第27話
純玲が着替えに行っている間にも次々に部員が部室へと入ってくる。
しばらくして、でこショートさんや純玲を含んで十六人もの一・二年生が部室に集結した。私を足すと十七人。女子比率が高い。男子は四人のみ。
でこショートさんが「純玲の友達。見学だって」と紹介してくれ、私は席を立ちあがり、頭を下げる。それからのやりとりで彼女が副部長であるのがわかった。
そうして演劇部の活動が始まる。柔軟ストレッチから、筋力トレーニング、そして発声練習を経てエチュードというのがレギュラーメニューだそうだ。主導するのは体格のいい二年の男子。彼が現在の部長なのだと副部長さんから教えてもらった。我が校の演劇部の部長を男子生徒が務めるのは十年ぶりなのだという。活動に対する熱心振りや役者としての力量はもちろん、美形なのが決め手となったのだと、あけすけに副部長は言った。私は純玲の言葉、すなわちリーダーシップ不足を思い出したが、口にしなかった。
さっそく柔軟ストレッチが進められていく。てきぱきと。走り込みも日によってはあるのだとか。その場で制服を着ているのは副部長と私だけだった。もっと言うと、立たずに座っているのも私たち二人のみ。
小道具や大道具といった裏方の人間にしても原則的に基礎練習に参加するらしい。最初から裏方志望で入っている人間はほとんどおらず、身体を動かして稽古するのを厭う人間は、体験入部時に美術部や文芸部といった演劇部と協力関係にある部活を勧めていると教えてくれる。文化部の横のつながりがあるのは知らなかった。ひょっとして植物の一部を美術部に献上でもすればアーティスティックな作品を生み出してくれるのかな。でも、そもそも彼らが園芸部の存在を知っているかは怪しい。
それはそうと、副部長が例外的に扱われる事情は察しがつかなかった。制服を着て、座ったままの理由。部員たちを見守っている。そういう係?
「ここで制服着ている私はなんなのって思うわよね」
顔に出ていたのか、副部長が自嘲気味に笑って言う。
「何か理由があるんですか?」
「そりゃそうよ。わけあり副部長ってね。……私、生まれつき足が悪いの」
右足を大事そうにさする彼女に私はどう反応したらいいかわからなかった。ただ、「先輩も顔採用ですか?」と言わなくてよかったとは思った。純玲とはまた違った系統の美人とはいえ、嫌味にとられるのが必至だろう。
「ただね、演劇については、ここにいる誰よりも観ている自負はある。そして舞台の空気っていうのを作る側としては一番知っている。たとえば役者の動かし方を」
「えっと、演出家ってことですか?」
副部長は私の言葉に「いい響き」とにっこり笑った。
「足はともかく、頭がいいの、私。性格は悪いってよく言われる。そんな私がここで認められるまでの苦労話は今はしない。よっぽど興味があったら話してあげてもいい。一駅向こうのカレー屋でカレーを一杯おごってくれるならね」
「は、はぁ」
「好きなのよ、カレー。カレー女って陰口叩かれる程度には」
それにしては彼女から香辛料の匂いはしない。ほとんど無臭だ。純玲のような花の香りもしない。
「在学中にはトッピング制覇しておかないとね。さすがに全部の組み合わせってなると何桁になるかわからないけど。って、そんなことより」
副部長は筋力トレーニングに移行した部員のうち、一人の男子を指差す。
「彼がさっき話していた桐谷。二年生。ひょろひょろでいかにも気弱でしょ?」
「そ、そんなこと。ゴリラではありませんけれど、ハシビロコウみたいな凛々しい雰囲気あるかなって」
「ハシビロコウ?」
副部長が私をじっと見つめ、そして噴飯した。
「純玲が連れてきただけはある。ハシビロコウって。あれよね、ペリカンの仲間だっけ。普通ぱっと出てこない。鳥、でいいのに。くっ、くくくく」
特徴的な笑い方だった。
ちなみにハシビロコウが頭に浮かんだのは桐谷先輩がそれに瓜二つの顔をしていたからではない。日曜日、思い出した動物園についてネットでHPを調べてみたら、昔はいなかったが現在はハシビロコウも飼育していて、そもそもそのとき初めて存在を知った鳥だったのだが……いずれにしても、そのときの記憶があって口が滑っただけだ。鷹や鷲とでも言えばよかった。
