第36話 違う! 違う! そうじゃない!

 ――夜十時。


 何やかやと後始末をしていたら、遅い時間になってしまった。

 俺、御手洗さん、沢本さん、片山さんが、祖母の家のキッチンに集まり、食卓を囲んで座る。

 みんな緊張した顔をしている。


 食卓の中央には、俺のスマートフォンと警察から教えてもらったストーカー若山拓也の電話番号を記したメモが置いてある。

 御手洗さんが、食卓の中央に置いた俺のスマートフォンに手を伸ばした。


「では、かけますね」


「お願いします」


 御手洗さんは、スマートフォンをスピーカー設定にして、ストーカー若山拓也の携帯番号にダイヤルした。

 呼び出し音が続き、男が電話に出た。


「うるせえな! 警察に用はないって言ってるだろう!」


「若山さんですか? 御手洗です」


「えっ……!? 静香か!?」


 御手洗さんが、俺たちを見回してうなずく。

 電話に出たのは、ストーカー若山拓也本人だった。


 警察から何度も電話がかかってきたのだろう。

 イラついた声を出していた。


 だが、電話の相手が御手洗さんだとわかると、声のトーンが変わった。

 驚きの中に喜びがある。

 御手洗さんから電話が来て嬉しかったのだろう。


 それにしても、『静香』か……。

 ファーストネームで呼ぶんだ……。


 ストーカー若山拓也の脳内では、御手洗さんが婚約者で確定しているから、ファーストネームで呼ぶのだろう。

 普通の人と距離感がまったく違う。


 御手洗さんが、眉根を寄せて心底嫌そうな顔をした。

 だが、深呼吸をして気持ちを落ち着けている。


 御手洗さんの口から聞いたこともない冷たい声が発せられた。


「御手洗です」


 御手洗さんは、ゾッとする口調で自分の名前を告げた。

 声だけで人が殺せるなら、こんな声だろう。

 御手洗さんは、ストーカー若山拓也に『ファーストネームで呼ぶな!』と言いたかったのだ。


 だが、ストーカー若山拓也は、御手洗さんの言葉、冷たい口調、殺気のこもった声を無視した。


「そうか! 俺の愛の深さに気が付いたのか! 反省したのか! ああ、そうだな! そうなんだな! 静香!」


 俺、沢本さん、片山さんは、お互い顔を見合わせた。

 スマートフォンから幸せいっぱいの声が聞こえるのだ。


 俺は、まったく理解が追いつかない。

 ストーカー若山拓也に電話をしたら、怒り狂うと思っていたのだ。


 だが、現実は『理解不能なほどルンルン声』が返ってきた。

 俺はヒソヒソ声で片山さんに聞いてみた。


「えっと……。これ、どういうことですかね?」


「恐らくですが――」


 片山さんの予想では……。


 ストーカー若山拓也の脳内では、御手洗さんとはラブラブで結婚間近だった。

 なぜか裏切られて、会社をクビになった。

 ストーカー若山拓也は、御手洗さんを懲らしめる為、嫌がらせを続けた。

 そして、ようやく真実の愛に御手洗さんが気付き、自分に電話をかけてきた。


「――という感じじゃないかと」


「吐き気がしますね」


 なるほど、それならストーカー若山拓也が上機嫌になるわけだ。


 さすがは頭が良い片山さんだ。

 片山さんの予想は、正解だと思う。


 ストーカー若山拓也の思考ルーチンは心底気持ち悪いが、ヤツの頭の中では整合性がとれているのか……。


 俺が若山拓也の立場だったら、罠や囮捜査じゃないかと疑ってかかる。

 だが、ストーカー若山拓也は、『愛の深さ』だの、『反省』だの……。

 どうやったら、そういう結論に結びつくのか?


 しかし、罠を仕掛ける側としては、好都合だ。


 ストーカー若山拓也が、罠を警戒していないのなら、ヤツの心理、心のスキを利用させてもらおう。


 スピーカーフォンからは、ストーカー若山拓也が一方的に話している気持ちの悪い内容がダダ漏れだ。


 住むならマンションが良いか? 一戸建てが良いか?

 子供は二人欲しい。

 新婚旅行は、どこに行くか?


