第26話

 年始の挨拶をしに赴いた際に、年の離れた従姉からクッキー型を大量に貰った。去年は一度も焼かなかったそうである。一時期は毎日食べきれないほどに焼いていた彼女は、友人からはクッキーモンスターと畏れられていたのだとか。それってあのクッキーが好きな青い毛むくじゃらのお方の名前でないのかと伺うと「私はもっと行儀よく食べるわよ!」とキレられた。ちなみにあの青毛のモンスター、本名は別にあるのだという。


 そんなわけで新年最初のお菓子作りはクッキーを焼くことにした。これで私も怪物の端くれになるのだろうか。

 アルファベットと数字、それにスート、そしてたくさんの種類の動物、さらには歴史的建造物や彫刻、絵画の型まであった。

 その中で動物を、それもマイナーなやつらを気持ち多めに選んで型抜きしていく。のんびり作業していたら、冷やした生地が柔らかくなってきたので、再度、冷蔵庫に入れ直してまた一時間冷やした。それから取り出して、作業再開。例の従姉が「これもあげようか」と言っていたマーブル台をありがたく頂戴しておけばよかったかもしれない。のし台そのものはオーソドックスな木製の代物が既にあるからと断ったのだった。


「へぇ、ちょっとした動物園じゃない」


 ふらっと現れた姉は型抜きされて並べられていく、後は焼かれるのを待っているクッキーを眺めてそう言った。プレーンクッキーだ。くせがないぶん、素人の手作りだと食べ飽きるのも早いかも。


「ワニやサイまでいるのね。莉海は動物だと何が好きだっけ」

「え? 犬や猫かな」

「せっかくの動物園なんだから、もっと珍しい動物を選びなさいな」

「一周回って、身近な動物に落ち着かない?」

「まぁね。わっ。ラクダにカンガルーまであるじゃないの」

「鳥類が少ないんだよね。フラミンゴもフクロウもいない」

「フラミンゴは片足立ちのイメージがあるから、型にしたら細くなっちゃうからじゃない? ぽきっと折れてしまいそう。あ、でもペンギンはいるのね」

「飛べないよ」

「でも泳げる。アルファベットも焼くのね。ANIMALってひねりないわねぇ」

「いいじゃん」

「ILOVEYOUでも作ればよかったんじゃない? ううん、むしろYOUの部分は本当に意中の人の名前にしちゃうとかさ」

「べつにこれは、独りで食べるやつだから。そんな虚しいことしたくない」


 すべての型抜きが完了する。私は慎重にオーブンまで動物たちを連れていき、火あぶりの準備をする。そう言うと物騒だな。べつに火であぶりはしないし。ちょっとこんがりしてもらうだけだ。サクサクになるといいな。

 後ろから姉が声をかけてくる。


「家族みんなで行った動物園、覚えている? 有名な大きなところ」


 動物園の思い出。小さい頃の話だ。

 オーブンに投入完了。ぱたんとドアを閉める。


「中学生にあがったばかりのお姉ちゃんは退屈そうにしていた」

「小学生になったばかりの莉海は、はしゃぎまくっていた。時間をかけて園内一周して、さぁ帰ろうってなったときにもう一周し始めようと歩きだした」

「それでお姉ちゃん、もう帰りたいって怒ったんだっけ。ライオンみたいな顔していた。今にも私に噛み付くんじゃないかって顔」

「だから莉海は泣いちゃったのね」

「……それでお母さんたちがお土産コーナーまでつれていって、ぬいぐるみを買ってもらって泣き止んだ。小学一年生の手には余る大きな羊」


 今も私の部屋にあるやつだ。名前はつけていない。


「莉海ったら、なんであそこで羊なのよ」

「そうそう、あのときもお姉ちゃん、文句言っていた。同じモコモコだったらアルパカのほうがトレンドよ、みたいにませてたよね」


 私としては首の長さや、どことなくふてぶてしい顔つきが好きじゃない。

 そこがいいっていう人も多いんだろうな。


「ねぇ、私が何を買ってもらったかは覚えている?」

「ええと、たしか――――」


 なんだっけ。

 思い出せない。ぬいぐるみではなかった。そのはずだ。

 何も買わなかった? でも、お父さんに窘められて、お土産コーナーでは妹をあやす姉として、ちゃんと傍にいてくれた。私の手を引いてくれていた。


 答え合わせがしたい。

 私は後ろを振り返る。そこに姉はいなかった。



 

 週が変わって火曜日に、純玲の提案を受け入れて演劇部の見学に出向いた。去年までのバイトのシフトなら埋まっていた曜日だった。今年は少なくとも一月は空き。

 純玲に「迷子にならないようについてきてね」と部室へと案内される。私たちの教室からは遠い。階も棟も違う。

 ふと、道中で三階の窓から弓道場の端が望めた。芹香は帰ったのかな。弓道部は平日はほとんど毎日、活動しているらしいが週に五日くる部員はいないと前に聞いた。部長も含めてだ。柔剣道と同じく「道」とつくのに、うちの学校の運動部では緩いほうだった。そういう実態って芹香からバイトの休憩時や、映画観賞したときに聞いたんだよね。


「脚本を担当予定の二年の先輩がね、冬休みに新作をおおよそ書き上げるつもりが風邪を引いちゃって書けなかったのよ。寝込んで年を越したのは初めてだって、先週に話していた。莉海? 聞いてくれている?」

