが嫌になったんです。その結果、ワンナイトばかりしているってわけでもないですけどね」

「趣味か?」

「ええ。アレよりも楽しいこと、思いつきません」

 私が言い切ると、先生は軽く笑った。年長者らしい寛容の笑み――なのか、ただ単に関心がないゆえの笑みか、私には判別がつかなかった。できるほど敏感でもないし、先生について理解しているわけでもない。

 夫婦ではあるが、正直、一夜だけを過ごした女の子の方が理解できていたと思う。先生もそれは承知しているかもしれない。先生は損得勘定をして、損をしないために私に踏み込んでいないだけだろう。

 それは私も同じだ。先生と仲良くなる理由はない。なったとしても、私には何も返せない。労力に見合う報酬を支払えないなら、最初からそれを期待させるようなことをするべきじゃない。

「先生、趣味は何ですか? 読書? 執筆?」

「読書と、観劇だな」

「あぁ、役者だったんですよね?」

「ああ。下手だったが、まぁ、楽しかったよ――若かったしな」

「皆そう言いますよね。若い時が楽しかったって。今、楽しくないんですか?」

「楽しさの質とか意味が違うよ。あの頃の幸せを今味わっても不幸に感じるかもしれない。たとえば、あの頃に君と結婚してもこうして平穏に過ごせなかっただろうしな」

「そんなに違うんですか? 今の先生と」

「あの頃は、売れない役者だった。あー、いや、ほとんどバイトしないで生活ができていたんだから、恵まれてはいたんだろうな」

「でも、やめた」

「いい年になっても役者を続けられるだけの才能がない、と気付けるくらいには馬鹿じゃなかったんだよ――幸い、誰も止めなかったしな」

「恵まれていたのにですか?」

 私の疑問は、先生には答え慣れたものだったのかもしれない。すぐに答えてくる。

「傍から見ても、その程度の役者だって皆が気づいてくれたのさ、恵まれてるよ」

「そういうものですか……」

 私にはわからない感覚だった。私は役者になんかなれない。女の子を口説く時だって、嘘は吐かない、と決めている。ワンナイトでも、私は本気の恋をしているつもりだ。

 それに何より、私は私の嗜好の理解者が欲しいとは思っていないし、自分の才能を見限ることもしたことがない。孤独でも生きていけたと思うし、年老いても女の子と関係を持つくらいにはできると信じている。

 それでも。

 先生と偽装結婚したのは。

「お礼、言わないとですね。先生の諦めを理解してくれた人たちに」

「まぁ、いいやつらだったな」

「それもありますけど、だからこそ、私はここにいられるんですよ、先生」

 先生は私に何も求めない。それが先生と一緒にいる理由だった。つまり彼は、常に諦めとのみ共生しているからこそ、私はここにいる。

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