「くくく……。それでさ、あいつが脚本担当なの」
「すごいですね」
「手放しで褒められるやつじゃない。風邪引いて、新歓公演のための脚本、書き上がっていないんだから」
「あ、それは純玲に聞きました」
「練習には混ざっているけど、あいつは脚本専任。去年、じゃなかった一昨年の夏前までは役者志望だったのはみんな忘れていると思う。二枚目やるにも三枚目やるにも、素質が足りていないっていうかさ」
私は改めて桐谷先輩を眺めてみる。身長は百七十センチ過ぎで、百八十ありそうな部長と並ぶと小さく見えるが、私にしてみれば充分に長身。全体的に短く切り揃えられている黒髪。どちらかと言えば、卓球部? イメージだけれど。
「演劇部のみに所属する男子が脚本担当するのも、けっこう珍しい。少なくともうちの高校の歴史だと。前回の、文化祭でもやった劇もあいつの脚本ではあるけど、部員全員で話し合って改稿しまくりで大筋から変わったんだよね。『全員で作る舞台らしくなってよかったです』って引退した先輩には言っていたけどさぁ」
「大変なんですね」
「そゆこと。部員全員がね。甲子園いけない野球部が練習に手抜いているわけじゃないでしょ。それと比べるのもあれか。とにかく、私らなりに青春してんの。それに私個人は大学、さらにはその先でも続けたいっていうか、それこそ演出家目指しているし。ふふん」
にんまりとした笑みをみせる副部長は素敵だった。たとえば芹香がその人当たりが良くない人柄を不器用にしか制御できていないのに対して、この副部長は自身の強みをわかっていて、それを最大限に有効活用している気がする。いい意味での狡猾さがある。悪賢いと言うべきか。そういうの、芹香にはない。あの子、意外と根が曲がっていないというか。
他の部員たちは発声練習中に移った。副部長はその声にかき消されないよう、私に顔を近づけて囁くよう話す。
「桐谷のやつ、砂埜さんを気になっているんだって」
「え?……えっ?」
「そういう反応になるよねぇ」
私は桐谷先輩ではなく、副部長の顔をまじまじと見た。
「いやさ、一目惚れしたって話じゃない……とは思う。たぶん」
そこは言い切ってほしかった。
「去年の学期末テスト前だったかな、部活終わりに『昨日、一緒に帰っていた子、誰や』って純玲に言ってきた。突然よ? 桐谷、ああやって発声練習している以外は無口なのよ? 二年になってからエチュードのときは、自分は演じずに、じーっと穴が開くほど演じる子たち見ているだけだし。ま、それは私もか」
ちなみに一部の女子部員からは、その熱い視線に拒否反応を示されているそうである。脚本書く上で役立たなきゃ斬る、と脅しているのはここにいる副部長だった。
「えっと、それで純玲は教えたんですか?」
「どうだっけ」
急にすっとぼける副部長に私は片方の肩をずり落としてしまいそうになる。我ながらオーバーなリアクション。
「ああ、うん。あの純玲にしても予想外だったもんだから『えっ。友達ですけれど……』って引き気味だったはず。桐谷相手には、わりと優しくする女子、無関心な女子、こっち見てんじゃないわよ女子の三種類がいて、純玲は二番目だから。ちなみに私は、いいからさっさと脚本書けよ女子ね」
四種類目じゃないですか。いや、それはどうでもいい。
「あの、ひょっとして純玲は今日、桐谷先輩のために私を連れてきたんでしょうか。書き上がっていない脚本を書く刺激になるとでも思って」
「友達のあなたがそう考えるんだったら、そうなんじゃない?」
私は純玲を見つめる。探すまでもない。すぐに視線がそこに移せる。
練習が開始してから、なるべく真剣には見つめまいとしていた。夢中になってしまいそうだから。
副部長が「純玲がさ」と言って、私は再び副部長に顔を向けた。
「二年になって本気で主演狙うってなら、桐谷とはもっと関わりを持った方がいいとは思う。変な意味じゃなくて。桐谷が露骨に誰か特定の部員を想定した脚本を書くことってないと信じているんだけど、でも無意識ってのもあるから」