「う、うん。聞いている」

「そんな緊張しなくていいわよ。いきなりオデットとオディールを演じてみせてくれるだなんて無茶振りもしないから」

「おで、何?」


 聞き慣れない語に思わず聞き返す。


「オデットとオディール。『白鳥の湖』に出てくる白鳥の美女と黒鳥の美女」

「それってバレエじゃなかった?」

「ええ、そうよ。クラシック・バレエの中でも最も有名な作品の一つに位置づけられるでしょうね。小さい頃に都会の劇場で、家族四人で観たの。そこでバレエに魅せられて、習いたいと懇願することはなかったけれどね。せいぜい帰ってきて家で芹香と真似事をしたってぐらい」

「ええと、そのオデットとオディールの?」

「いいえ。その二役はね、一人が演じ分けるのよ。そこが醍醐味と言ってもいいでしょうね。白と黒とを演じ分ける表現力、それに全幕通して出演しないといけない体力も必要。まぁ、生で観たのは一回ぽっきり」

「そうなんだ」

「芹香とね、お揃いのチュチュスカートを履いてくるくるしたわ。ああ、あくまで普段着として使えるやつよ? 舞台衣装ではなく」


 純玲が爪先立ちしてみせ、笑う。

 

 小学校のときに同級生でバレエを習っていた女の子がいたのは記憶にあった。最初は新体操をしていたのを途中でバレエに転向したのだった気がする。当時も今も私にとってその二つの違いというのは、芸術的要素を含むスポーツか舞台芸術かという認識しかない。

 その子が体育の時間に前後・左右ともに最大限に開脚している様を見て、感嘆するともに、どこか不気味さを感じた私だった。意地悪な男の子が彼女の軟体ぶりをしてタコと呼んでいたが、そう言われて怒りっぽい彼女が顔を真っ赤にするものだから、ますますからかわれていたっけ。それでも華があり、顔立ちの整っていた彼女はクラスで最上位にあたる女子グループに所属していた。

 純玲もそちら側の人間だったのだろう。教室の隅でとくにうまくもないお絵かきを黙々と独りでしがちだった私とは違う。


「あのね、見学に向かっている最中に言うのもあれだけれど、私は舞台に立つつもりはないよ?」

「あら、何も舞台に立つことだけが演劇部ではないわ。莉海が役者向きか不向きかはさておいてね。入部を強制する気なんてない。今日は指定ジャージも持ってきてもらっていないし。息抜きだと思ってよ」

「息抜きで見学していいものなの?」

「他にも狙いがあると言えばあるわ。行けばわかる。悪いようにしないわ。私を信じてくれる?」

「もちろん」


 他の誰よりも。盲目的にさえ。白か黒かがはっきりせずとも、その声が私を求め、手を引いてくれるのであればどこへだって連れ立っていく心地がする。


 演劇部の部室は、たとえば弓道場のような、普通教室と比べて明らかに異質な空間ではなかった。むしろ普通教室の延長上にあり、間の壁をぶち抜いた二つ分の広さ。

 そして音楽室のように――――私は副教科の選択科目は美術をとっているので高校生になってからは校舎見学時にのみ訪れた場所だ――――防音処置がなされているふうではない。壁際に寄せられ、積まれてちょっとした塔を成している雑多な小物・大物は一見するとガラクタに映る。

 先に数名の女子部員がおり、席について何か話し合っていた。見たところ部員全員分の机と椅子が常設されているわけではなさそうだ。塔から必要な分を崩して、使っているのだろう。

 純玲がそこに声をかける。自然と彼らの視線は私に向かう。「友達です。見学してもらおうかなって」と純玲が言うと部員の一人が「入部希望者ってこと?」とこれまた自然の反応をする。指定リボンの色からして二年生の女子。額をつるっと全て露出させているショートカットで太めの眉。その女子以外は指定ジャージに着替えていた。裏方の人なのかな。


「今日のところはオブザーバーって感じですね」


 どう答えるか迷った私の代わりに、純玲が応じるが、しかしそれは私を安心させるものではない。枯れ木も山の賑わいとでも紹介してくれればよかったのに。


「いいけど。見られて困る活動していないし」


 でこ出しショート先輩の言葉に周りにいる他の部員も肯く。 


「けど、面白おかしくエチュードに巻き込もうなんて考えていないでしょうね? よしなさいよ。ただでさえ、普段から暴走気味なんだからね」

「うっ。莉海にいきなりカッコ悪いところ、伝えないでくださいよ。これでもクラスではバイオレットお嬢様で通っているので」

「前は貧乏旗本の三女って言っていなかった?」

「それは世を忍ぶ仮の姿ですから」

「それはそうなんだけど、そうじゃないっていうか。もういいわよ、この子困っているし。えっと……」


 私は簡単に自己紹介する。名乗っただけだから簡単すぎるか。いちおう園芸部だって言い足しておけばよかったかな。首をかしげられそうだ。それとも花を演じてくれる? 


「あれ、もしかしてこの子が前に桐谷が言っていた子?」

「察しがよすぎませんか? 私、まだ本人に説明していないんですよ」

「なんでこのタイミングで連れてきたかまではわからないけど」

「三学期に入って、頭抱える桐谷先輩見た時にたまたま思い出しただけです」

「完全に気まぐれじゃん。はぁ、うまくいくもんかね、いろいろと」


 話についていけない私であったが、とりあえずは人が揃って部活が始まるまで、与えられた椅子に座って待つことになった。純玲が演劇部員たちと話すのを見聞きする。変わりないな、いつもと。敬語であるのを除けば、内容は純玲そのものだった。

 その後、お手洗いに純玲が指定ジャージに着替えに行くのを見送った。更衣室は存在しないらしい。「ここでサッと着替えればいいのに」と言うでこショートさんに「いつ男子入ってくるかわからないじゃないですか」と返した純玲だ。「ま、たしかにあの子の裸は安くないか」と言って、こちらを見やるでこショートさんに私は愛想笑いを浮かべる他なかった。

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