第二章/在祝・#三田春

 講演の帰り道、合成樹脂の網目でできた橋を渡る。イタドリやメマツヨイグサなどの植物達が網目に届きそうなほど生長していた。外壁沿いのガーデンに生えたツユクサは、変わらず凛々しく咲いていた。ガーデンの担当の職員達が前方で、軽トラの荷台に直接盛られた堆肥と思しき土を撒いていた。定期的にどこからか運ばれ、追肥しているようだった。


 社内に入り研究室の扉を開く。緑の陰、緑の音、緑の文字。デスクに座ると、誠也くんがこちらを見ていた。気になって近くまで向かう。

 「なんかあった?」

 「先輩。PEの臨床実験ですが、人間でできることが決まりましたよ」

 僕は何を言っているのかよく分からなかった。人での臨床など一度も聞いていなかった。


 「え、聞いてない。どういうこと」

 誠也くんはアンニュイな表情で続ける。

 「先輩、忙しいから」

 言いたいことがあったがそれは飲み込み、聞きたいことを聞いた。

 「……臨床って、いつ、どこで、対象は?」

 「ダイアンサスが協力を志願してくれたんですよ。彼らはそれを自身の儀式として執り行いたいそうで、Sheepが彼らに貸している森で行うようです。僕らは遠隔で観察しつつ、データをもらいます」


 もうすぐじゃないか。この計画は一体いつから進んでいたのだろう。Sheepが彼らに森を貸していることも初耳だった。知らされていないことが多すぎる。実験はもう少し安全性が確保できてから行うべきだし、臨床研究法をクリアしているとも思えない。


 「法的なハードルはクリアできてる? この技術はまだ人間で試すには危険だ。彼らにそれは伝わっているの?」

 誠也くんは首を傾げながら椅子を回転させていた。

 「はい、審査は完了しています。先方もリスクは承知の上とのことです。植物への転生は彼らの願望でもあるので、いち早く行いたいとのことです。互いのニーズがマッチしているんです。何も心配いりませんよ」


 またうまくことが進み過ぎていると思った。恐らく審査も安全性の偽装をしているか、上からの圧力で無理やり通したのだろう。被験者も合意しているからといって、どう考えても危険な臨床をこのまま進めていいものか。

 「やめたほうがいい……どう考えてもまだ早すぎる」

 「先輩。けどもう上で決まっちゃったことなので、僕らじゃ止められないですよ」

 「Dream Hack社か。なんでダイアンサスと……」


 むしろなんで上とダイアンサスが繋がっていないと思っていたのかと、僕は言いながら思った。彼らがなにも手を出していないはずがなかった。

 「そういうことなので、その日は空けておいてくださいね」と誠也くんは言って部屋を出た。どれくらいの人数が被験者になるのか分からなかったが、悪いイメージだけが浮かんできて、その次に葵田さんの顔が浮かんできた。彼がダイアンサスにいて、と言っていたことを思い出す。今からならまだ間に合う、伝えなければ、と思った。


 社内からの通話はネットワークを介して記録されている恐れがあるので、社外へ出て念の為VPNも切り替えた。ガーデン沿いのオシロイバナに囲われたベンチに腰掛け、水を飲んで心を落ち着かせる。


 「もしもし、突然すみません。葵田さん、今大丈夫ですか? お話ししておかねばならないことがありまして」

 「三田さん、ご無沙汰しております。今大丈夫ですよ、何かありましたか?」と彼女は明るい調子で答える。


 「以前、パートナーの方がダイアンサスにいるという話をされていましたよね。社外秘の情報なので本来内密にするべきなのですが、葵田さんには緊急でお伝えするべきと思いまして……近々ダイアンサスでプラントエミュレーションという技術の臨床実験が行われます。プラントエミュレーションというのは……」


 「あ、それ覚えています。田中さんから以前伺いました」と彼女は答えた。社内でも極秘開発の情報を一度会っただけの彼女に、なぜ。違和感が積み重なる。


 「そうですか……であれば単刀直入にお伝えします。パートナーの方を今すぐダイアンサスから脱退させるよう促してください。この実験はまだ未完成で、人でやっていいようなものではありません。どれくらいの人数が、どういった選出方法で選ばれるか分かりませんが、もし選ばれてしまった場合、僕はもうあなたに顔向けできないかもしれません」


 「……そう……ですか。けれど、ダイアンサスは何百万人も会員がいるんですよ。そのうちから選ばれるなんてきっとないです」と彼女は苦しそうに明るい調子で話した。

 「そう願いたいですが、もしもの場合意識障害や最悪植物の世界から帰ってこられないことも考えられます。できれば、彼に危険を伝えてあげてください」

 

 彼女の言う通り杞憂なのかもしれない。ただ僕の開発した技術が原因で彼女を苦しめるようなことは、万が一にもしたくなかった。

 「分かりました。わざわざ情報共有くださりありがとうございます。それでは」と彼女は電話を切った。ベンチから立ち上がると立ちくらみ、再び座った。じりじり肌を焦がす太陽が脈を加速させ、思考をぼんやり溶かしていく。蝉時雨が脳を包み、この会社こそもう辞めたほうがいいのではと思った。

 

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