「無意識……?」
「知らず知らずにモデルにしているってあるもんよ。しかも高校演劇だとさ、題材はファンタジーじゃなくて、やっぱ現代ドラマ寄りが多いもんなのよ。ようは等身大の高校生たちが直面しているようなさ。だから、なおさら」
登場人物に身近な人物が宿る可能性がある、と。そういうものなのかな。私が小説を読んでいて、時折、登場人物に友達を重ねてしまうのと同じ? ちがうかな。
「ここだけの話、私はあいつを高く買っている。だからいろいろ書いてみてほしい。風邪引いている場合じゃない。だからまぁ、砂埜さんのこの突撃訪問がプラスに作用するとありがたい」
そう言われても。具体的に何をすればいいんだ。何をどうすれば、純玲の力になれる? 今のところ、桐谷先輩の目は私に向けられていない。
彼はエチュードに移った部員たちを副部長が言っていたとおり、貪欲な眼差しを注いでいる。その瞳はハシビロコウのつぶらなものとは到底似ても似つかない。悪い人じゃなければいいな。
「ところで、残りの二人の男子生徒ってどんな方なんですか?」
「うん? ああ、うち一人は一年生で来年と再来年しだいじゃハーレムよね」
副部長が一人の男子生徒を指差して言う。一年生は男子が一人しかいないのか。ふくよかな男の子だった。野球部で言うならキャッチャー?
「引退した先輩の弟なんだよ、あいつ。早い話、シスコン。いや、あっちがブラコンなのかな。中学生のときはいじらめられっ子だったそう。既に本人が立ち直ったというか開き直ったから言っちゃうんだけどさ。あれでけっこう女子部員から可愛がられている。みんなの弟分って感じ」
「純玲からも?」
「いや……純玲と仲がいいのはもう一人のほう」
先輩の視線を追いかけずとも、四人のうち最後の一人なのだからわかる。それに私が男子部員の話を振ったのは「彼」を突き止めておこうと考えたからだ。何をするってわけでない。でも、ここに来たのにその顔を確かめずに帰るなんてありえない。
「純玲からなんか聞いている?」
副部長が探るような声色で訊いてくる。ずけずけと個人情報を言う人かと思いきや、慎重になっている。恋愛絡みの噂には良くも悪くも敏感なのかもしれない。女子部員が多いこともあって、いざこざがあってほしくないという現れか。
「付き合ってい……たんでしたか」
「知っているのね。じゃ、純玲とほんとに仲がいいんだ」
「それは、まぁ」
そう言われて悪い気はしない。話題が元彼氏さんであっても。
「純玲、信頼のおける人にしか話していないふうだったから。付き合っていること自体、それから別れたこと。後者については向こうが、つい先週に部活終わりに握手なんて求めて『いい先輩後輩でいようぜ』って部員たちの前でわざわざ宣言したから察したんだけど」
純玲の話にあったとおりだ。
ありのままの報告だったと確認できたほっとする。
部長が野性味を孕んだイケメンだとすれば、元彼氏さんは中性的なイケメンだった。言葉数が多くお調子者だというのだから、陽気な性格でもあるのだろう。
「どう? 友人代表として」
「はい?」
「彼って純玲お嬢様と釣り合いそう? 別れた後で訊くのも変か」
小声でそんなことを言う副部長のつるんとした額を、ぴんっと指で弾きたくなったが我慢した。
恋愛に釣り合う云々と秤や定規を持ち出したくない。点数ボードなんてもってのほかだ。それが建前で、本音としては純玲に恋する私が彼女と比べて魅力に欠ける女、つまり釣り合わない人間であるのを直視したくないというのがあった。
「ん、ん。……とりあえず、桐谷先輩と話してみないとですね」
「だね。あ、ちなみにフリーだよ。つーか、彼女いたことないんじゃないかな」
けらけらと笑う副部長。
その太眉を削ぐための道具は、積み上がっている塔の中にあるのかな。悪意がないのが余計に質の悪いというのは、こういうことなのだと思った。
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