 御手洗さんの目元に、どんどん影がついて行く。

 俺は指でOKサインを作って、御手洗さんに合図を送った。


 御手洗さんは、コクリとうなずき、極寒のシベリアで吹き荒ぶブリザードのような声を上げた。


「私は若山さんが嫌いです。心底気持ち悪いです」


「何を言ってるんだ? 照れ隠しか?」


「はあ……。今、隣に彼氏がいます。彼氏と話して下さい」


「あ……!? なにっ!?」


 ストーカー若山拓也の声が変わった。


 ようこそ現実の世界へ。


 さて、俺が御手洗さんと交代だ。

 俺はスピーカーフォンにしたスマートフォンへ向かって、ウキウキボイスで話しかけた。


「どうも~! 御手洗さんとお付き合いしているパンイチと申しまーす! はじめましてー! 君が変態ストーカー若山拓也君だね? お元気ですかぁ~?」


「な、なに!? パンイチ!?」


「SO! DEATH! 僕の名前は、パンイチです! パンツ一丁でダンジョンに潜る変態紳士です!」


「「「ブッ!」」」


 俺のはっちゃけぶりに、御手洗さん、沢本さん、片山さんが吹き出した。


 良いのかって?

 良いんだよ!


 こいつを逆上させて、御手洗さんから俺に意識を向けさせるのが、第一の目的なのだ。

 だから、真面目に相手をしないで、おちょくれるだけ、おちょくれば良いのさ。


「ウソだ! オマエなんかが、静香と付き合っているハズはない!」


 ストーカー若山拓也の声に怒りがにじみ出てきた。

 もっと、押すか。


「毎日、一緒にいるよ。朝起きると一緒にジョギングして、ストレッチを一緒にして、ほら……、こう、開脚するストレッチをやったりさ。朝のスキンシップってヤツだよ」


「ウソをつくな!」


 おっ!

 ストーカー若山拓也が、露骨に怒り出したぞ。

 挑発に簡単に乗るねえ。

 俺は追撃を試みる。


「ストレッチの時は、御手洗さんに背中を押してもらうわけよ。そうすると、御手洗さんの柔らかい胸が背中に当たるんだ。いや! これが気持ち良いんだよね!」


「き、貴様!」


「あれ? 君? 御手洗さんのオッパイを味わったことないの? 意外と大きいんだよ! 俺は、もんだこともあるけど」


「黙れ! 黙れ!」


 ストーカー若山拓也が、ブチ切れ始めた。

 俺の下衆な挑発が効いているようだ。

 まあ、男なら好きな女のことで挑発されたら、怒るよな。


 では、俺、続けたまえ。


「いやあ、かわいそうだなぁ~、若山君は! 御手洗さんのオッパイの柔らかさを知らずに『静香!』とか、彼氏ヅラするなんて! まあ、本当の彼氏は、俺なんだけどね! 君が会社で変な噂を流したり、変なチラシをばらまいたりしているころ、俺は御手洗さんとエチエチなことをしていたんだけどね。空しいねぇ~」


「殺してやる! 殺してやるぞ!」


 ストーカー若山拓也は、完全に逆上している。

 そろそろ誘いをかければ、のってくるだろう。


 俺は、勝負をかけた。


「あっはっはっ! 無理! 無理! 無理! だが、俺とケンカしたいなら、鉱山ダンジョンで待っているよ! 今夜0時に来い! ボコボコにしてやるよ! このパンイチ様がな!」


「ふざけやがって! 首を洗って待っていろ! 殺してやるからな!」


 電話が切れた。

 ストーカー若山拓也は、完全に逆上して俺の安い挑発にのった。

 ヤツが、鉱山ダンジョンにやって来れば、ボコボコにすることも、逮捕することも可能だ。


「よしっ! 成功だ!」


 俺はガッツポーズをとったが、場の空気が冷たい。

 一体、どうしたのだろうか?


 俺は女性三人の方を見ると、女性三人は、なんともいえない目で俺を見ていた。


「カケルが、シズカのオッパイをそんなに愛しているとは知らなかった」


「いや! 沢本さん! 違う! 違う! そうじゃない!」


「遠慮すんな! もめよ! それとも、この胸が良いかぁ?」


 沢本さんが、ふざけて俺にのしかかってきた。

 大きな胸を、グリグリと俺の顔面に押しつける。


 夜なので、沢本さんは、ピンクのスエット姿だ。

 恐らくは、ノーブラ!

 ホボダイレクトに胸があたる!


「駆さん……。ストーカー若山拓也を挑発すると聞いてはいましたが……、あれはちょっと……」


「片山さん! 違うんです!」


「違わないと思いますよ」


 横目で見える片山さんの笑顔が怖い。

 そして、御手洗さんが、深いため息をついた。


「そもそも私の問題で、天地さんに迷惑をかけている自覚があります。でも、あんなに私の胸について話さなくても、イイでしょう!」


「御手洗さん! 違うんだ!」


「朝のスキンシップとか、トレーニングしながら何を考えていたんですか! 私の胸ですか?」


「あっ。はい」


「いけません! トレーニング中は、トレーニングに集中するのです! それから『エチエチなことをしていた』って、何ですか!」


「違う! 違う! そうじゃない!」


 俺の弁明は、女性三人の心にまったく届かなかった。

 違う! 違う! そうじゃない!

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